萬翠荘(ばんすいそう)は、旅程にはなかったが、
漱石珈琲店に行くのに同じ敷地内にあったので、寄ることにしたのだが、
非常に美しい建物で、大変よかった。
松山藩主の子孫である第15代当主久松定謨 (さだこと)伯爵の別邸、とのことだったが、
フランスに陸軍武官として15年駐在後、帰国して建てた本格フランス様式で、とここまで読んで、
あれ、と思う。
殿様が渡仏するに伴い、
随行として好古はフランスに行くことになり、
かの地で騎兵の研究を進めていたのではなかったか。
それで当初は私費留学という形だった。
ここもゆかりの地と思い、見学した。
子規記念博物館の展示の中で、
幕府と近かった松山藩(松平家で、当時の藩主は慶喜のいとこだった)は、
維新で無血開城はしたものの、藩主は蟄居、
朝敵の汚名を着せられ、賠償金も支払い、当地は非常な苦労があった、
というのが印象に残った。
それを踏まえると、
萬翠荘には、昭和天皇皇后が縁戚になった縁で何度も訪れたという事実は、
大変な汚名返上になっただろうと思われる。
半島一利による、幕末に朝廷側だったか幕府側だったかでその土地の人々の考え方が違うという説をふと思い出す。
定謨は国の管理になった松山城の払い下げを受け、
4万円(現在のおよそ4億円の価値)の維持費を添えて松山市に寄付したと、
松山城のウェブサイトにある。
松山市民の深い尊敬を感じる。
萬翠荘の敷地内に愚陀仏庵が移築されていたが、
数年前の土砂崩れで全壊、
別の場所に再建するプランが発表された(2025年1月)。