日別アーカイブ: 2020/01/08

銅版画始めました

今月から期間限定で銅版画を習い始めた。このあいだ最初の講座だった。

その楽しさを熱のあるうちに書いておきたい。

 

奥のアトリエに案内された瞬間、何ここ―!と思った。とにかく素敵すぎる。

銅版画制作には薬品や大きな機械が必要で、瓶や大工道具がごちゃごちゃとおいてある奥には、錆色のシンクがあって、鋳物工場のような雰囲気だ。

壁には画集と本が並び、上方には額に入った絵と展覧会のポスター、ボードに貼ってある古い展覧会のチケットが色あせている。誰か作家の作品らしきものも無造作に架けてある。作業用の大テーブルには、外国映画のフライヤーが挟まっていて、クッションが重ねられた椅子に座ると、隣りでは昔ながらの石油ストーブの上でヤカンがしゅんしゅんいっている。

ロスコと駒井哲郎のポスター、浜口陽三の画集、コーネルの本がある、石元泰博が亡くなった記事の切り抜きも。モナリサーと歌う洋楽が聞こえる。

初めてなのにずっとここにいたような気になる。ここは外国の山奥の小屋で、外は雪が積もっていてわたしたちはここで一日中こもって作業をしているのだ。銅版画はドイツとか北欧とか寒い地方で発達した芸術なんですよ、今日みたいな日に作業するのはピッタリですという講師のことばを聴きながら、アキ・カウリスマキの映画のフライヤーに励まされ、つるつるとニードルで描いていく。雪でもなんでも降ればいい。

 

12月からの体調絶不調と鎮守参拝

12月初め、耳の不調を得て、続いてせきが止まらなくなった。咳は以前も出たしとそのまま放置していたら、1月におそらく耳が原因で高熱と悪寒、さらには生涯初のリンパが腫れる経験をした。

12月はそれでも毎日、開運活動として地元の鎮守神社に参った。

それで新年明けていつものこととして行ったら、いつもは閉じている末社の稲荷の扉がなんと開いている!

これが「御開帳」というやつか、と驚いた。

小さな稲荷社の周りには、狐の石像がずらりと並び、それ以外に中小の陶器の狐も所狭しと並んでいて、いつもこちらを見ている。特に石像は目にまなこがないせいか白目にも見え、最初行ったときは怖いと思った。小動物は苦手だ。

それにもだんだん慣れてきたころ、元旦の御開帳で、最初、見てはならないもののような気がして恐る恐る覗くと、扉の内にもきょんきょんと何匹もいて、やはりこちらを見ている。ぎょっとしたが、秘密を知ったような気もして親しみもわき、翌2日には、かわいいのがいるなと思えるまでになった。

 

そんな12月と1月に読んだ梨木香歩『f植物園の巣穴』、『椿宿の辺りに』には、偶然にも稲荷が出てくる。なんだか符号が合う気がして、読んでいた。

最初は狐使いなどと不穏な表現があって、そうだ、わたしもちょっと怖かった、などと思いながら読む。そのうち、稲荷に言われて、とか、そういう話になる。そのころには私も鎮守の稲荷社に慣れている。

具合が悪いのもそうだ。冒頭、どちらも身体の不調、痛みから始まる。私も調子が悪い、と思いながら読んだ。

 

『椿宿の辺りに』には、兄弟喧嘩が幾世代にも渡っていくつも出てくる。

「そもそも、このお屋敷であった惨劇は、兄弟喧嘩が原因でしたね」(略)兄弟葛藤、と単純に言い切れるものでもない。確かに父と叔父は仲が悪かった。(略)つまり多少の濃い薄いがある程度の「仲の悪さ」などどこにでもあるようなもので、(後略)(『椿宿の辺りに』)

私はハッとする。そういえば、わたしの身の回りにも兄弟の葛藤がいつもあったことに。あれもそうだ、これもそうだった、と思う。こんなにも多かったか。みな苦しい関係だったのだなと思う。多くすでに亡くなった人たちだが、小説の中でそれが解決され、彼らのためにわたしもホッとする。

そういえば、宙彦さんも「誰にも共有されない」という言い方を手紙のなかでなさっていましたね。誰にもわからないだろうと思われるような、個人の深いところで、私たちはつながっているのかもしれないと、今、ふと思ったところです。全体とつながっている、と言った仮縫氏の言葉が、思い出されます。つながっているーー死者も生者も、過去も未来も。もしかしたら。(『椿宿の辺りに』)

 

☆アナログハイパーリンクな読書
梨木香歩『椿宿の辺りに』→『f植物園の巣穴』←神社参拝