月別アーカイブ: 2020年4月

自分に合ったことをちょこっと 南天と月桂樹のリースとピアノ

年末からプライベートでも問題があって何かと落ち着かないので、お守りの意味を込めて、リースを新しくチェーンジ! 「難を転じる」南天と「空気を清浄にする 勝利の意味もある」月桂樹のリースを作った。

南天は鬼門に植えるといい植物なので、悪いものが入ってこないように、厄除けの意味も込めて門に飾った。

 

手を洗う洗面台には、月桂樹のみのリース。これで強力に空気が清浄されるわけではないけど、心理的な効果はありそうだ。ウィルスを洗い流す、持ち込まないと考えながらの手洗いは、思いのほか神経を遣う。消毒の塩素の匂いも緊張感がある。手を洗うたびにほのかに甘い香りがする、気持ちがほぐれる。


先日、友人に「あなたは絵がかけていいわよね、家にいるときなんか絵が描けたらなあと思うのよ、手作業すると気が休まるから」と言われたが、うーん、とごまかしておいた。

私は制作していると、ときに記憶がよみがえって苦しくなったりすることがあるから、気がめいった時には制作はキツイ。それに、やるぞーと気合を入れないと制作はできない、なぜなら私の制作は、、、なんていう話はややこしくなりそうだったので、黙っていた。

そもそも、めんどくさがりやだから、簡単にちょいちょいっとできることぐらいしかやりたくない。リースはすごく簡単なのに、出来栄えがイイので、いい塩梅だ。

音楽を聴くと癒されるという人もいるが、私は聴くより自分でピアノを弾くほうが気分転換になる。それで今月、えっちらおっちらピアノを弾きはじめた。弾ける曲を好きなように弾く。

ふと思い立って、グノーのアヴェ・マリアを弾いてみた。クリスチャンでもないのに、落ち着く。バッハのプレリュードだからかもしれない。静かで、元に戻る感じがする。

くだんの友人には、じゃあ塗り絵なんかとおずおずと言ったら、「ミシンでぬいものをしてる、マスク作ったんだ」と見せてくれた。なーんだ、それでいいんだよ! ホッとした。私自身塗り絵はすぐ飽きて好きではないので、すすめたいわけではなかった。

こういう時は、「自分」の「今」に合ったことを「ちょっと」やってみるっていうのがいいと思う。違うなと思ったらやめればいいしね。他人の言う、これがいい、あれがいい、というのに振り回されず、ストレスを増やさないように暮らしていくのがいいのではないか。

はらぺこひなむし

庭のそこここに芽を出したドクダミを鉢に集めて育てることにした。『王国』っぽくお茶にしようとか、まあ言ってるだけだけど。

よしよし根付いたな、と見てみると、あおむしが茎に沿ってしがみついている。まさに、はらぺこあおむし。セリを食べたら許さないが、どんどこ伸びるドクダミならよし、どんどん食えばいいさ。あおむしも育てている気分。

家にいる暮らしは、なぜかなにかとおなかがすいて、朝、昼、おやつ、夜、と4食キッチリ食べている。もうおなかすいたのー?と自分でもおかしい。まさに、はらぺこひなむし。

 

☆アナログハイパーリンクな読書
どくだみ→『王国』(よしもとばなな)、『はらぺこあおむし』(エリック・カール)

明るい話も、暗い話も、どちらもしたくなくて、

明るい話も、暗い話も、どちらもしたくなくて、更新してなかったけど、外に出ない暮らしもだんだん慣れてきたので、まとめて最近の報告などを。

3月は、「FACE展2020」が会期途中で閉幕になった。美術館も休館し秋にリニューアルだから、この館は本展で終わり。だからわたしは最終日は最後まで会場にいた。マスク姿の館長が最後の客を見送っていたのが、なんとも物悲しかった。

静岡での「紙わざ展29」展示も3月までだったのが2月末で終了。今後、全国巡回する予定だったが、今後のことはまったくわかっていない。

銅版画は、ビュラン作品の完成したものを納品してきた。額の色が家具の色とマッチしていて、すごくいい感じだった。額装すると、また感じがかわるものだ。

 

 

そんなふうに3月が終わり、4月、絵画教室の休講を決定した。最後の最後までオンラインでの実施を模索していたが、総合的に考えやめた。

自身の制作としては、4月からペンタブに挑戦している。デジタルをやってみたいとかねがね思っていたが、踏ん切りがつかずにいたが、まとまった時間が取れる今かと思う。

 

毎日まいにち状況が変わって、考えも一変する暮らし。コロナ記事を追いすぎてしまい疲弊する。『猿の惑星』だよな、と冗談めかしていたのはもう過去の話で、NYやイタリアの状況を知るにつけ、おそろしくなる。今後のことを考えるとよくない妄想ばかり浮かぶ。

3月は先のことも考えられずにいたが、4月には覚悟が決まった4月も後半になり、消毒のやり方や買い出しの方法も何度かやってみてこうすればいいという安心感が得られるようになり、引きこもり暮らしにも一定のリズムができてきた。今後も状況が変わればそれに合わせていく必要があるから、気は緩められないストレスの中で生きている。

毎日の暮らしを楽しもう、というような前向きな気分にはなれないが、こんな暮らしにも楽しみを自分に与えていくことが大事かと思う。

高齢の母とは当分会わないことにしたので、ウェブミーティングのテストをしてみた。母は、「午前中にお風呂に入って、久しぶりにお化粧しちゃった!」と、SF小説が現実になったようだとはしゃいでいる。万が一、お互いが隔離されたときの備え、ということはあまりわかっていない。でも、それでいいと思う。話に夢中になると、どんどんモニタに近づいてくる。ママ、近寄りすぎ、顔の下半分が見えてないよー。

 

命をいちばんに考えたいという気持ちが強くなった。

今まで、命があぶなくなる場面が幾度かあった。スレスレのところをすりぬけてこられたのは、ただただ、幸運だっただけだ。なぜ、命よりも大事だと思ってしまったのか。あのとき、あの行動は、正しかったのだろうか。今回も大丈夫との保証はない。今回こそ、今までの反省を生かすときではないか。生き延びる、ということばが現実味を帯びている。

 

みなさまも、どうぞ御身お大切に。