カテゴリー別アーカイブ: アナログハイパーリンクな読書

2018/07/14

芸術鑑賞レッスン いわさきちひろとの出会い「ちひろの技法で絵を描こう」

主宰する絵画教室で、今度いわさきちひろの美術展を観に行くので、その事前レッスンを実施しました。

まず画集でちひろの絵を鑑賞。ちひろはね、書道も習ってたんだよ、それで絵の描き方に書道の方法を持ちこんだんだ。

にじみ効果のあるたらしこみの方法を解説する。

ほら この絵のここのところ見て!この方法を使って描いてるよ。みんなもおんなじようにやってみよう。

きれいなのができた! あまりたくさんの色を使わないのがコツだよ。それと紙を動かしすぎちゃうと混ざって1色になっちゃうよ。

だいたいわかったら、次は女の子の髪の毛を同じ技法で描いてみようか。ちひろは子どもの絵を9000枚以上描いたよ。

それで私が描いた絵。にじんでいい感じだ。

教室では私も一緒に描いてる。これがお手本っていうんじゃなくて、ただ一緒に描く。髪の毛が乾いたら赤い髪飾りも描くんだーとか言いながら、そんなふうに楽しんでいるのを見せるのも指導だと思って。

次回は、海の絵を描こうかな。

ちひろについて私が明確に自分で選んだと思うのは、『赤い蝋燭と人魚』だ。それと『絵のない絵本』。思い出すだけで胸が締め付けられる。

その後、大人になって読んだ「靴を買ってあげましょうか」と言った話しは、まさに恋に落ちる瞬間、映画に出てきてもいいぐらいいいセリフだなあと思う。たまにつぶやく。ベタな表現だけど、キュンとする。

☆アナログハイパーリンクな読書 いわさきちひろ →『赤い蝋燭と人魚』小川未明 『絵のない絵本』アンデルセン

2018/06/17

だるまちゃんだった

アトリエの門の前にヤツデが植わっていて、わたしはいつもそれを見るとだるまちゃんのことを思い出す。てんぐちゃんみたいなうちわがほしいよう。

(だるまちゃんは)まだ幼い子どもですから、てんぐちゃんが持っているものがうらやましくてしかたがない。家に帰ると、お父さんのだるまどんに「あれが欲しい」とねだります。(かこさとし『未来のだるまちゃんへ』)

 

ちいさいだるまちゃんは なきそうになって
おこっていいました。
「ちがうよ ちがうよ まるでちがうよ」
(かこさとし『だるまちゃんとてんぐちゃん』)

鼻を花と間違えたお父さんに向かって、目を三角にして鼻の先にげんこつを2つ重ねて抗議するだるまちゃん。「ぜっんぜんワカッテナイ!」というポーズ。

子ども時代ってそうだった。あまりにも怒ると泣いちゃうよな、親が自分をわかってくれないと思うよな、おねえちゃんと同じものがほしくて「自分も!」って思うよな。昔は、だるまちゃんの視点で読んでいた。だるまちゃんは実際、かこさんが接してきた多くの子どもたちがモデルだそうだ。

でも、わたしはもう大人になった。

だるまちゃんが可愛くて仕方がないお父さんのだるまどんは、(略)
(かこさとし『未来のだるまちゃんへ』)

家じゅうの赤い花を集めてくれただるまどんの気持ちもわかるようになった。だるまどんを通して、両親や祖父母が自分のことを可愛くて仕方なかったという事実を知る。

あんなにトンチンカンだっただるまどんが、最後は大活躍してお餅で鼻を作ってくれるのもいいなと思う。最後は親が自分のことをわかってくれる、という安心を子どもに与える。何度も同じシーンが繰り返されるように見えて、ちゃんと構成されていることに気づく。

そういえば小学生のとき、学校に持っていくヤマト糊がないと泣きながら言ったら母は朝、米から糊を煮てくれた。小さなせっけん入れに入れて持っていったら担任の先生は何も言わなかった。「いい糊だね」と思ったのかもしれない。

それにしてもだるまちゃんはえらいなあ、ないなら自分で作ろうと考えるとこ。子ども時代ってわたしもそうだったろうか、もう忘れてしまった。

☆アナログハイパーリンクな読書
かこさとしさん逝去→かこさとし『未来のだるまちゃんへ』→『だるまちゃんとてんぐちゃん』

2018/06/10

久しぶりに「見ると見られる」

アートコレクターが経営するバーに、キュレータ、作家、研究者と行ってきた。店内のそこここにコレクションがうず高く積み上がり、そこの山の3冊下にアレがあるから、と言われて、これかな?あ、あった、あった!と宝探しの気分。

珍しいソノシートの音も聞かせてもらった。ペラペラのビニールなのに、ちゃんと音が出るのが不思議。よおく見ると溝が彫ってある。レコードプレイヤーの他にも古いものがたくさんあって、タイムスリップしたよう。

帰り際にサイン帳にサインをした。その様子をあとで写真でもらった。

えっ、わたし、作家っぽい!

一瞬そう思ったが、っぽいってなんだ、作家じゃないか。なんでそんなふうに思ったんだ?

店内を「見る」側だったのに、わたしも「見られる」対象だったことに、ほのかな驚きを感じた。わたしはいつもこんなふうに外界に身をさらして「見られて」いる。このテーマは2016~2017年に制作の中心だったのに、見ることに夢中でそのことをあの時間、忘れていた。

わたしは世界にどのような存在として理解されようとしているのか。ドローイングを描いたから美術作家だろうか、小説をお土産にもってきたから小説家だろうか、どちらも芸術活動の一環という立場でよいのか、迷いがあるか、そんなことが急に頭の中に出現して、動揺のあまり以前のサインを書いてしまった。


©Tooru Tsuji 島田コレクション「小柳」店内でサインする様子

『Polystyle CD』(上野耕路アンサンブル)所収「ジス・プラネット・イズ・アース!」のソノシート。スリル映画のようなゲームBGMのような不思議な音楽。持つ手が透けて見えるほど薄いシート状なのがわかる。レコードプレイヤーで針を置く感覚は小学生以来だった。

☆アナログハイパーリンクな読書 「小柳」→上野耕路

2018/05/21

溢れる

私は汗っかきで、夏には大汗をかいて水を飲むそばからその同じ量だけ汗が出る。次の汗がパイプの中で待機していて、ピンポンが押し出されて出てくるように。

いい本を読むと 私の中に言葉が溢れてくる。でもそれをノートに書こうとすると、流れが止まってしまって書けないのがもどかしい。生まれた言葉を書き止めておきたいのに。

2018/05/20

友人の書家が書道教室を始めるので、プロモーション用写真の生徒役のモデルを務めました。

中国製だという半紙に書く。筆の感じも墨の匂いも久しぶり。

自分の名前の他に、石川九楊『一日一書』から、元日の「旦」を選んだ。

絵画教室で、墨を使った絵もやってみたいものだ。

会場は下地ボードのままの壁とコンクリートの床が以前のアトリエにそっくりで、いろいろこれからだという友人の様子も合わせ、自分がアトリエを始めた頃を思い出した。あのアトリエがもうないのだと思うとかすかに胸が痛んだ。

☆アナログハイパーリンクな読書

石川九楊『選りぬき一日一書』、『一日一書02』『一日一書03』

毎日一字、画像と解説を連載したエッセイ。

2018/05/20

染み渡る栄養のようなもの

それでもちゃんと思うことはある。

子どものための文はとてもいい文だなということ。

福音館の松居直さんの言葉。

あっという間に描かれたように見えますが、バートンさんは、ちゃんと考えてくださいました。

『せいめいのれきし』が岩波書店で出版された頃、福音館書店が刊行した翻訳絵本は、まだ数点でした。『せいめいのれきし』を手にとった時、なんとかしてこのような仕事をやりたいと思ったのです。

一つ一つ選ばれて丁寧に置かれているすべすべした石のよう。

ちひろ美術館でも思った。

『おやゆびひめ』を読みながら、最初は批判的な目、一方的でない見かたで読んでいたのだけど、だんだん文章の美しさに沈んでいき、もぐらと結婚するからおひさまにさよならを言うシーンでは泣きそうになった。

じわわわー とした湿潤なものを体の内に感じる。

ちひろ美術館東京にて

☆アナログハイパーリンクな読書

バートン→松居直

いわさきちひろ→立原えりか

2018/05/16

絵本から遠く離れて

偶然バージニア・リー・バートンの展覧会を見かけて次の約束も放して入った。

でも、さほど興奮もしていない自分にがっかりもした。夢中になって読んでいた絵本の原画だというのに。私は昔たしかにここにいた。なのに、ずいぶん離れてしまった。

それでも版画っていいよなあと思う心はあった。やりたいけど、時間がかかるからなあ、私はパパッとできるほうがいいから。でもずっと憧れはある。カードはみんな素敵。

ダイナソーの絵はいいな。こんな絵いいなと思う。のびのびしてていいな。絵を描いて、こんなふうなことを思うようになったと思う。

☆アナログハイパーリンクな読書 バージニア・リー・バートン『ちいさいおうち』 『せいめいのれきし』→原画が良かったので読んでみたくなった本『じょせつしゃケイティ』

2018/05/04

読書の楽しみ

須賀さんが多和田さんの作品について話しているので『須賀敦子全集 別巻 』所収『犬婿入り』須賀敦子と三浦雅士との対談も読む。

パッとページを開いたら池澤夏樹との対談のページだった。

高畑勲さんが亡くなりそういえばまだ観てなかったと『レッドタートル ある島の物語』を観た。池澤夏樹が解説を書いている。

まあこういうことがあると、わたしは嬉しいと感じるということなんだ。

☆アナログハイパーリンクな読書

多和田葉子→須賀敦子→池澤夏樹←高畑勲

2018/05/04

おなかがぐう~

なにがきっかけだったかよく覚えていない、図書館で見て3冊そろっていたからゴト借りられると思ったのか、でも以前は全く興味がなかったのに、ふとそう思ったきっかけがわからないけど、『あらしのよるに』のDVDを持ち帰った。

ベストセラーの上に朗読が俳優と聞いて話題性かといい印象を持っていなかったのだけど、表紙を見たらあれ、あべ弘士の絵じゃないかと急に見かたを変える。好きな作家。

やんす、という語尾になかなか慣れずに、でもこの二人どうなるんだろうと思いながら聞いているうちにだんだんこれもいいじゃないかという気になってきた。

自分のおなかがぐう~となると、そのシーンを思い出す。うまいエサがあればなぁあ。

☆アナログハイパーリンクな読書 『あらしのよるに』テレビ絵本(木村祐一作 あべ弘士絵)→あべ弘士

 

2018/05/04

ペロリペロリ

『早稲田現代文芸研究08 』掲載の多和田葉子『犬婿入り』についての評論の中で、ペロリペロリという音がやけにやらしいものとして頭に残り、『犬婿入り』を読んだ。文庫の表紙は、望月通陽。小説を知ってから改めて見ると、犬のような狐のような鹿のような生き物が女性のおしりを舐めている。

ペロリペロリ。

何度か使った鼻紙でお手洗いでおしりを拭くと気持ちいいわよ、というみつこの言葉に、子どもを塾に通わせる母親が鼻紙なんておかしい、ティッシュと言いなさいというほかない、へんだけどへんだと言えない、なにがへんかわからない、そういう感じがずっと続く。

冒頭の一文にやられる。こういう長い文章、主語がどんどんいれかわっていく文章は、ずっと書きたかった文体。谷崎のような。

そして望月通陽に表紙を頼む、うらやましさ。さて。

☆アナログハイパーリンクな読書 『早稲田現代文芸研究08』→多和田葉子『犬婿入り』→谷崎潤一郎、望月通陽