日別アーカイブ: 2018/06/17

2018/06/17

だるまちゃんだった

アトリエの門の前にヤツデが植わっていて、わたしはいつもそれを見るとだるまちゃんのことを思い出す。てんぐちゃんみたいなうちわがほしいよう。

(だるまちゃんは)まだ幼い子どもですから、てんぐちゃんが持っているものがうらやましくてしかたがない。家に帰ると、お父さんのだるまどんに「あれが欲しい」とねだります。(かこさとし『未来のだるまちゃんへ』)

 

ちいさいだるまちゃんは なきそうになって
おこっていいました。
「ちがうよ ちがうよ まるでちがうよ」
(かこさとし『だるまちゃんとてんぐちゃん』)

鼻を花と間違えたお父さんに向かって、目を三角にして鼻の先にげんこつを2つ重ねて抗議するだるまちゃん。「ぜっんぜんワカッテナイ!」というポーズ。

子ども時代ってそうだった。あまりにも怒ると泣いちゃうよな、親が自分をわかってくれないと思うよな、おねえちゃんと同じものがほしくて「自分も!」って思うよな。昔は、だるまちゃんの視点で読んでいた。だるまちゃんは実際、かこさんが接してきた多くの子どもたちがモデルだそうだ。

でも、わたしはもう大人になった。

だるまちゃんが可愛くて仕方がないお父さんのだるまどんは、(略)
(かこさとし『未来のだるまちゃんへ』)

家じゅうの赤い花を集めてくれただるまどんの気持ちもわかるようになった。だるまどんを通して、両親や祖父母が自分のことを可愛くて仕方なかったという事実を知る。

あんなにトンチンカンだっただるまどんが、最後は大活躍してお餅で鼻を作ってくれるのもいいなと思う。最後は親が自分のことをわかってくれる、という安心を子どもに与える。何度も同じシーンが繰り返されるように見えて、ちゃんと構成されていることに気づく。

そういえば小学生のとき、学校に持っていくヤマト糊がないと泣きながら言ったら母は朝、米から糊を煮てくれた。小さなせっけん入れに入れて持っていったら担任の先生は何も言わなかった。「いい糊だね」と思ったのかもしれない。

それにしてもだるまちゃんはえらいなあ、ないなら自分で作ろうと考えるとこ。子ども時代ってわたしもそうだったろうか、もう忘れてしまった。

☆アナログハイパーリンクな読書
かこさとしさん逝去→かこさとし『未来のだるまちゃんへ』→『だるまちゃんとてんぐちゃん』