「しかたがない、行くとするか」

お正月が終わった瞬間に倒れた。点滴暮らしに突入し、やっと飲み薬だけでよくなった。

点滴は時間がかかる。その間、本を読めたのが唯一良いことだった。あとはよくないことばかりで、コンペもやろうと思っていたのにできなくなったし、ほかにも予定したこともできなかった。時間とお金と体力ばかり失った。

今の若者に多いのは、「やりたくないな」「嫌だな」という気持ちがあるとできない、という人だ。(『アンチ整理術』)

わたしもそうだ。

やるべきことは、やる。しかし、やってもやらなくてもどっちでもいい、自分の胸一つ、という事柄が一番やっかいだ。やりたくないと思うと、そのやりたくない気持ちが消えるまでウダウダしていたりする。例えば病院に行くこと。

最初は点滴の効果が目に見えたし、そもそも物珍しいので、勇んで出かけて行った。だがそれも数日すると見慣れてきて億劫さだけが残った。何時にいくか自分が決めるのだが、これが決められない。毎日点滴を受けなければならないし、予約時間はなくとも病院は24時間受け付けてはいないので、最終的には「やるべきこと」に変容してきて、ギリギリになってやっと出かける。こういうやり方は精神的によろしくないと思う。

そういうときは、しかたがないな、と腰を上げるのです。この『しかたがない』が究極のツールだと思います。いやいや、しかたなくやれば良いのです。(『アンチ整理術』)

森博嗣は小説を書くことも工作も面倒だと思う、という。これにひどく驚く。好きだから億劫には感じないと思っていたし、楽しくはない、面倒だ、と表明するのは、何に対してかわからないが、罪悪のような気がした。実は、嫌いなことでもしかたなくやるものだし、好きなことも億劫に感じていいのだった。

「しかたがない」

このフレーズはわりといいなと思う。病院なんか行きたいわけがない、でもしかたないから行くんだ、そう思うことにした。

やりたいことだけ考えていると、わたしなどは何一つやりたくないから、どうなっちゃうんだろう、すぐにセルフネグレクトに陥るだろうななどと闇雲に不安になっていたが、しかたがない、とやればいいだけのことだった。

しかたがない、通院は将来の得(回復)と現在の損(時間とお金と体力の喪失)とを等価交換する行為である、と、かなり森博嗣に染まりながら通院した。

それに、スポーツは健康とは思えないし、片づけなくていいんだし、と森博嗣は自由だなと思う。こんな自由はわたしにはないものなので、読んでいるうちに何かが解放される気がした。これは言ってはいけない、思ってはいけない、と知らずに思い込んでいることがあるんだなあと思う。

☆アナログハイパーリンクな読書
吉本ばなな→森博嗣『アンチ整理術』

展示までのお楽しみ

2月から損保ジャパン日本興亜美術館で展示をする。

これまで、インスタレーションが多く、会期前日まで作品ができなかったから、つまり搬入日に制作していたから、展示直前までピリピリして、ほかにやるべきことは後回しにすることが多かった。

でも今回は平面作品なので、すでに作品は完成し、搬入も終わり、写真撮影は事務局任せ、本当に気を楽に展覧会を迎えることができそうだ。

作品を少し直すなんてことはできないし、あれをやめてこっちにするかなんて選定もしなくていいし、レイアウトも決めなくていいし、キャプションは作ってもらえるし、作品解説を作らなくてもいいし、搬出計画も会期終了日どころか会期後1か月たってから返却される! そう考えると、展示って本当にタイヘンダナア。

今は、図録に載せる作品情報や経歴の校正をしている。そう、図録も作ってもらえる!

この間は内覧会について詳細が送られてきた。内覧会! どんな感じなのかなあ、ワクワク。

のんびり展覧会を待つ、なんと楽しいことでしょう。

そうだ、この間に、WEBサイトを整理したい。

 


《NOTE》 92x162cm アクリル・インク・ジェッソ・パネル 2019

下記の展覧会に出品いたします。

名称:FACE展2020 損保ジャパン日本興亜美術賞展
会期:2020年2月15日~3月15日  10:00~18:00(入館は17:30まで)月曜日休館
会場:東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
観覧料:600円
主催:東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館、読売新聞社
https://www.sjnk-museum.org/program/6001.html

銅版画始めました

今月から期間限定で銅版画を習い始めた。このあいだ最初の講座だった。

その楽しさを熱のあるうちに書いておきたい。

 

奥のアトリエに案内された瞬間、何ここ―!と思った。とにかく素敵すぎる。

銅版画制作には薬品や大きな機械が必要で、瓶や大工道具がごちゃごちゃとおいてある奥には、錆色のシンクがあって、鋳物工場のような雰囲気だ。

壁には画集と本が並び、上方には額に入った絵と展覧会のポスター、ボードに貼ってある古い展覧会のチケットが色あせている。誰か作家の作品らしきものも無造作に架けてある。作業用の大テーブルには、外国映画のフライヤーが挟まっていて、クッションが重ねられた椅子に座ると、隣りでは昔ながらの石油ストーブの上でヤカンがしゅんしゅんいっている。

ロスコと駒井哲郎のポスター、浜口陽三の画集、コーネルの本がある、石元泰博が亡くなった記事の切り抜きも。モナリサーと歌う洋楽が聞こえる。

初めてなのにずっとここにいたような気になる。ここは外国の山奥の小屋で、外は雪が積もっていてわたしたちはここで一日中こもって作業をしているのだ。銅版画はドイツとか北欧とか寒い地方で発達した芸術なんですよ、今日みたいな日に作業するのはピッタリですという講師のことばを聴きながら、アキ・カウリスマキの映画のフライヤーに励まされ、つるつるとニードルで描いていく。雪でもなんでも降ればいい。

 

12月からの体調絶不調と鎮守参拝

12月初め、耳の不調を得て、続いてせきが止まらなくなった。咳は以前も出たしとそのまま放置していたら、1月におそらく耳が原因で高熱と悪寒、さらには生涯初のリンパが腫れる経験をした。

12月はそれでも毎日、開運活動として地元の鎮守神社に参った。

それで新年明けていつものこととして行ったら、いつもは閉じている末社の稲荷の扉がなんと開いている!

これが「御開帳」というやつか、と驚いた。

小さな稲荷社の周りには、狐の石像がずらりと並び、それ以外に中小の陶器の狐も所狭しと並んでいて、いつもこちらを見ている。特に石像は目にまなこがないせいか白目にも見え、最初行ったときは怖いと思った。小動物は苦手だ。

それにもだんだん慣れてきたころ、元旦の御開帳で、最初、見てはならないもののような気がして恐る恐る覗くと、扉の内にもきょんきょんと何匹もいて、やはりこちらを見ている。ぎょっとしたが、秘密を知ったような気もして親しみもわき、翌2日には、かわいいのがいるなと思えるまでになった。

 

そんな12月と1月に読んだ梨木香歩『f植物園の巣穴』、『椿宿の辺りに』には、偶然にも稲荷が出てくる。なんだか符号が合う気がして、読んでいた。

最初は狐使いなどと不穏な表現があって、そうだ、わたしもちょっと怖かった、などと思いながら読む。そのうち、稲荷に言われて、とか、そういう話になる。そのころには私も鎮守の稲荷社に慣れている。

具合が悪いのもそうだ。冒頭、どちらも身体の不調、痛みから始まる。私も調子が悪い、と思いながら読んだ。

 

『椿宿の辺りに』には、兄弟喧嘩が幾世代にも渡っていくつも出てくる。

「そもそも、このお屋敷であった惨劇は、兄弟喧嘩が原因でしたね」(略)兄弟葛藤、と単純に言い切れるものでもない。確かに父と叔父は仲が悪かった。(略)つまり多少の濃い薄いがある程度の「仲の悪さ」などどこにでもあるようなもので、(後略)(『椿宿の辺りに』)

私はハッとする。そういえば、わたしの身の回りにも兄弟の葛藤がいつもあったことに。あれもそうだ、これもそうだった、と思う。こんなにも多かったか。みな苦しい関係だったのだなと思う。多くすでに亡くなった人たちだが、小説の中でそれが解決され、彼らのためにわたしもホッとする。

そういえば、宙彦さんも「誰にも共有されない」という言い方を手紙のなかでなさっていましたね。誰にもわからないだろうと思われるような、個人の深いところで、私たちはつながっているのかもしれないと、今、ふと思ったところです。全体とつながっている、と言った仮縫氏の言葉が、思い出されます。つながっているーー死者も生者も、過去も未来も。もしかしたら。(『椿宿の辺りに』)

 

☆アナログハイパーリンクな読書
梨木香歩『椿宿の辺りに』→『f植物園の巣穴』←神社参拝

年末にうれしいお届け物

年末の最後の最後に、サプライズが届いた。

なんと、紙わざ展の賞状!

作家名も作品タイトルも大きく書いてあって、こんな賞状いただいたの、初めて。

紙わざ展の主催企業は、タント紙を作っている会社だ。

だから、賞状の手触りがイイ!

こだわりのデザインがかっこいい!

しっかりした厚みでエンボス加工が手にここちよい紙を撫でながら、入選作品70点余りにひとつひとつ作ってるかと思うと、手をかけてるなあと思う。

賞状っていいね、

広く社会によい結果をもたらした気持ちになる。

自分一人だけでもいいと思ってなくちゃやってられないよ、というのが美術だけど、

こういうのをもらうと、素直にまた頑張ろうって思う。

やはり社会の発展に寄与したい、誰か他の人の役に立ちたいという気持ちがあるんだろう。大きく言えば、世界に喜びと発見を提供したい。だから展示する。

自分のことを書いてるけど自分をわかってほしくて制作してるわけではない、と強く思う一方で、じゃあなんで見せるんだろうとずっと考えていた。

そんなことを再確認した。

(そして、タイトルって大切だなと今さら思う。ずっとついてまわる)

 

カラフルなタント紙でできたカレンダーもいただいた。

幾何学模様が少しずつ透けて、大好きな駒形克己の仕掛け絵本をめくるように楽しい。

年末の最後に思いがけないギフトが届き、この一年を明るく総括してくれた。気持ちが晴れやかになる。


紙わざ展は全国を巡回します。入選作品1点が出品されます。

名称:紙わざ大賞入賞作品展29 at Pam
会期:2020年1月7日(火)~ 3月31日(火)10:00~17:00 土日祝休み 3月は土曜日も開館
場所:特殊東海製紙Pam
〒411-8750 静岡県駿東郡長泉町本宿501
TEL 055-988-1111
入場無料、見学要予約

年末年始の読書計画

『ハムレット』4冊

小田島訳と河合祥一郎訳。最初の1ページを読み比べただけでも、ワクワクする。小田島訳は読みやすいと言われているが、河合訳の歯切れがよくかっこいいこと!

河合隼雄と松岡和子の解説本。

安野光雅と松岡和子の絵本。安野光雅の絵は本当にすばらしいなあ。

昨秋、多和田葉子と高瀬アキの舞台『ハムレット・マシーネ』を観にいき、

意外とハムレット読んでない人多いと高瀬アキが書いていて、そういえばよく覚えてないや、と思ったので。誰と誰が出てきて、どんな話だっけ?

 

梨木香歩の新刊1冊ともう2冊。小説2つとエッセイ1つ。最近、夢中。

『椿宿の辺りに』を読んだら、『f植物園の巣穴』の続きだったので、また読み返したい。

最近、神社に毎日行っているのもあることだし。

 

高村薫『我らが少女A』 あああぁああ、待ってました! とにかく高村薫は好きでしかたがない。本棚に並べて背表紙を見てるだけで興奮してくる。

 

高畑勲『一枚の絵から』日本編と海外編。結局観にいけなかった展示関連で知った本。

食材のキモチ

寒くなってきたし、気分が落ち込んできたので、日帰り温泉にいくことにした。

最初、あー気持ちいい、ゴクラクゴクラクと普通に入っていたが、

サウナに入って塩をもみ込んだり、露天風呂に入ったりしているうちに、ふと「注文の多い料理店」だな、と思った。もちろん食べられちゃうほうだ。

湯につかりながら温泉水を一口飲んだりして、クリームを塗るフリしてなめちゃう二人にそっくり。

前に新潟の温泉町で、温泉水でゆっくり加熱した湯治豚というのを食べたが、あれそのものだ。

 

おいしい水でゆっくり茹でて(温泉)、

ハーブで蒸して(草蒸風呂)、

塩をもみ込んで(ミストサウナ)、

燻製して(サウナ)、

水で絞めて(水風呂)、

少し干して(外気浴)、

炭火でじっくり焼いて(岩盤浴)、

最後にフォームをつけたら(炭酸泉)、できあがり。

すっかりおいしくなって、家まで帰った。

食材としてのわたくし。なんだか見える世界が一変した。

皆様もぜひ。

 

☆アナログハイパーリンクな読書
温泉→『注文の多い料理店』宮沢賢治

転機

フィンランド大使館のツイッターをフォローしていると、舘野泉という音楽家のことが何度も話題に上がる。それで読んだ本、『左手のコンチェルト』。

舘野泉は、くりっとした澄んだ目を持ち女性的な風貌をしていて、どことなく安野光雅に似ている。文体も似ていると思う(安野が鷗外について語るときを思い出す、自分が鷗外を好きなことを、同じ津和野に生まれずに証明したいほどだ、と言ったときの)。平易な日本語でロジカルに展開していく。話し言葉で読みやすいのに、書き言葉として論旨がはっきりしている。小学校の教科書に載りそうな文体。それに、たぶん芸術家だからか、情景が浮かぶような表現。一つのことを丁寧に話している。

舘野は、数年前に脳溢血により半身不随になる。その後、左手だけで演奏するようになるのだが、すぐにそうしたわけではなく、倒れてから1年半後に転機があったという。

この転機のきっかけは、シカゴに音楽留学していた息子のヤンネがつくってくれたのです。(略)その楽譜を見たとき、たぶん、その瞬間から、僕のなかで何かが変わっていったのだと思います。(略)まさに、僕を閉じ込めていた厚い氷が溶けて流れ去って、一瞬にして、世界が開かれたのようでした。倒れてから、すでに一年半ほどたっていました。(『左手のコンチェルト』)

それまで、ラヴェルの左手のための曲があるよと皆から言われても、死んでも弾くもんかと腹を立てていた、その気持ちに変化が訪れたという。このように転機はふいに訪れ、また、時間がかかるものだということがよくわかる。人間は、そんなに簡単には心を変えることはできない、傷ついた心を回復することも時間がかかるものだ。


全体を通して私が感じるのは、はっきりとは書かれていないが、推察するに、彼は3つのレッテルに悩まされてきたのではないか。一つは「北欧のピアノの詩人」、曰く、北欧に住んでいるから音色が美しいのでは。それから、左手でしか演奏できなくて悔しいでしょうね、という決めつけ。さらには左手だけで弾くということが特殊だと見られやすいこと。

左手だけで十分に豊かに音楽を追求できている、だが最近は右手も少しは動く、いつかまたモーツアルトを弾けるかもと思うと楽しみ、と言う(『風のしるし-左手のためのピアノ作品集 CD』)。論理的には矛盾しているように見える。だけど、人間とはこうしたものだと思う。

誤解や曲解に対して、そうではない、と静かに話す口調が、なんとも力強い。その無理のがなさが、やせ我慢でなく、本当のことを話していると信じられる。たぶん、今まで100万回聞かれてうんざりしているはずなのに、グチャグチャ恨みがましく言わないところがスマートだ。

だけど、「死んでも弾くもんか」という表現の中に、穏やかさの後ろには燃えるような誇りがあることを私たちは知る。

「音色が美しい」とも言われましたが、北欧に住んだこととは関係ありません。幼いころから持っていた音なのです。よい演奏家は必ず自分の音を持っていると言われますね。(『左手のコンチェルト』)

 


新作の転機はふいに訪れた。幾重にも波状攻撃のように、訪れた。

私がアクリル絵の具を指で描いたのは、秋にフィンガーペインティングのWSをした経験から。描き心地と自分に合っているという感触を、フィジカルな体験としてつかんだ。

私がシナベニアにジェッソを塗って作品を作ったのは、夏に出展したアートイベントで、パネルにジェッソを塗って描いたすてきなドローイング作品を観たから。それでいいのか、ジェッソなら昔模型作りで使ったことあるな、と思った。すぐに名刺交換して質問した。「これすごくいいね、一発勝負なの?」と聞くと、まず下書きを描いてジェッソを塗った上からなぞっている、ジェッソが透けるから、と彼女は言っていた。その言葉が心の奥底に沈殿して、秋に、制作するときにふと浮かび上がってきた。透ける特性を生かして描いてみたらどうだろう。層のような効果を出せないだろうか。

私がインクで文字を書いたのは、春夏に、和紙にインクで描く作品を描いていたから。

あの子を描いたのは、夏に、シルクスクリーンのWSで、あの子を描いたから。その出来が思いのほかよくて、そうだ、この子をちゃんと作品にしてあげてなかったっけと思った。こんなにかわいいのにもったいないな。以前あるギャラリストに見せた時にいいふうには言われなくて、なんとなくうっちゃっておいたけど、今回、ちゃんと作品にしてあげたいと思った。シルクスクリーンのときは作品とまではいかない軽量級だったけど、作品にしてもいいんじゃないか。

とはいえ、今作で、とも思ってなくて、描く予定はなかったのに最後の最後にえいや!と描いた。

☆アナログハイパーリンクな読書
フィンランド大使館ツイッター→『左手のコンチェルト』(舘野泉)


下記の展覧会に本作を出品いたします。

名称:FACE展2020 損保ジャパン日本興亜美術賞展
会期:2020年2月15日~3月15日  10:00~18:00(入館は17:30まで)月曜日休館
会場:東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
観覧料:600円
主催:東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館、読売新聞社
https://www.sjnk-museum.org/program/6001.html

あの子の名前、目の色

新作シリーズのあの子の名前をつけようか迷っている。

アトリエに来る人は、自画像ですか、そっくりですね、と言う。

え、ええまあ。と私は答える。

髪形を変えれば誰にでもなるし、この間も友人の髪形で描いてあげたし、と思っていたが、自画像なのかしらん。

奈良美智は、自画像だというあの子に名前はどうやらつけてないようだ。

やはり、わたしは、以前からずっと名前について考えていることに思い当たる。

 

アトリエの玄関に架けた新作。

 

この間、大嘗宮を観にいくのに東京駅から歩いていく途中、三沢厚彦のホワイトタイガーが遠目に見えた。それを見てふと、目を金色にしてもいいなと思った。

紫はどう? あら、いいんじゃない?

これはやりすぎかしらん。いや、いいかしら。

こちらは『あおい目のこねこ』風。

いっそモディリアニにしたら、、、?

これはphotoshopで塗ってみたのだけど、こんな風に頭の中で色塗りをして楽しんでいる。

ゆかりの神社さがし

初詣にどこに行こうか、できればゆかりのある神社がいい。そういえば、七五三のときってどこの神社に行ったんだろう、母に聞いてみた。

七つのときは、三つのときは、えっそうだったんだ。ついでに妹の2回ともすべて違う神社に参拝していることがわかった。

三つのときの神社は混んでてね、写真では全然そんな風に見えない、人がいない時をねらって撮ったのか。

妹が三つの時も同じところに行こうと思ったんだけど、あの日は雨が降ってねえ、みんな着物だったし、近くの神社に急遽したんだけど、そこは小さい神社でお客さんがいないもんだから、私たちが行ったら宮司さんがそれはもう喜んで、いらっしゃいいらっしゃいと、すごく丁寧にお祓いしてくれてね。なるほど、そんなことが、、、それはそれでいいねえ。

なんていうところなのかな、駅のそばなの、この中に見覚えはある?とグーグルマップを見せる。神社はいくつもある。これは大きいところだし駅からは少し遠い、こっちはマンションの中にあるお稲荷さんだね、となるとここかなあと聞くと、この地図ではよくわからないけど駅ビルを出て右手、線路に沿ってM社の道一つ隔てたあたり、という。母はデジタルはめっぽう弱いが、こういう昔からある土地勘はあいかわらずすごい。じゃあここだねきっと、と突き止めることができた。小さい神社とはいえ、地元の大手企業や百貨店の奉納が見えるから、古くからある神社のようだった。

事程左様に子ども時代のことは知ってる人がいるうちに聞いておかないと不明のままだなと思った。昔どういう子どもだったのかいずれゆっくり聞いておかねば。


三つの時の写真を見ると、おまんじゅうのようにぷくぷくだ。当然のことながら今の私とはまったく違うので、正直この写真だけ見せられてもこれが私かとは自分自身わからないなと思う。前後の写真があるし、父母に連れられているからわかるだけのことだ。

昔、父に小学校1年生の学校の集合写真を見せてもらい、どれが父か聞くと、たぶんこれだろうがとあやふやなことをいう。自分なのにわからないことがあるかと思ったが、そういうことだ。戦後すぐは写真はめずらしかった。面影もあるような、ないような、まあいい、この子だってことにしておこう。

だが、このあいだ中学の同級生を見かけたが、30年ぶりだというのにすぐに彼だとわかった。もちろん彼の家業の店で働いていたのを見かけたせいでもあるけど、10歳ぐらいになれば面影が明確に作られるのかもしれない。


これまでは何かというと7つの時の神社に参っていたが、少し遠いので、地元の氏神神社に行ってみる。あることは知っていたが、行ってみると意外に立派だ。私が行きたいがかなり行きにくい神社の末社もあって、ありがたいと思う。富士塚もあって、毎朝、富士登山だ。


祖母ゆかりの神社は、狛犬の代わりにうさぎがいて、かわいい神社。厄除け大福を買ったので、お福分け。七味売りも口上を述べていて、めでたい。