月別アーカイブ: 2020年1月

12月のWS2題 クリスマスリースとねずみのコラージュ

アトリエに来た人が、「この絵画教室用の通信、イイネ。あなたの文章がヒカッてるよー」と言ってくれたので、うれしくなって先月のワークショップについて若干表現を変えて転載。


◆フェルトボールで作るクリスマスリース

糸で縫うと聞くと、お裁縫?と思われるかもしれませんが、糸で縫われた美術作品は、古来より現代美術にいたるまで世界中にたくさんあります。平面にも立体にもなり、手作業で作品に時間性を感じられるのも特徴です。またいつかやってみたいwsです。


◆新年の干支のねずみのコラージュ

最初にレオ・レオーニの『アレクサンダとぜんまいねずみ』を参照してコラージュについて解説。「ところで、おうちに折り紙あるかな」と問うと、「いっぱい持ってる!」と元気な声。みんな箱や袋いっぱいに持ってきて、こんなのある、といそいそと見せてくれます。お友だちと交換とかするんだって!

まずアイデアスケッチをしてデザインを決め、次にキャンバスにアクリル絵の具で背景を描き、折り紙や包装紙でコラージュしていきます。

美術はどういう技法、素材を使うかも腕の見せどころ。WSは、いつもとは違う素材と技法を習う機会でもあります。今回は、キャンバス、アクリル絵の具、コラージュ技法の質感や使い心地、効果を体験します。アクリル絵の具っていつものと違う、どう違う? なんかネットリしてる! 塗ると色がきれい! その感触を深く味わってほしいと思います。


そしてね、こういう作品の先には、レオ・レオニがいるんだってことが伝わるといいなと思います。

私も作りました。うまくできたかどうかは別として、キャンバスに指で絵の具を塗るの、楽しかったです。

「FACE展2020」フライヤーと招待券が届きました

フライヤーと、表彰式・内覧会招待状と、招待券と、図録の申込書!

立派な展覧会でテンション上がるなあ!

ちゃんと私の名前も載ってるにゃ。


《NOTE》 92x162cm アクリル・インク・ジェッソ・パネル 2019

下記の展覧会に出品いたします。

名称:FACE展2020 損保ジャパン日本興亜美術賞展
会期:2020年2月15日~3月15日  10:00~18:00(入館は17:30まで)月曜日休館
会場:東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
観覧料:600円
主催:東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館、読売新聞社
https://www.sjnk-museum.org/program/6001.html

雪で「ギラーン!」

絵画教室中に、雪が降ってきた。

一人の子が、窓の外を指して、雪!というと、他の子も振り向く。

そのときのみんなの目が、「ギラーン!」と光っていて、笑った。

目って、本当にギラーンってなるんだね。初めてみた。

よく漫画で目の中に星が書いてあるけど、そのまんま。

キラキラよりもするどく光ってた。SFの人造人間っぽかったよ。

窓に向かって、ギラーン! みんな、ギラーン! すごいな、雪。

わたしは、もう雪なんかじゃテンションあがんないよ、つらい思い出もあるしさ、なんて話していると、家人が、え、ギラーンってなってたよ、という。ありゃあ。

「しかたがない、行くとするか」

お正月が終わった瞬間に倒れた。点滴暮らしに突入し、やっと飲み薬だけでよくなった。

点滴は時間がかかる。その間、本を読めたのが唯一良いことだった。あとはよくないことばかりで、コンペもやろうと思っていたのにできなくなったし、ほかにも予定したこともできなかった。時間とお金と体力ばかり失った。

今の若者に多いのは、「やりたくないな」「嫌だな」という気持ちがあるとできない、という人だ。(『アンチ整理術』)

わたしもそうだ。

やるべきことは、やる。しかし、やってもやらなくてもどっちでもいい、自分の胸一つ、という事柄が一番やっかいだ。やりたくないと思うと、そのやりたくない気持ちが消えるまでウダウダしていたりする。例えば病院に行くこと。

最初は点滴の効果が目に見えたし、そもそも物珍しいので、勇んで出かけて行った。だがそれも数日すると見慣れてきて億劫さだけが残った。何時にいくか自分が決めるのだが、これが決められない。毎日点滴を受けなければならないし、予約時間はなくとも病院は24時間受け付けてはいないので、最終的には「やるべきこと」に変容してきて、ギリギリになってやっと出かける。こういうやり方は精神的によろしくないと思う。

そういうときは、しかたがないな、と腰を上げるのです。この『しかたがない』が究極のツールだと思います。いやいや、しかたなくやれば良いのです。(『アンチ整理術』)

森博嗣は小説を書くことも工作も面倒だと思う、という。これにひどく驚く。好きだから億劫には感じないと思っていたし、楽しくはない、面倒だ、と表明するのは、何に対してかわからないが、罪悪のような気がした。実は、嫌いなことでもしかたなくやるものだし、好きなことも億劫に感じていいのだった。

「しかたがない」

このフレーズはわりといいなと思う。病院なんか行きたいわけがない、でもしかたないから行くんだ、そう思うことにした。

やりたいことだけ考えていると、わたしなどは何一つやりたくないから、どうなっちゃうんだろう、すぐにセルフネグレクトに陥るだろうななどと闇雲に不安になっていたが、しかたがない、とやればいいだけのことだった。

しかたがない、通院は将来の得(回復)と現在の損(時間とお金と体力の喪失)とを等価交換する行為である、と、かなり森博嗣に染まりながら通院した。

それに、スポーツは健康とは思えないし、片づけなくていいんだし、と森博嗣は自由だなと思う。こんな自由はわたしにはないものなので、読んでいるうちに何かが解放される気がした。これは言ってはいけない、思ってはいけない、と知らずに思い込んでいることがあるんだなあと思う。

☆アナログハイパーリンクな読書
吉本ばなな→森博嗣『アンチ整理術』

展示までのお楽しみ

2月から損保ジャパン日本興亜美術館で展示をする。

これまで、インスタレーションが多く、会期前日まで作品ができなかったから、つまり搬入日に制作していたから、展示直前までピリピリして、ほかにやるべきことは後回しにすることが多かった。

でも今回は平面作品なので、すでに作品は完成し、搬入も終わり、写真撮影は事務局任せ、本当に気を楽に展覧会を迎えることができそうだ。

作品を少し直すなんてことはできないし、あれをやめてこっちにするかなんて選定もしなくていいし、レイアウトも決めなくていいし、キャプションは作ってもらえるし、作品解説を作らなくてもいいし、搬出計画も会期終了日どころか会期後1か月たってから返却される! そう考えると、展示って本当にタイヘンダナア。

今は、図録に載せる作品情報や経歴の校正をしている。そう、図録も作ってもらえる!

この間は内覧会について詳細が送られてきた。内覧会! どんな感じなのかなあ、ワクワク。

のんびり展覧会を待つ、なんと楽しいことでしょう。

そうだ、この間に、WEBサイトを整理したい。

 


《NOTE》 92x162cm アクリル・インク・ジェッソ・パネル 2019

下記の展覧会に出品いたします。

名称:FACE展2020 損保ジャパン日本興亜美術賞展
会期:2020年2月15日~3月15日  10:00~18:00(入館は17:30まで)月曜日休館
会場:東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
観覧料:600円
主催:東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館、読売新聞社
https://www.sjnk-museum.org/program/6001.html

銅版画始めました

今月から期間限定で銅版画を習い始めた。このあいだ最初の講座だった。

その楽しさを熱のあるうちに書いておきたい。

 

奥のアトリエに案内された瞬間、何ここ―!と思った。とにかく素敵すぎる。

銅版画制作には薬品や大きな機械が必要で、瓶や大工道具がごちゃごちゃとおいてある奥には、錆色のシンクがあって、鋳物工場のような雰囲気だ。

壁には画集と本が並び、上方には額に入った絵と展覧会のポスター、ボードに貼ってある古い展覧会のチケットが色あせている。誰か作家の作品らしきものも無造作に架けてある。作業用の大テーブルには、外国映画のフライヤーが挟まっていて、クッションが重ねられた椅子に座ると、隣りでは昔ながらの石油ストーブの上でヤカンがしゅんしゅんいっている。

ロスコと駒井哲郎のポスター、浜口陽三の画集、コーネルの本がある、石元泰博が亡くなった記事の切り抜きも。モナリサーと歌う洋楽が聞こえる。

初めてなのにずっとここにいたような気になる。ここは外国の山奥の小屋で、外は雪が積もっていてわたしたちはここで一日中こもって作業をしているのだ。銅版画はドイツとか北欧とか寒い地方で発達した芸術なんですよ、今日みたいな日に作業するのはピッタリですという講師のことばを聴きながら、アキ・カウリスマキの映画のフライヤーに励まされ、つるつるとニードルで描いていく。雪でもなんでも降ればいい。

 

12月からの体調絶不調と鎮守参拝

12月初め、耳の不調を得て、続いてせきが止まらなくなった。咳は以前も出たしとそのまま放置していたら、1月におそらく耳が原因で高熱と悪寒、さらには生涯初のリンパが腫れる経験をした。

12月はそれでも毎日、開運活動として地元の鎮守神社に参った。

それで新年明けていつものこととして行ったら、いつもは閉じている末社の稲荷の扉がなんと開いている!

これが「御開帳」というやつか、と驚いた。

小さな稲荷社の周りには、狐の石像がずらりと並び、それ以外に中小の陶器の狐も所狭しと並んでいて、いつもこちらを見ている。特に石像は目にまなこがないせいか白目にも見え、最初行ったときは怖いと思った。小動物は苦手だ。

それにもだんだん慣れてきたころ、元旦の御開帳で、最初、見てはならないもののような気がして恐る恐る覗くと、扉の内にもきょんきょんと何匹もいて、やはりこちらを見ている。ぎょっとしたが、秘密を知ったような気もして親しみもわき、翌2日には、かわいいのがいるなと思えるまでになった。

 

そんな12月と1月に読んだ梨木香歩『f植物園の巣穴』、『椿宿の辺りに』には、偶然にも稲荷が出てくる。なんだか符号が合う気がして、読んでいた。

最初は狐使いなどと不穏な表現があって、そうだ、わたしもちょっと怖かった、などと思いながら読む。そのうち、稲荷に言われて、とか、そういう話になる。そのころには私も鎮守の稲荷社に慣れている。

具合が悪いのもそうだ。冒頭、どちらも身体の不調、痛みから始まる。私も調子が悪い、と思いながら読んだ。

 

『椿宿の辺りに』には、兄弟喧嘩が幾世代にも渡っていくつも出てくる。

「そもそも、このお屋敷であった惨劇は、兄弟喧嘩が原因でしたね」(略)兄弟葛藤、と単純に言い切れるものでもない。確かに父と叔父は仲が悪かった。(略)つまり多少の濃い薄いがある程度の「仲の悪さ」などどこにでもあるようなもので、(後略)(『椿宿の辺りに』)

私はハッとする。そういえば、わたしの身の回りにも兄弟の葛藤がいつもあったことに。あれもそうだ、これもそうだった、と思う。こんなにも多かったか。みな苦しい関係だったのだなと思う。多くすでに亡くなった人たちだが、小説の中でそれが解決され、彼らのためにわたしもホッとする。

そういえば、宙彦さんも「誰にも共有されない」という言い方を手紙のなかでなさっていましたね。誰にもわからないだろうと思われるような、個人の深いところで、私たちはつながっているのかもしれないと、今、ふと思ったところです。全体とつながっている、と言った仮縫氏の言葉が、思い出されます。つながっているーー死者も生者も、過去も未来も。もしかしたら。(『椿宿の辺りに』)

 

☆アナログハイパーリンクな読書
梨木香歩『椿宿の辺りに』→『f植物園の巣穴』←神社参拝