月別アーカイブ: 2019年6月

2019/06/28

サム・フランシス

先日知り合ったギャラリストから展覧会のDMが送られてきた。どこにあるどういうギャラリーなんだろう? webサイトを調べてみる。過去の、それこそ開業当初に、サム・フランシスの作品を扱ったようだ。小さなモノクロの画像にわたしは惹きつけられた。

観たいなあ、どこかで展示ないかな、数年前に大きな個展があったのか、残念。

諦めかけていたが、さらに調べると六本木のリッツカールトンのラウンジに大きな作品が常設されているという。なんと!

そして、コーネル目当てで行った川村美術館でも偶然、展示中だった。

今自分の取り組んでいる新作に通じると思う。そういうことじゃなく、ただ観に行ったのだけど、ちょうどいい時に観られたと思った。

自分の作品はモノクロだけど、シャガールとかマチスとか、色彩が鮮やかな作品に惹かれる。

サム・フランシス《無題》 リッツカールトン東京

H:4270 mmとのこと。現場で見るともっと大きく見えた。高い位置に架けてあるせいか、イメージが大きいせいか。

 

リッツカールトンのアフタヌーンティは目にもきれいだし、おいしいし、ゆっくりできたしで、3人でずっとおしゃべりしてた。山口に行くお友だちのお別れ会も兼ねて。

2019/06/24

花と蝶

グリーンショップの温室にウォーホル『花』のポスターが掛けてあった。緑ばかりのむっとする中に鮮やかな色。これはセンスがいいね。

ウォーホルつながりで、川村美術館のシャトルバスのウォーホルバージョン。

日本画の部屋がなくなって、代わりにウォーホルとかの部屋になっていた。ラウシェンバーグの原画を初めて観た。

 

アトリエにやってきた蝶。草間作品そのまま。

 

2019/06/22 2019/06/22

手遅れにならずに済んだ話2件

ギリギリアウトだった話が2つある。どちらも肝が冷えた。

一つは展示。エントリーをどうするか決めかねていて、新作の進捗状況が見通しが立つまでは、そもそも出展していいものかどうか、どういう展覧会なのかよくわからないしなあ、出展による悪い影響も吟味しないと、どうしようかなあ、などと考えていて、でも、詳細を確認だけでもしておこうとウェブページを見てみたら、「すでに応募は締め切りました」。

文字通り膝から落ちた。スーッと体から熱が冷めていく、漫画みたいに。その瞬間、私は自分の本心を悟った、自分はとにかく出展したかったんだ、展示に期待していたんだ、と。行動に移さずにグズグズして私は大きなチャンスを失ってしまった!

だが、どういうあれでわかったのか覚えていないが、私が見たのは数年前のページで、今年分はまだ締め切っていなかったことが判明した。なーんだ、ほっとした。おかげで心が決まった、ゴチャゴチャ考えずどんどん申し込んでしまえ。

 

もう1件は、レンタルサーバーの更新契約について。

このところメールの管理をしていなかったので、リマインドメールが届いていても、広告だろうと思いこんでいた。すると、昨日で契約終了です、というメールにたまたま気づいた。サーバーは使えない、となるとこのホームページはすべて失われる。これまで6年間コツコツ作ってきた時間と労力を思うと、絶望した。

つい最近クレジットカードが更新されたのに、古いままの登録だったので、引き落としできなかった模様。支払いにはユーザーページにログインしろという。しかしログインできない。当然だ、もうユーザーではないのだから。このところの自分のずぼらさを呪った。

ユーザーでないと、メールでしか問い合わせができない。そうこうしているうちにウェブページが消えてしまうかもしれない。バックアップは取れない。何よりドメインがほかの人に移ってしまっては取り返しがつかない。焦る。何も手につかない。震える指でメールを打った。メールは送ったら送りっぱなし、電話みたいに相手にリアルタイムで確認できないツールであると痛感した。刻々と時間は過ぎていく。

結果的に、パスワードが違っていたせいで(私が失念しただけ)ユーザーページは生きていて、無事ログインできて、2日遅れで入金し、契約は途切れることなく継続できた。契約終了即削除とはならず、数日の猶予があるようだ。私みたいのがいるからだろう。本当に助かった。

とにもかくにも解決し、そのおかげでこうして更新できている。出展も決まった。

今回のことを反省して、契約内容を見直し、配信メールを最低限にし、保留にしていたメールも思い切ってゴミ箱へ、今後の行動ルールも決めて、ごちゃごちゃ考えずに反射的にアクトするようにした。

スッキリした。

(ただね、何でもかんでもログインだ、パスワードだ、という社会のしくみは本当に何とかならないかと思う。そんなことが膨大にあって管理しきれないよ。今だって面倒なんだ、年寄りになったらどうなってしまうのか。電話で支払いないけど契約終了ってことでいいのかい?とか確認してくれたらいいのに、と思う。その分高額になる、と言われればそれも嫌だよ。何もかもが嫌だよ。そういうことじゃないんだ、疎外されているということなんだ。考えてみれば、上述のトラブルはすべてデジタル化に起因している。こういう問題の解決こそAIに期待したい。)

 

失って初めてわかることって話は本当にそこらじゅうにあるけど、疑似的に失う経験をしたおかげで、犠牲を払わずに気づくだけで済んだ。運がよかったと思う。

2019/06/22

ちょっと疲れたので、心が楽しむ制作をしよう

新作を制作しているが、新しい素材なのでわからないことだらけ。実験ばかりでやになってしまった。

このままだと頭がおかしくなる、気が付いたら全然違う方面を彷徨っていた、なんていうことになってしまう。これは息抜きしないとだめだ。あっちは少し寝かせておいて、自分自身が楽しいと思う制作をしてみよう。

「かわいいさかな」

 

「急降下する怖い鳥」

 

「軍曹鳥」

 

「蟲」

 

同時に、絵画教室の美術館ツアーで秋にレオ・レオニを観にいこうかと思い、芸術鑑賞のワークショップの企画案を考えた。「スイミーと同じ技法で模写してみよう! 身の回りにあるものでスタンプを作ろう! スタンプで自分の絵を描こう!」

小さい魚はスチレンボードで作ったが、あとは、クリップ、せんたくばさみ、ペットボトルのふた、冷蔵庫にあったゴーヤ。お化粧用のスポンジに絵の具をベタベタつけて、スタンプにした。

 

たのしい、たのしい。うまくできた!

魚つながりでちょうどいい。

2019/06/22

たまたま拾ったもので、行き先を左右されたり、見通しがつかないほうへ行く羽目になったりすることってあるんじゃないか

何かの用でヒカリエに行って、上のほうに渋谷が見渡せる階があるよと聞いて、なぜだかそこに唐突に美術展のフライヤーが置いてあって、そこで見つけたある展覧会の画像が、なんとなく知っているような気がしたけど全然思い出せない。知らない作家でただの勘違いのような気もした。他人が良い作品作ってるのを観ると落ち込むから、本当はフライヤーなんか持って帰りたくなかったんだけど、なんだか気になったのでもらって帰ってきた。そうだ、思い出した、洋服のセールに行ったんだった。

うちに帰ってフライヤ―をじっと見る。あの時はいいと思ったけど、だんだん少しやだなという気持ちがしてきた。いやだというより、不穏。というか、心配になる感じだ。

ふと思い出す、これ、昔に好きだと言ってた絵本かもしれない。

友人に確かめてみる。そうだった。「あなたがこれ今話題の作家だよって勧めてくれたよ」

と聞いても自分ではあまりピンとこない。でも、私がいかにも好きそうな感じだ。なつかしく、でも見たことがない場所、どこでもない国、nowhereだなんて。

youtubeに映像があったので、観た。帰属意識をテーマにしている。私が興味がある分野だ。

ロスト・シング。迷子を保護する話だけど、迷子でもあり、落とし物、なくしたもの、とも読める。だから訳者はわざと英文のままのタイトルにしたのだろうか。なくしたのは、あちらではなく、こちらではないか。

評判が良い新刊も読んだが、これはよくわからなかった。不穏さが増している。これってどういう意味なんだろう?この不穏な感じって。最後の芭蕉の句、なぜ? どんどん興味が増していった。

もう一度読み返してみようと思って、図書館で借りた、手に入る限りすべての既刊本を。

『エリック』の最後のシーンで完璧に思い出した、これは昔知ってた本だ!

作者のトークイベントに行くことにした。

ショーン・タンの絵本の中の人のような、連れられ方だと思う。たまたま拾ったものをきっかけに、意図とは違う方へ引っ張られ、いつのまにかそこに着いている。

 

☆アナログハイパーリンクな読書

ヒカリエ→ショーン・タンの世界展(ちひろ美術館・東京)→ショーン・タン
『アライバル』『見知らぬ国のスケッチ』『遠い町から来た話』『エリック』『鳥の王さま —ショーン・タンのスケッチブック』『ロスト・シング』(ムービーも)『夏のルール』『セミ』(新刊)→ショーン・タン トークイベント「ぼくのアトリエへようこそ」(日本女子大学)