スカラシップ賞をもらったので、展覧会がお開きになったあと和多利浩一さんにお礼状を書いた。その中で、自分がどのように選評を読み、どのように制作に臨んだかということも報告がてら詳しく書き、手紙の最後にこのように書いた。
あのね、最近、保坂和志の『生きる歓び』という小説を読んだのです。ほとんど瀕死の猫を拾って、花ちゃんと名前をつけて、その猫が回復して、存在の全体で生きる歓びをあらわすようになった様子を見て、小説家の「私」は言うのです。
花ちゃんのこの様子を見て、私はまるで小さい子どもが花をきれいだと思ったときに花の絵を描くような気分で、そのことを小説か何かに書きたいと思った。そういう気持ちを持ったことははじめてだった。
そうだ、私も、和多利さんのことを、書きたいと思いました。和多利さんとお会いしたことや選評を読み解こうとしたことなんかを何かで書きたいな。(略)こんなふうに私は和多利さんのお原稿やお言葉を励みに感じていました、ということを書きたいなと思ったのです。
で、そのすぐあとに、原田マハの『ジヴェルニーの庭』を読んだ。その中にマチスについての短編がある。
悲しみは描かない。苦しみも恐れも。重苦しい人間関係も、きなくさい戦争も、ただれた社会も。そんなものは、何ひとつだって。
ただ、生きる喜びだけを描き続けたい。
奔流する色彩、のびのびと躊躇のないフォルム、満ち溢れる生の輝き。(略)
『生きる喜び』
その絵のタイトルです。
(略)
それはまだ、ピカソが二十六歳だった頃、パリのアンデパンダン展で目にした、一枚の絵。
ええっとびっくりした。生きるよろこび、という符合。そして、そうだ、わたしも偶然にも、和多利さんへの手紙の中で「生きる動機」と書いていた。
こんなふうに、制作は、生きる動機だった。先に何か希望を持つということ。生きて、展覧会をやるんだ、とずっと思えた。
三ヶ月の間、私の動力となって、動かしてきたもの。スカラシップ展はそういうものだった。それまで、何もなくてつらいばかりで、生きていてもこの先さらに良くなると思えなかった日々から一転、急に目標ができて「生きてる!」と感じた。何かヒントは転がっていないかとウロウロしてみたり、構想を考えたり、他の人の展示を観にいったり、会場を下見したり、材料を揃えたり、本を読んでみたり、そうだ、アーティスト・トークの参考にしようと思って、作家が話すイベントにも行ったんだった。やる価値のあること、やるべきことが目の前にあって、ほどよい緊張感があって、本当を言えば、このまま展覧会なんて始まらなくていいと思った、ずっと準備していたいと思った。
それは、会場で壁に描いているときも強く思った。終わらなければいい、ずっとずっと描いていたいのに。
そうだ、制作は、生きる歓び、生きる喜び、生きる動機だ。
このことが続いたとき、とても感激した。人生にこんなことが起きるのかと天に感謝した。自分は間違っていない、と確信できた。
このことは、わたしが書いたものとはいえ私信だったので、公表するつもりはなかったし、このホームページではあまり自分の考えは出さないで事実だけを書いていこうと思ったのだが、やはりわたしの制作にとってとても大事なことだと思い返し、WEBで公開することに決めた。
「生きている歓び」とか「生きている苦しみ」という言い方があるけれど、「生きることが歓び」なのだ。(略)「生命」にとっては「生きる」ことはそのまま「歓び」であり「善」なのだ。 (『生きる歓び』保坂和志)
「生きる喜びを感じるときってどんな時?」とか「生きていると楽しいときも苦しいときもある」そんなことじゃない。生きるということはそれだけでとてもいいことだ。私もそれを描いていきたい。生きていること、流れていくこと、進んでいくこと。線を描いていると、線が進んでいくのを感じる、前に進むとは限らない、後ろかもしれないし、繰り返しかもしれないし、なぞってるだけのときもある。でも、流れていくのを感じる。それは生きることだと私は思っている。生きるというのは、時計の針が進むこと、だから、SICFの展示ではパネルに秒針をつけ、ずっと一筆書きで進んでいく『線のおはなし』という本を展示した。
命は、生きようとする意志をを持っていると思う。理由とか目的なんかなくて、ただ生き延びようとしようとする。そのことを描きたいなと思う。
それにしても、やはり本ばかり読んでいる。わたしのバックボーンはやはり本にあるよなと思う。他の作家は、同じ時間にたぶん、もっと他のことをしていると思う。でも本の中にこそわたしは真実を見る。
線の可能性 2014 (SICF15/スパイラル/東京・青山)