カテゴリー別アーカイブ: column

2019/06/22

手遅れにならずに済んだ話2件

ギリギリアウトだった話が2つある。どちらも肝が冷えた。

一つは展示。エントリーをどうするか決めかねていて、新作の進捗状況が見通しが立つまでは、そもそも出展していいものかどうか、どういう展覧会なのかよくわからないしなあ、出展による悪い影響も吟味しないと、どうしようかなあ、などと考えていて、でも、詳細を確認だけでもしておこうとウェブページを見てみたら、「すでに応募は締め切りました」。

文字通り膝から落ちた。スーッと体から熱が冷めていく、漫画みたいに。その瞬間、私は自分の本心を悟った、自分はとにかく出展したかったんだ、展示に期待していたんだ、と。行動に移さずにグズグズして私は大きなチャンスを失ってしまった!

だが、どういうあれでわかったのか覚えていないが、私が見たのは数年前のページで、今年分はまだ締め切っていなかったことが判明した。なーんだ、ほっとした。おかげで心が決まった、ゴチャゴチャ考えずどんどん申し込んでしまえ。

 

もう1件は、レンタルサーバーの更新契約について。

このところメールの管理をしていなかったので、リマインドメールが届いていても、広告だろうと思いこんでいた。すると、昨日で契約終了です、というメールにたまたま気づいた。サーバーは使えない、となるとこのホームページはすべて失われる。これまで6年間コツコツ作ってきた時間と労力を思うと、絶望した。

つい最近クレジットカードが更新されたのに、古いままの登録だったので、引き落としできなかった模様。支払いにはユーザーページにログインしろという。しかしログインできない。当然だ、もうユーザーではないのだから。このところの自分のずぼらさを呪った。

ユーザーでないと、メールでしか問い合わせができない。そうこうしているうちにウェブページが消えてしまうかもしれない。バックアップは取れない。何よりドメインがほかの人に移ってしまっては取り返しがつかない。焦る。何も手につかない。震える指でメールを打った。メールは送ったら送りっぱなし、電話みたいに相手にリアルタイムで確認できないツールであると痛感した。刻々と時間は過ぎていく。

結果的に、パスワードが違っていたせいで(私が失念しただけ)ユーザーページは生きていて、無事ログインできて、2日遅れで入金し、契約は途切れることなく継続できた。契約終了即削除とはならず、数日の猶予があるようだ。私みたいのがいるからだろう。本当に助かった。

とにもかくにも解決し、そのおかげでこうして更新できている。出展も決まった。

今回のことを反省して、契約内容を見直し、配信メールを最低限にし、保留にしていたメールも思い切ってゴミ箱へ、今後の行動ルールも決めて、ごちゃごちゃ考えずに反射的にアクトするようにした。

スッキリした。

(ただね、何でもかんでもログインだ、パスワードだ、という社会のしくみは本当に何とかならないかと思う。そんなことが膨大にあって管理しきれないよ。今だって面倒なんだ、年寄りになったらどうなってしまうのか。電話で支払いないけど契約終了ってことでいいのかい?とか確認してくれたらいいのに、と思う。その分高額になる、と言われればそれも嫌だよ。何もかもが嫌だよ。そういうことじゃないんだ、疎外されているということなんだ。考えてみれば、上述のトラブルはすべてデジタル化に起因している。こういう問題の解決こそAIに期待したい。)

 

失って初めてわかることって話は本当にそこらじゅうにあるけど、疑似的に失う経験をしたおかげで、犠牲を払わずに気づくだけで済んだ。運がよかったと思う。

2019/04/16

世界堂の前で

新宿の世界堂での買い物が終わり、さて帰ろうと伊勢丹の前あたりの道を歩いていたら、キュレータの友人とバッタリ! あれー、こんなところで偶然! これから新宿眼科画廊に行くんだけど一緒に行かない? 行く行く。

「こんな偶然ってあるんだね、この広い東京で!」と私が興奮気味に言うと友人は、でもね、大抵みんな美術界隈で動いてるからこういうことってよくあるよ、と。

新宿眼科画廊行ったことある?と聞かれて、うん、あるよ、5年前かなあ、Rさんの展示。え、私もそれ観たよ。じゃあ同じときに同じの観てたんだね。その時はお互い知り合いではなかった。

ギャラリーではグループ展が開かれていて、参加作家の一人と5年前の展示で一緒だったとわかり、初めましての挨拶をする。お互いに作品は知っていても、本人の顔は知らなかったりして、でも、すぐに打ち解けて、あの時こうだったとか、その後どうだといった話をして、うれしい偶然が重なった日だった。

「実はあの後、あなたの壁に直接描いた展示を観に行ったんです」と言われて、どこで誰が観てるかわからないなと思う。

 

新宿の世界堂はいつも混んでいる。みんな何か作ろうと思うものがあるんだなと思う。連帯感と、取り残されまいという気持ちがないまぜになる。

花園神社で花見も。境内ではトンカン工事をしていた。これってあの唐十郎の赤テント? まさか、でもここだったよね。本当に劇団が演劇の舞台を設営しているのだった。今って一体いつなんだ? たそがれ時、朱い鳥居と桜が幽遠で、マージナルな雰囲気が横溢していた。

2019/04/13

新年度

教室も新年度がはじまって、新入会の子が入ってきた。

前からいる子たちが何となくお姉さんぶってるのが、どうにもかわいい。

彼女たちにむかって「新しい子の面倒みてあげてね、いろいろ教えてあげてね」なんてことは私は絶対に言わない。みんなも私が絶対にそういうことを言わないのをなんとなく知っているから、おせっかいを焼くようなことはなかったけど、「これはこういうふうにやるんだよ、よく知ってるんだ、もうわたしココ「長い」から」とテキパキ、丁寧にやったりしている。つまりイイ子のヨソイキ顔になっている。

こういうのはかわいい。おせっかいなことを言わないようにしているのもかわいい。

きっと学校でも、親切に教えてあげてとか、学年が上がったんだからとか言われてるんだろうな。

だんだん地に戻っていって、そしたら新年度が終わりってことだろう。

2019/04/06

パーティ

友人のキュレーターに誘われて、VOCA展の内覧会とレセプションへ。金沢の美術館長、神奈川県の館長、あちらは倉敷から、沖縄からもといった感じで、美術関係者が全国から集まってきていた。私もたくさんの人と名刺交換し、お会いしたかった方とも少しお話できた。遠方の方で、正式な紹介がないとなかなか会えないと思っていたのに! 知っていることを精一杯話す、なるべく共通の話題で。でも、ない場合は、しょうがない、自分のことを話すしかない。

わたしがナンダカンダと話しかける様子を見た友人は、「ヒナコさんは本当に社交的だよね! 初対面なのに何の話してたの?」と驚いたように言う。そう言う友人こそ社交的で、会う人会う人知り合いで、みんなあなたと話したがっている。そんなことはないよ、普段は引きこもって誰とも会わないよ、あなたと一緒にいると相乗効果みたいにそういう面が呼応して出てくるだけで、と答える。

こちらがあらかじめ知っている相手には、私が知っている相手の情報を話すようにする、自分に興味がある人に人は好感を持つものだから、とは先日受講したEnglish Presentation の講師が話していた内容だ。でも、すでに知っていることを聞いてどうだというのだろう、だって、それについては自分が既によく知っているのだから。それより、知らない人と知り合うのがパーティだとすれば、相手が知らない私自身のことを話したほうがいいのだろうか。

その日私が会いたかったのは、S氏とM氏だった。S氏は、私が月に一度出席している勉強会の先生の友人で、ちょうど講義でも話題に上がっていた方だ。勉強会のメンバーでと自己紹介すると、親しみのある表情をなさった。M氏は、以前あるアートイベントで講演されたのを私は聞いていた。そのことを話し、その時に通訳をした友人のことを話した。あの時ね、とうなづかれていた。私という人間を立体的に伝えることができたのではないかと思う。

いずれにしても、紹介してくれる人がいるパーティというのは、居やすく、自分の良い部分が自然に出る場は、伸び伸びできていいものだなと思う。本来、自分はこういう人間だったと思い出せた。

おいしいフィンガーフード

オープニング挨拶

2019/01/01

Season’s Greetings

 

毛糸のイノシシに、難を転じて福となすと言われる縁起物の南天の葉のリースを合わせました。

2018/10/31

日々を慰めてくれる小さなものたち

アトリエもいよいよ冬支度。ラベンダーの強剪定をした翌日、そこを住処としていたうちのカマキリが、あれぇという顔でうろうろしていた。私のことを見上げる。コレ、どうしちゃったのぉ?

ちょっと怒ってるようにも見える。私に抗議する。なんだよ、なんだよ、あんなにすてきなラベンダーの林だったのにさ!

あーあ、と残念がってる顔も可愛いなと思う。

かなり入念に枝をチェックしていて、何か探しているようだ。もしかしてメスで卵を産み付けていたのかもと焦って剪定枝を一つ一つ見たが、それらしいものはなかった。

そもそも虫に記憶はあるのだろうか。ここに卵を産んだ、とかいった・・・。

カマキリは目に特徴があるせいか、感情を持っているように見える。夜になってふと見ると、黒目に変わって私を見上げていた。偽瞳孔が開いてるだけの現象だけど、その恨みがましい目でじっと見つめられると、呪ってやるぞと脅されそうな迫力があった。

剪定枝でリースを作った。素朴な、でもいい香りのするリースができた。道具も材料も今あるものでちゃちゃっと作って植え替えた桑の木に掛けてみた。木が大きいから、空間ができあがっていて、雰囲気がいい。農園っぽい感じ。

日比谷公園ガーデニングショーの展示でも、ライフスタイルガーデン部門といって、3畳ほどのスペースに、この空間の中での暮らしが想像されるストーリー性の高い作品に惹き込まれた。この庭というより、この世界で生きる人々の存在が感じられて、自分もここに住みたい!と思った作品がいくつもあった。児童文学の世界というかなんというか。

GWに名古屋のノリタケの森に行って以来、やっぱり陶器が好きなんだなぁと最近実感している。大倉陶園の店頭でコーヒーセットが展示されていた。青い色が透明感のある白地にジワリと滲んでいる。大倉陶園のこの青い色は「瑠璃色」というのだそうだ。

フェアだからと、デミタスカップでエスプレッソを頂いた。写真だとわかりづらいけど、本当に小さいカップで、指で持ち手をつまんで、チュチュチューっと飲むと、まるでおままごとしているみたいだった。これもいい、あれもいいと、美しいもので目を喜ばせることができた。

大丈夫、まだ自分は喜んだり感動したりする心を失っていない。

2018/10/30

狐が出たかもしれないよくわからない話

10年ぶりにあるカフェギャラリーに行った。店の名前を仮に「ノクターン」とする。

オーナーとは少し話をしたことがあって、でも、10年も行ってなかったから、どうかなと思ったが、案の定覚えていなかった。初めての客にいつも言うセールストークをしてきた。それはいい。

たしかギャラリーにピアノが置いてあったと思うんだけどときょろきょろと見回した。オーナーがピアノが好きで、ギャラリーを作るときに夫に無理を言って置いてもらったの、という話をしていたから。そうだよ、それで店の名前がショパンのピアノ曲なんだよな。小さいのでいいからどうしてもほしかった、ミニライブができるように。

だが店内にはどうもなさそうだ。アップライトだから展示品の陰に隠れて見逃してしまったか? いや、ない。10年の間に模様替えをしたのだろうか。

オーナーに確かめてみると、ピアノは昔からないという。え? おかしいな。

じゃあ、この、「夫が買ってくれた」というかなり細かいエピソード話はいったいなんなんだ? しかも、この店の名前だ、思い違いとも思えない。グレン・グールドが好きで、と話してなかったか? しかも、時々はミニライブを開催しているという。

本人がないというのだから、本当にピアノは昔からなかったのだろう。でも、私自身まだ狐につままれた気持ちだ。誰か別の人の話がどうかしてつながり、しかも状況証拠もそろっている。自分が信じ切ってるものだから、他人にも滔々と話す。この話を聞かされた相手こそいい面の皮だが、真実が明らかになることはほとんどないにもかかわらず、そういうことが過去に何回かあった。じゃあ露見してない案件はもっとたくさんあるってことだろうか。

こうなるともはや自分の記憶そのものに信頼がおけなくなるが、といって、Aだと思うがAでないかもしれない、などといつも考えながら生きることは不可能だ。

でも、としつこいようだけど今でも思う。実際にはピアノがあって、オーナーの時空がよじれて、ピアノがなかったことになってる。わかってる、そんなことはないってこと。私がアヤシイだけだって。でもどうしたって信じられないもの!

本当にあったよくわからない話をしてみたくなった。少し杉浦日向子っぽいと思うが、そこまで粋ではないな。

2018/10/29

新しい場所

今夏は暑かった。鉢のオリーブもとうとう葉を全部落としてしまい、こんなことは初めてだったが、それでもめんどうがってうっちゃっておいたが、巨大台風が来るというので倒れては大変と塀際に移しておいた。台風のあとしばらくして、日陰が良かったのか緑の葉っぱがちょびちょびと出ている。最初は雑草かと思ったが、違った。何もしなくても生き返ったのがうれしくて、今までほったらかしにしておいたのを反省しどうにかしようと調べると、どうやら定期的に植え替えをしてやらないとならないらしい。週末に、急に思い立って、植え替えをおこなった。

鉢から根を引っ張り出すと、根がまあるく鉢の形にからまっている。土がなくて根ばかりだ。ごめんごめん、こんな窮屈にさせて。鉢底のネットの網目に根が突きささりながら太く成長しているのを見ると、こんなひどいところに押し込められて、でも、それでも何とか生きようと根を伸ばしている様子に、泣けてくる。こんなにしておいてごめんよ。仇のようにネットを切り刻む。それにしても生命力ってすごいなあ。

からまった根をほぐして、新しい鉢に入れてやる。専用の土は綿みたいにふかふかだ。土独特の甘く虫っぽいにおいがして、優しく根に寄り添う。あったかいベッドにいれてやってるような気になる。よしよし、ここでいい子でおやすみ。

植物の植え替えは、自分を伸び伸びさせることにつながる。植物の世話はつまり自分の世話だ。オリーブは生育が早くてすぐに大きくなるというのに、全然伸びないなあと思っていたのは、実は同じ鉢に入れっぱなしにしていたからかもしれない。引っ越しはちょっとストレスがあるけど、居心地よくしつらえてあるから、なじんでくれるといいと思う。


オリーブ2つ、バラ1つ。

秋晴れの週末、ラベンダーの剪定もした。伸びている枝を切るのは心が痛む。せっかく伸びたのに。でも、切ったほうが木にとってはいい、古い枝は病気になりやすい。そうなのか。でも切っていくうちにだんだん気持ちがよくなって、どんどん切っていく。余計なものを捨てるのに似ている。散髪にも似ている。そういえば、友人のUさんが、散髪も養生の一つと言っていた。こういうことだと思う。私は自分の調子が悪くなると、植物の世話をする傾向がある。たくさんじゃなくて少し、創造的な作業なのもいいのかもしれない。


ラベンダーの枝を剪定すると、手にいい匂いがつくのもいい気持ちだ。

ラベンダーの枝の中をねぐらにしていたカマキリが、私がザクザク切り始めたらさっそく避難していた。夏は透き通るように青々としてスマートな若者だったカマキリ、今は葉の色に合わせたのか茶色っぽくなってずいぶん大きくなった。何もしなかったけど、勝手に飼ってる気になっていた。カマキリは人がいても別に逃げたりはしない、悠然と構えている。この子と一緒に、背中の日光浴をしていた日もあった。ごめんよ、巣をとっちゃって。


うちのカマキリ 別に名前はない

ついでに、桑の木も植え替えようかと思い立つ。鳥が運んできたのかいつのまにか隣家との境界のそばに生えていて、葉を横に広げるものだからいつも枝を切ってしまってかわいそう。いつかちっちゃい実をつけたこともあるから、ちゃんと育てたらきっと楽しいよ。ひょろひょろした細い枝だからと鉢植えから引き抜くような甘い気持ちでいたら、これがなんとリアル「おおきなかぶ」。地中深く根を張って、まったく抜けない。よく見ると、地面近くの枝は細い人参ぐらい太く成長している。同じぐらいの根が生えているとすると、これはオオゴトだ。地植えは気軽にはしてはならないなと思う。ちょっと右、なんてことができない。ゲームじゃないんだから。

5人も助っ人を呼べないのだからといったんあきらめかけたが、もう少しやってみるかとシャベルをいれていく。木ごとねじりあげたりしてようやく引き抜けた。みずみずしい太い根は命そのものだと思う。申し訳ないけど、掘りきれないので切ってしまった。

植物の植え替えは決断力が要求される。今のままで生きているのなら環境を変えずにこのままのほうがいいんじゃないか、いや将来病気になるなら今のうちに手当てすべきだ、いや、無理に植え替えて万が一失敗したら全てを失ってしまう、別に困ってないならこのままのほうが、いやいや、現状維持は低減につながるリスクそのものなのだ、何を残すかが問題だ、この木を生き延びさせるには、これまで頑張ってくれた大枝を大根を切るほかない、とはいえその犠牲は必ず活きるのか成功する見通しはあるのか。

この迷いは人生の決断と同じだ。そんな迷いの果てに、木を植え替えた。体全体を使って、余分なものをそぎ、これまでの労苦をねぎらい、将来を見据えた新しい場所に移して、自分の新しく生きる力になっていればと思う。

春には壁に描いた絵と相まって、緑の枝が描いた線のようになったらいいと思う。


線の絵を描き始めた最初の絵と桑の木

2018/05/04 2018/05/01

やっぱり陶器が好き

わたしはよく自由に生きているように思われる。好きなことを好きなようにやって生きている、と。でも決してそうではない。やるべきこと、求められたことを期待に応えるべくやってきただけだ。何が好きか自分でわからない。今頃になって、好きなもの探しをしている。

GWに名古屋のノリタケの森に行った。

わたしは陶器が好きだってことがわかった!

夢中で観ていた

ノリタケミュージアムにて「同化した私」妹に「お皿みたいな服着てるね」と言われた写真。どこかに私がいるんですがお分かりでしょうか。

そしてやっぱり歴史が好きだってこともわかった!

咸臨丸、明治維新、日清日露戦争、WW1、そうした事実と絡めたノリタケの歴史に魅了された。

ブロードウェイにあるmorimura brothers(ノリタケの前身)の店舗移転のお知らせ。お皿やポットたちを擬人化して引っ越しする様子を描いた素敵なポスター。大八車に載った箱に屋号がついてる。お宝を持ち帰る桃太郎のような、お雛様のお道具のような、大名行列のようなワンシーン。当時、morimuraは日本の雑貨を売る商社だった。広告もとてもセンスがあると思う。

絵付けもした。記念すべき第1作になるかもしれないじゃない!

午後にはノリタケ製品を使用したアフタヌーンティー。そうだったわたしはイギリスも好きだった。

緑の森とれんがの工場。なんだか外国に来たような気分。何かを好きだと思う気持ちが湧き上がってくる。

オールドノリタケでは、1920年代のアール・デコのデザインに惹かれる。ジョルジュ・バルビエの展覧会に行き陶然としたことを思い出した。

「デコレディ」シリーズのマグカップを買って帰った。

おまけ

母にヨシノのマグカップを買ったらものすごく喜んでいた。実家には両親の結婚祝いに仲人さんからいただいたというノリタケのディナーセットがあり、あれをいつも見ていたから今も好きなのかなあと思う。