2017/05/29
おすすめ投稿

新潟でグループ展に出展いたします

長岡の隣り見附(みつけ)市にて、
元法務局をリノベーションしたギャラリーで展示いたします。

鏡とガラスに描いた作家自画像と鑑賞者の視線が交錯し
視ると視られる関係を考える《わたしと目が合うとき》と、
自分の目では見ることが不可能な自己について
セルフヌードのドローイング《私が見られない私》を制作いたしました。

十日町にあるマリナ・アブラモヴィッチの「夢の家」にも泊まる予定です。
その話もいずれお会いした時に。

原口比奈子

新潟出身なのかと聞かれますが、違います。
では新潟はまったく無縁かというとそうでもなく、
小学生から大学入学まで10年間、家族で六日町に毎年スキーに行っていました。


flowers  15人のアーティストによるさまざまな「花の表現」
絵画、版画、書、立体アート・・・etc県内外15作家がそれぞれの手法で「花」を表現します。

会期:2017/06/01(水)~06/18(日)/月曜休
10:00~22:00(最終日〜15:00)
会場:ギャラリーみつけ 展示室1&2
〒954-0059 新潟県見附市昭和町2-4-1 tel0258-84-7755
入場無料 駐車場完備
主催:ギャラリーみつけ(企画:外山文彦)
参加作家:大橋絵里奈 小倉美砂 笠原賢悟 小山まさえ 笹川春艸 髙木秀俊 瀧ヶ崎千鶴 中島尚子 永見由子 原口比奈子 星 奈緒 村山徳成 吉田勝幸 吉野榮子Ren 若林溪竹
原口比奈子の在廊日:6/4(日)午後

ギャラリーwebsite https://www.gallery-mitsuke.com/exhibition/2239/


 


《わたしと目が合うとき》262×323×50 ガラス、銀、紙 2017


《わたしと目が合うとき》部分 1020×2100  和紙、インク 2016


《私が見られない私》78×78×14 紙、インク 2017


会場展示風景


3点とも 撮影:外山文彦

2017/06/18

セルフヌード作品について

なぜ描いたかという話をしよう。うまく書けるかわからないが、展示中の今こそ機会かもしれない。

ヌードは世の中にあふれているが、私たち女性にとって他人に見せるためのヌードというのは、自分でありまた自分でないものである。

似たようなものを持っている「自分」であるが、一方で、決定的に違うと思うことは、日常見せる用途のみではない、ただの自分の身体である。つまり、ヌードは、自分にはないものだ。鏡か写真を経由してしかつまり見られることを意識した形でしか、グラビアのような形のヌードは自分では見られない。

自分というのは、100%所有している自由になるはずのものと思いこんでいるが、実はそうではない。

身体が「わたし」に帰属するもの(=body)であるという所有の論理(鷲田清一「顔の現象学見られることの権利 」「じぶん・この不思議な存在」)

自分と他者が混在するものとしてセルフヌードを描いた。
原口本人の裸ではなくセルフヌードとはという問いかけをする作品である。

とはいえ、和紙の質感と色が肌と似ているので、観た方から「触りたくなるわね」と言われたのは素直に嬉しいことだ。

赤いインクは血の色、肉の色。

作品名「私が見られない私」

撮影:外山文彦

2017/06/17

新潟で展示中の作品が売約済みという連絡が昨夜あった。

うれしいなああああああぁあ(大泣)

買うってことは「すごーーーく好き」ということだから。

すごーーーく好きと言われたらうれしいに決まってる。

うひょひょひょひょ。

ギャラリーみつけにて

2017/06/15

「夢の家」翌朝3

朝起きてすぐ、ベッドの床に備えられた「夢の本」を書くことになっている。

私はでも8年前から毎朝ノートを書いているので、これは慣れたことだぞと思って書いた。

夢の家ではつまり「夢の本」を書いて続いて自分のノートを書いた。

夢の本は閲覧できるようになっていたが、中身は撮影は禁止だった。なぜなら神聖なものだから。

みんな真面目に夢について書いていたことが印象的だった。アート作品を自分自身のことよ受け止め受け入れている証拠だ。そのことが私は作家としてアブラモヴィッチを羨ましく思った。

朝ごはんも1つで誰とも話さずに食べること、という指示だった。このパン(2個は多いんですが、と管理者の方は言っていた)とバターとコーヒーも作家指定の食事。地元のパン屋さんのパンのようだった。

2017/06/13

松之山の偶然

新潟グループ展在廊の前夜宿泊した夢の家は正確に言うと、松之山にある。数年前、十日町市と合併したが以前は松之山だった。今でもゆるキャラがいる。

それで落語に「松山鏡」という噺があると聞く。鏡が大層貴重品だった時代、褒美にもらった鏡に亡父が映ると思い込む男の話だ。

ここ新潟県松之山という説と愛媛県松山という説があるが、ともかく自分が鏡の作品を展示したことと奇遇であり嬉しく思った。

鏡に映る姿を自分と思わないで他人と思う、これこそ鏡の不思議であり、私が追求したいことである。

ついでに『孤独のグルメ』を最近見始め、東京の話ばかりかと思ったら、五郎さん新潟に出張だ、それも十日町。見たような景色だと思って見てると、なんと夢の家の隣りの作品がロケ地に。

松之山の偶然が重なって展示を応援されている気がする。



法務局だった建物がギャラリーになった「ギャラリーみつけ」

2017/06/10

自分が思う姿と他人が思う自分を一致させること

ここ数ヶ月、生活環境の変化の最中にある。

新潟の展示では、自画像を鏡に描いた作品を出展している。

鏡に映る自分の姿。

他人の目に映る自分の姿。

鏡とは、自分を客観視する装置である。このことを私は「私はあなたになるのでしょうか」と以前作品解説に書いた。

今日、ふと、自分が思う姿と他人が思う自分を一致させたいと思っているのではないかと思い当たる。大抵、それは異なるものだからこそ、そうしたい願望があるのではないか。

アトリエにある同じシリーズの作品と正対していて、つまり自分の顔と正対していて、思い当たった。

有名になりたいからとハッカー事件を起こす少年の願望は、自分の思う姿を他者に受け入れさせようとすること。だが大抵は他者から見た姿を受け入れるしかない。自分の顔を見ることが苦手、というのはそこに理由がありそうだ。

できればありたい自分になりたい。鏡を見るとは、ありたい自分となんとかすり合わせする工程だろうか。化粧とも関係がありそうだ。

こちらがそっちに行くのでなく、少しでいいから、そっちからこっちに来てはくれないか。

思えば大層子どもっぽい願望かもしれない。見果てぬ夢だろうか。しかし、今の私には切実な願いのようだ。それで描くのだと思う。

私が今思う理想の形は「千と千尋」の最後のシーン。前と同じようでちょっと違う、髪ゴムがキラッとすること。

flowers展 2017/06/01-06/18 ギャラリーみつけ (新潟県見附市)

2017/06/10

東京の中のモスク「東京ジャーミー」

5月にキュレータのYさんに誘われて代々木上原のモスク「東京ジャーミー」に行った。前から一度行きたいと思っていたので渡りに船と二つ返事。

東京の真ん中にイスラム教の礼拝堂がある、それも生きた、つまり日常的に利用されているモスクが。多くのイスラム教徒が東京で暮らしている事実はあまり知られていない。

その「東京ジャーミー」が昨夜、NHKの番組で取り上げられた。

時期がぴったりなので数日前発行されたばかりの「Tokyo/Japan  may 2017」に掲載された2点を含む写真数点をここに載せることにする。

この日、礼拝堂では結婚式が挙式されて、参加グループは許可を得て参列、撮影させてもらったのは幸運だった。宗派が違えど等しく結婚はめでたいことであると実感した。誰々の子と誰々の子がここに夫婦となることを宣言し、親しい人が集い祝福し、新郎新婦は美しい衣装で幸せそうだった。

2階は女性のみに許された礼拝場所なので、2階から撮影した花嫁の写真は貴重なものだ。

この寺院及び文化センターの広報の方がガイドをしてくださったが、大学時代スーダンに調査に行ったことがイスラム世界と深く関わるきっかけだったそうだ。どこに自分のソウルが震えるものがあるかわからない、やってみてわかることはあるものだと思うし、また一方でそのようなものに出会える幸福を羨む。

2017/06/04

ほくほく線シナハン?

先日ほくほく線と雪下にんじんスープのシナリオを書いたので、今回はお土産でスープを買ってみた。先に書いて後から確かめに行くのはハンティングではないか。いや、次に膨らませる時のための立派なシナハンだ。

たまたま日曜でイベント列車「夢空」列車が運行していた。ほくほく線はトンネルが多い。トンネルの時に車内を暗くして天井に映像と音楽を流すというもの。スターウォーズのような音楽とともに花火の映像。結構よかった。子供に戻ったようなワクワクを感じた。ウォーーと内心思ったけど一人なのでキョロキョロ見上げてただけ。

親子鉄の話にしたけど、ぴったりだったな。

ちなみにこれもJRイベント列車「おいこっと」車内の雪の模様の椅子の布地。

まつだい駅前には草間作品と「棚田」(イリヤ&エミリア・カバコフ作)。

2017/06/04

「夢の家」翌朝2

赤い色の部屋に泊まったが、夜になって電灯を消すと真っ暗である。窓ガラスに色がついているから。朝になるとまた赤い部屋になっていた。

当初私は部屋の壁面も赤く塗られているのかと思っており、ポーの『赤死病の仮面』のようなイメージを想像して不気味な部屋ではないかと思っていたが、そんなことは全くなかった。写真で見ると怖いようだがすぐ慣れた。


赤の部屋 7.5畳に窓が2箇所。真ん中に夢のベッド 2000×800程度。板でできていて当然固い。

夜は静かかと思えばカエルがそこここでケロケロケロケロと鳴いていた。

朝、足元でぴょんと飛ぶのを見る。君だったのかね?


昨夜のハーブかと思われる敷地内に植わっているよもぎとミントの葉の下にいるアマガエル。

2017/06/04

「夢の家」翌朝

「日常生活の単純な行為を儀式化することの必要性を再確認する試み」とアブラモヴィッチは書いているが、

◯◯道という儀式化された様式に則ったものが多くある日本では、受け入れやすいものではないかと思う。

剣道も、鏡開きだとか寒稽古だとか稽古後黙想をして正面に礼だとか、そういう定式化されたものがある。その日に餅を食べたくなくとも食べる。茶道にもこのように手を洗え花を飾れ茶を飲め器について語れと言った指示がある。

自分の好きに食べたり寝たりする自由を制限し、決められた自分には意味がわからない規則で暮らす中で、普段慣れた暮らしでは見えない意識が上ってくるような気がした。

、、、と作務衣のような「夢の着物」を着て指定された朝食である地元のパンを食べながら思った。

2017/06/03

夢を見るための家

新潟のグループ展出品にともない、十日町にあるマリーナ・アブラモヴィッチ宿泊できるアート作品「夢の家」に宿泊している。

夢を見るための場所。

インストラクションに従い、赤と紫、緑、青の4つの色の部屋に合わせた専用ウェアを着て寝る。12箇所のツボに当たるポケットにマグネットを入れると重い。一人一部屋。寝る前には地元で取れた薬草(私の場合はよもぎ、ミント、葉しょうぶ)を入れたバスタブと別のバスタブでシャワーを浴びる。バスタブにはそれぞれ水晶の枕がついている。

電話がない代わりテレパシー電話がある。

夢の部屋で見た夢は棺桶のようなベッドに備え付けの夢の本に書く。枕は雪の結晶の模様の入った黒曜石。

朝ごはんも指定のパン2つとバターを食べる。

古民家を使った作品で、近くには湧き水が湧いている。テーブルにはコップに入った水24個。これも作品。

オーストラリアのライターだという女性とお互い知らない同士二人で宿泊する。

私は赤い部屋に寝ることになった。どういう夢を見るのかあるいは見ないのか。

これまでここで体験した多くの人々が書き綴った夢の本が公開されている。読むと、皆夢について真面目に考えているようで、大切なものなのだと思い知る。亡父に会いたいと書いている人がいて、夢とは、あの世とつなぐものでもあると気づく。

夢の家は2000年完成。途中地震で中止また再開されている。