母娘3人、みんなの雛祭り

昨年の今ごろ、岩槻人形博物館に行った。

岩槻人形博物館 https://ningyo-muse.jp/

展示の中で、「天野家のお雛様」に非常に魅かれた。

ヘチマコロンで財を築いた商家の天野家では、
当代一の名工永徳斎の雛人形をあつらえ、
桃の節句には家族の人形を一堂に飾ってお祝いをしたという。

次女の初節句に、娘2人の雛人形のみならず、
御所人形や市松人形、西洋人形に、
いつも遊んでいるおきあがりポロンちゃんまで飾られている写真が残っており、
展示では、そのまま再現されていた。


今年は、うちでもあれをやってみようよ。

母の家に、私と妹の雛人形を運び込み、雛壇を2つ設営し、新しく緋毛氈を1つ買った。

雛人形は流行がある。最近は親王飾りや三段飾りが主流で、高度成長期にピークを迎えた七段飾りは少なくなってきた。

階段のホネも七段飾り用の緋毛氈も
うちのように古くなったから買い換えようという人のためで、
今後はなくなっていくだろう。


母は戦時中の生まれだ。戦争末期、雛人形は奢侈品のため製造が禁止された。

そんな中、ようやく曾祖父がみつけてきた雛人形である。

物のない時代、孫の生長を願う気持ち一つだったかと思う。

男雛の刀は、頭に龍がついていて、ちゃんと刃が抜けるようになっている。
女雛は当時の流行りだった天冠(てんかん)を乗せている。

戦争中に親戚から預かっていたものが混じって、3人仕丁は6人もいる。

ねずみにかじられて頭がなくなった右の随臣は、いつも烏帽子だけかぶせていたが、
新しく粘土と胡粉でカシラを作ってやる。

箱をガサガサ探っていると、やたら大きくて立派な雛道具が入っている。

木製で、このまま食器として使えそうなほど大きい。紅白の餅まで木製だ。

こんなの持ってたっけ?

このお道具はね、と母が昔語りを始める。

40年前かなあ、地元のおもちゃ屋さんが閉店するからって、
店頭で雛道具だけ売っていたのを買ってきたのよ、という。

最近は何人飾りと言ってセット売りが普通だが、

昔はちょこちょこと買い足していったそうだ。


一番上には三対の内裏雛を並べ、

三人官女、五人囃子、随臣、三人仕丁、それに

母が子どものころ、祖父が京都のお土産に買ってきてくれた京人形、

祖母が作った木目込み人形、

妹が学生時代に、家族の当時着ていた実際の服の生地で作ったぬいぐるみ、

夫が作った犬筥の屏風と貼り交ぜ屏風。

家族の歴史が詰め込まれた雛壇が出来上がった。


赤い色が魔を祓うとされる緋毛氈が、部屋の空気までも明るくしてくれる。

数えてみると、52体のお人形たちが集合した。

人形のサイズが違っているのも味が出ていい感じだ。

お互い、初めて会うんじゃないかな、と妹が言う。

「はじめまして」「お噂はかねがね」

「私は80年前にこの家にまいりまして」

「私は最近で」

とかなんとか、話し合ってるかもしれぬ。

妹のと私のは、昔は同じ部屋に飾られてたから、同窓会だね。

内裏雛として、同じ段に飾られたのは初めてのことだ。

案外、びっくりしてたりして。

「今日はいったいどういったアレなのかしら・・・」

まあ、みんなで仲良くしてよ。