松山市内に「秋山兄弟生誕地」があるので、いつか訪ねてみたいと思っていた。
松山城からリフトで下り、ロープウェイ街を歩いて少し行く。
子規も給付生になったときが人生の三大うれしいことの一つと挙げている、
常磐会の流れを汲む常盤同郷会が管理している。
『坂の上の雲』を読んでいて、そうなんだなあと思うのは、
当時は幼名がある、ということだ。
それぞれ、好古は信三郎、真之は淳五郎。
好古が真之のことを「淳を寺ィやっちゃいやぞね」と言ったり、
成人しても母親は淳と呼んだりする。
今の感覚だと不思議だが、名前が違うと小さい兄弟の姿が浮かぶようである。
信さんと淳がここでね、と思いながら見学した。
梅津寺に行ったのは、瀬戸内海を見たいというのがあったが、
もう一つ、秋山兄弟の銅像があるからでもあった。
地図で見ると、松山と呉とは本当に近いんだなあと実感する。
瀬戸内海を挟んで向かいである。
呉の軍港が近いこの地で、村上水軍の研究をした真之のことを考えた。