2019/04/09

今持っているもの

未来のことは 不確かなこと、あれがないこれがないとないものを数えやすいけど、今持っているものに目を向けようと思う。

少なくとも今現在、アトリエで制作できている。しかも昔よりも作業がしやすい。

以前のアトリエは、床に紙を置けなかったし、風が強い日はドアが勝手に開いたし、シャッターを下ろしてもガタガタ音が鳴った。急な来客があるかもしれなかったし、明日も連続して作業の続きができなかったから、材料もいちいち片付けなければならなかった。

今はこんなふうに3×6の紙を床に置ける。今日みたいに風が強くてもまったく影響がない。何日も制作を連続できる。火も使えるから、材料を煮ることもできる。

自分が持ってるものは「こんなのは」と卑下する癖がある。そうだよ、持ってるものはたくさんある。不安に絡め取られそうな時は、思い出そう。普通こういうものだからという世間的な常識に振り回されずに、ピンとこないもの、どうしてもやなことはしないでおこう。ずっと体調を崩していたのはそのせいだともっとよく知るべきなんだ。

2019/04/08

NYに行きたいっ!

NYに行きたいっ!と唐突に思った。

それで、NYに行きたいっ!と作品にも書いた。

このあいだ、たまたま知り合った人がNYでの展示を企画していると聞き、数日後、急に気持ちが爆発した。

NYはよく知らない場所だ。でも行きたいっ!

音楽はそんなに好きじゃないし、アメリカ文学もそれほど親しみがないし、と考えていたら、そうだ、植草甚一の『ぼくのNY地図ができるまで』があるじゃないか!と思い出した。あとは『バナナ・フィッシュ』のスタッテンアイランドフェリー。図書館はなぜか今は別に惹かれないけど、行ってみたら意外と楽しいかもなあ、フランスでも知らない図書館は楽しかった。CAT’sも観たいなあ、観たことないから。あとグッゲンハイム美術館にはいかなくちゃ! あのらせんの建物は絶対に観なくちゃ。MOMAでウォーホル観たらまたイイんだろうなあ、バーネット・ニューマンも観たい、、、。

いろいろ考えるうちに、それほど知らない場所でもないと思い直した。

だけど、そういう楽しみがあるからとかじゃなくて、大声で言うぞ、とにかくNYに行きたいっ!

雁皮紙はパリパリした紙質の和紙。透明度が高い薄口。

今日は和紙の専門店に行ってきた。フランス人の4人グループがあれこれ引っ張り出して何やら大量に買っていた。日本でしか買えないものなア。

和紙はアメリカでも買えるか聞いてみる。アメリカに行った時のことも考えておかなくちゃ。もちろん買えます、とのこと。それはアメリカで作られた和紙なんですか? いえいえ、日本で作られたものです。大きな紙の商社がアメリカとカナダにあって、日本から輸入しているとか。そう、なら安心だね(早手まわしに越したことはない)。

2019/04/08

WS「コーヒー染めで物語の地図を描こう」

コーヒー染めで物語の舞台の地図を作るワークショップを行いました。

はじめに物語の地図を既存の児童文学で例示します。エルマーのぼうけん、くまのプーさん、ハリー・ポッター、ムーミン。みんなも思い出してみて。お話にはシーンがあって、どういうところで物語が進むか舞台ってあるよね。自分の書いた物語の舞台となった場所の地図を作ってみよう。

1)コーヒーを鍋で煮だします。沸騰したコーヒー液に紙を入れて、5分程度煮ると、いい感じに色が染まっています。いい匂いがしてきた! お鍋を使ったりお箸を使ったり、お料理みたい。

2)アイロンをかけたあとは、2度付け。こうするとシミができます。地図の地形になったり、古い秘密の文書っぽくなったり。

3)乾かしている間に、割り箸ペンを作る。鉛筆みたいに削るんだけど、削ったことあるかな? 練習してから、さあチャレンジ。カッターで削るのがちょっとむずかしかったけど、コツをつかんだ後はうまくできた!

4)自分で書いた物語の舞台について、割り箸ペンにインクをつけて紙に地図を描く。割り箸ペンはね、プロの画家も使う技法なんだよ、と話す。同じ技法で描かれた絵を見せると、「あ、このあたり、ガサガサして割り箸ペンっぽい」と絵を観る目も違ってきています。

どうだった?

「コーヒーとか割り箸とか身近なもので工作したのが楽しかった」「なんでコーヒーで染まるんだろうと思った」ふむふむ。理科の実験っぽかったかも。

できた物語の地図

2019/04/06

パーティ

友人のキュレーターに誘われて、VOCA展の内覧会とレセプションへ。金沢の美術館長、神奈川県の館長、あちらは倉敷から、沖縄からもといった感じで、美術関係者が全国から集まってきていた。私もたくさんの人と名刺交換し、お会いしたかった方とも少しお話できた。遠方の方で、正式な紹介がないとなかなか会えないと思っていたのに! 知っていることを精一杯話す、なるべく共通の話題で。でも、ない場合は、しょうがない、自分のことを話すしかない。

わたしがナンダカンダと話しかける様子を見た友人は、「ヒナコさんは本当に社交的だよね! 初対面なのに何の話してたの?」と驚いたように言う。そう言う友人こそ社交的で、会う人会う人知り合いで、みんなあなたと話したがっている。そんなことはないよ、普段は引きこもって誰とも会わないよ、あなたと一緒にいると相乗効果みたいにそういう面が呼応して出てくるだけで、と答える。

こちらがあらかじめ知っている相手には、私が知っている相手の情報を話すようにする、自分に興味がある人に人は好感を持つものだから、とは先日受講したEnglish Presentation の講師が話していた内容だ。でも、すでに知っていることを聞いてどうだというのだろう、だって、それについては自分が既によく知っているのだから。それより、知らない人と知り合うのがパーティだとすれば、相手が知らない私自身のことを話したほうがいいのだろうか。

その日私が会いたかったのは、S氏とM氏だった。S氏は、私が月に一度出席している勉強会の先生の友人で、ちょうど講義でも話題に上がっていた方だ。勉強会のメンバーでと自己紹介すると、親しみのある表情をなさった。M氏は、以前あるアートイベントで講演されたのを私は聞いていた。そのことを話し、その時に通訳をした友人のことを話した。あの時ね、とうなづかれていた。私という人間を立体的に伝えることができたのではないかと思う。

いずれにしても、紹介してくれる人がいるパーティというのは、居やすく、自分の良い部分が自然に出る場は、伸び伸びできていいものだなと思う。本来、自分はこういう人間だったと思い出せた。

おいしいフィンガーフード

オープニング挨拶

2019/04/06

そちらは熱いが、あちらはぬるいです

「そちらは熱いが、あちらはぬるいです」

問いかけたわけではないのに、顔が合ったとたん、手で指して教えてくださる。

「この辺が、ちょうどいい」(P.16)

台湾で、地元の人ばかりが通う銭湯に行った。日本の銭湯でもそうだが、ローカルな入り方というかマナーを知らずに怒られたりしないか、日本人だからと意地悪をされないか、裸だから無防備だしとびくびくしながら入っていったが、私が熱いほうの湯船で、アッツーと顔をしかめていたら、近くの人が指でこっちがぬるいよ、と教えてくれた。私は「あーちょうどいい、シェイシェイ、so comfortable」と言ってみた。すると、その人は嬉しそうにうなづいた。今思い出しても心が温まる体験だ。温泉ってどこでもそういういい感じのものだよなと思う。

私たちが上がるときに、ちょうど入れ違いでこれから入浴する別の女性から、タオルを忘れちゃったから貸してほしいと手ぶり身振りで頼まれた。私たちはとてもびっくりしたけど、いいよと手ぬぐいを渡した。意地悪どころか仲間うちのように扱われて、驚きながらもうれしかったことだった。

☆アナログハイパーリンクな読書
『湯けむり行脚 池内紀の温泉全書』(池内紀)→台北 北投青磺名湯

2019/04/05

懐かしい過去との再会

3月は不思議な月だった。

7年前、フランスにワークショップ研修に一緒に行った仲間から、会わない?と急に連絡があった。

そのちょっと前に、その研修に行く直前、パリに行くからと読んでいた2冊の本のうちの1冊『パリを歩く』の著者に会ったばかりだった。

あれからもう7年もたってるんだなあと思っていたところへ届いた友人からの連絡に、ぜひ会おうと二つ返事。

どこ行く? と聞かれて、期間限定のサウナイベントどう?と言ってみた。ロウリュという、焼いた石に水をかけて熱波をタオルで人が送ってくれる方式のサウナに誘った。

友だちは内心ぎょっとしたようだ。私としては、別に気持ちがいいものだからいいんじゃないかと思ったんだけど、考えてみれば唐突だったな、サウナってそんな一般的でもなかったか。

このところ体調を崩して外に出かけられずにいて、このままサウナイベント終わっちゃうな―とがっかりしていたのが、やっと身体も治ってきたので、ダメ押しでサウナで「ととのって」みたいと思っていたのだった。渡りに船、ではなく、船を自分が引き寄せた恰好だ。

え、サウナ?なんで?と思ったという彼女だけど、蒸されながらいろいろ話していくうちに、ドイツとスウェーデンでサウナに入ったことがあるという。なーんだ、よかった。私が「フィンランドに建築ツアーに行ったときにさ、湖畔に建つサウナ小屋に一晩だけ行ったんだ、氷の張った湖に穴が開いていて、そこで体を冷やしたんだよ」と話すと、彼女は彼女で「ドイツではねサウナは男女混浴なんだよ、最初びっくりした」と海外の本格サウナ話で盛り上がった。

仲間の近況を聞くうちに、フランス研修のときの記憶がよみがえって、過去から手紙をもらったような気がした。思えばさほど知らない仲だったが、研修中2週間も寝食を共にし、彼女とは帰国後も報告書を一緒に苦労して編集したので、なにか同級生のような気やすさがあった。だからサウナにも誘えたのだったっけ。

☆アナログハイパーリンクな読書

『パリを歩く』(港 千尋)→フランス研修

『はじめてのサウナ』(タナカカツキ)→『マンガ サ道~マンガで読むサウナ道~(1) 』(タナカカツキ) 「ととのう」感覚が書かれている。「ととのったー」というサウナトランス状態になるには、水風呂が必須とのこと。

私は凧かなと思っていたこれは、ドリームキャッチャーという悪夢を取り払ってくれるものだと友だちが教えてくれた。ぜひともお願いしたい。

2019/04/03

おみおつけ

先日、下北沢に用事があって、初めて行くところだからといろいろ調べていたら、吉本ばななのブログに行きあたった。

松浦弥太郎のレシピ通りにパルミジャーノ・レッジャーノを削って作るホットドッグがおいしいと書いてあって、わたしもぜひ作ってみたいと思った。

松浦さんは、「おみおつけ」と言っていた。

うちでは頑なにおみおつけと言っていたけど、学校の友達は皆味噌汁と言っていてわたしは口にしてみてもその言葉にどうしてもなじめなくて、といって、おみおつけと堂々と言う勇気もなかった。へんなのー、おみおつけってなあに? 味噌汁でしょう? 子どもの頃は自分が他と違うことに恥ずかしさを感じていた。でも、松浦さんと同じならよかった。

よくこしらえるのはおみおつけだ。(略)ちなみに、みそ汁のことを我が家ではおみおつけと言う。(P.82)

ちなみに、おみおつけって三重敬語なんだろうか。

☆アナログハイパーリンクな読書

吉本ばなな→松浦弥太郎『明日、何を作ろう』

https://www.kadokawa.co.jp/product/321609000672/

2019/04/03

ヤービごっこ

『岸辺のヤービ』本の題名と表紙の絵を見て、ページをぱらぱらとめくって、勝手にこんな話かなと想像をめぐらす、ごっこ遊びのように。

たぶん、ヤービというのは、この主人公の名前だろう、葉っぱがかなり大きく描かれている、おそらくかなり小さい動物だ。岸辺というからには、海か川沿いに住んでいると思われる。それで、このヤービは肩掛け鞄を持っている。きっと、この子の冒険の話だろう、バッグにはお弁当とたぶんナイフなんかが入っているのだと思う。冒険にでかけて、ゆくさきざきで他者と会って、自分が何者かわかる旅。

ちらりとページをめくると、パパヤービとママヤービというのが見えた。家族で暮している、あるいは一族で暮しているのかもしれない、ムーミンみたいに。パパとママと離れて、迷子になって、でも最後には家に帰りつくのかな、お前、がーがーがーって鳴いてごらんとか言われて。

大きい人が出てくるようだ。そうか、佐藤さとるのコロボックルのせいたかさんのような人が出てくるのかもしれない、アリエッティのように見られてはならないのかも。それともピーターラビットのように、人間とは仲良くはならないのかしら。

 

読んでいく。

あ、やっぱりムーミンパパのように本を書いているし、ママは実はお転婆だ。このスーツはほしいなあ、詩人が出てくる、あこがれの存在だ、そう思っているうちに、だんだん梨木香歩の独自の世界に入り込んでいく。自分が自分であること、どうやってわれわれは生きのびていくか、何を食べ何を仕事とするか。子どもができることとおとなができること、やるべきこと。

全体に、イギリスの児童文学に雰囲気が似ている。「たのしい川べ」とか。草木や動物に魂が宿るとするアニミズムがある。私たちがイギリスのお話に惹かれるのは、共通して感じる文化があるからかもしれない。

追記) 川に散歩に行った。まっ白な鷺がいて嬉しい。緑が萌え出て春だなーと思う。

☆アナログハイパーリンクな読書

梨木香歩『岸辺のヤービ』

https://www.fukuinkan.co.jp/detail_page/yabi/

2019/04/03

植物と古典とファンタジー

梨木香歩『家守綺譚』
植物と古典文学とファンタジー、私が好きなものでできた短編集。話者が見聞きした不思議な話をしていく。中学生のときに書いた小説を急に思い出した、あれはこんな話にしたかったのだと思う。

中国に窓から美女が入ってくる古典があるが、本作では、掛け軸の中から亡き親友が訪ねてくる。時代は明治期のようだ。「庭球部」とか文明開化が身近で、電話もなく友人が訪ねてきて、話をしては帰っていく、少しだけ昔の話。

冒頭、庭木のサルスベリに恋をされて、いや、やはり懸想されてのほうが感じが出る、懸想されて、本を読んでやるシーンがある。
それを読んだとたん、庭にサルスベリを植えたくなった。わたしもたまに本を読んでやりたい、枝を揺らさせて喜ばしてやりたい。
リュウノヒゲも植えたくなった。あの青い、ツヤツヤした青い宝石みたいな実が庭にあったらいいだろうなあ。小さいころ、一日中遊んでいても飽きなかった祖父母の家の庭を思い出す。

サルスベリにも好みがあって、好きな作家の本の時は葉っぱの傾斜度が違うようだ。ちなみに私の作品を読み聞かせたら、幹全体を震わせるようにして喜ぶ。かわいいと思う。出版書肆からはまだまともに相手にされないが、サルスベリは腐らずに細々とでも続けるように、と云ってくれている。(p.12)

先日、知り合いのギャラリーで油絵を観ていて、それは山の絵だったのだけど、そのギャラリスト曰く、絵には山と海があるけどどっちが好き?。山派か海派ってこと?、犬派猫派みたいな感じだね。それぞれ自分はどっち派かという話になって、今までそんなこと考えたことなかったけど、あらためて考えてみると、私は海沿いで生まれたから海の絵はなじみがあるかもなあ、と言った。今住んでいるところは川のそばで、海がないから不満を感じることもある、たまに海を見たくなる。

そんなことを考えていたのだけど、作中、湖から水路ができて、その水が庭の池にそそぎこんで、河童やちいさな人魚が迷い込んできたり、川沿いでカワウソが釣りをしたりしているのを読むと、川もいいものだなと思う。時折へびが出るから油断がならないし、川沿いの道は互いにすれ違うほどの細さで挨拶が面倒でおっくうになっていた散歩に、行ってみようかという気になった。怪しげな長虫屋がへびを追っているかもしれない。

☆アナログハイパーリンクな読書
梨木香歩『岸辺のヤービ』→梨木香歩『家守綺譚』https://www.shinchosha.co.jp/book/429903/

2019/02/25

「あっ、すでにヤラレテタ!」

秋に行った神代植物園の温室で私は、この湿気でむっとした熱帯の甘い香りの中を歩き回る感じって、写真に撮っても伝わらない、なかなか他者に伝えることは難しいなあ、と思っていた。試しにトラノオの葉の群生の中に顔を突っ込んでみた。あ、この感じ、体全体が包まれる感じは少し近い。でも、視覚的だけではないこの体験の再現、伝達は難しい。

神代植物園の温室のトラノオ ここに顔だけ突っ込んでみた。

ソトのインスタレーション作品を観に行った。天井から青いビニールの糸が釣り下がっていて、外からは脆弱な青い箱に見える。しかし、鑑賞者はその箱の中に入っていける、スーッと浸透するように。鑑賞者は作品の中を通り抜けるときに空間に囲まれる体験を与えられる。自分の近くのビニール糸は大きく揺れて、遠くの糸は静止したまま、自分の背後にも林立する糸を感じる。この視覚的体験と触覚的体験の複合は、草深い森に分け入る感覚に似ていた。

あっ、この感じは、植物園の温室の中だ、とわたしは思った。何度も作品の中を行き来して、五感を使った感覚を堪能した。


ソト 《Pénétrable BBL Bleu》(エスパス ルイ・ヴィトン東京)

昨日、自作の制作について「読めないテキスト」「読ませないテキスト」の一つの手法として鏡文字なんかもあるなあとぼんやり考えていた。画像反転させれば簡単に作れそうだ、、、。

行った先のカフェ併設の本屋さんに平置きされていた本を見るともなしに見ていたところ、一冊の本のタイトルが読めそうで読めない、日本語なのに。不審に思って手に取ってひっくり返すと、表表紙のコラージュごと左右反転させた裏表紙だった。だからか! 日本語とすぐにわかるのに、頭をひねることになったのは。まるでわたしを見透かすように、冗談みたいに植草甚一の本が裏表紙で置かれて、突然目の前に思っていたことが現実に立ち現れるなにかの啓示かと思う出来事だった。

 

☆アナログハイパーリンクな読書

神代植物園→ヘスス・ラファエル・ソト 《Pénétrable BBL Bleu》1999年 Pénétrable は浸透可能なるもの、BBLは展示場所のブリュッセル・ ランベール銀行の名前、Bleuは青、の意。

自作制作→植草甚一『ワンダー植草・甚一ランド』

ワンダー植草甚一ランド