カテゴリー別アーカイブ: アナログハイパーリンクな読書

2019/04/21

かわいいルーカス

「山本容子個展ー時の記憶ー」で、オレンジ色の鼻の長い犬が作品中によく登場するので、調べてみると、『ルーカス』という絵本に、どうやって彼が家にやってきたかが描かれていた。ルーカスは家族の一員であり、今や仕事仲間でもある。オフィスのマークと名称にもなっている。

あたらしい家族になったこの子犬をなんとよぼうか。なにかりっぱな名前をつけてやりたい。(『ルーカス』)

作品中のルーカスは、新しくできたヘリコプターに驚いたり、自動車と並走したり、ラジオに耳を傾けてたり、時代の目撃者であり舞台回しでもある。メンズコレクションでモデルとともにランウェイを歩いてるところは、きっと旅に思うように連れていけないルーカスに、旅をさせてやっているのだと思う。

旅にでると、かならずルーカスにおみやげを買う。(『ルーカス』)

ピカソのそばにねそべったり、カンジンスキーと踊ってる様子は、私たちの代わりに時間を超えて旅をしているようでもある。かと思うと、ダリの絵に登場してグニャリとしてみたりして、モディリアニの絵では青い目をしてポーズをとっていて、思わず笑ってしまう。融通無碍な存在が出入りする様子に、私たちも自由に芸術と戯れていいのだと思う。

☆アナログハイパーリンクな読書
『BON VOYAGE』山本容子→『ルーカス』山本容子

2019/04/17

食べちゃいたい版画

タダジュンと山本容子の個展を立て続けに観て、ああイイナア、とにかくイイとしか言葉が出てこない。

私には版画への憧れがあって、こういう良い作品を観たりすると、すごく魅せられてしまう。両方とも2回も行ってしまった。

ひとつひとつ、文字通り嘗めまわすように観る。見てるだけじゃだめだ、作品に没入したいと思う。どうにかしてこれを持って帰れないかと思う。作品を買うという意味ではない、このよいと思った感覚を、記憶をだ。このよい感じをそのまま保存して生きていきたい。もう食べちゃいたいと思う。撮影OKだったのでアホかというほど写真もバシャバシャ撮ったけど、写真に撮りたいというのはつまり自分のものにしたい、という欲だなと思う。

版画はでも制作するのに時間がかかる。私は、時間がかかるのが「面倒」で、「すぐに」できる制作がいいから、実際にやってみはしない。

けど、版画はイイなあ、いや版画がすべていいわけじゃないけど、版画はいい。

もっと、どういいのか表現できたらと思うけど、そんなことさえ浮かばないほど、夢中になった。

 

☆アナログハイパーリンクな読書

「タダジュン 銅版画展」(山陽堂)・「山本容子個展ー時の記憶ー」(ザ・ギンザ)→『BON VOYAGE』山本容子 個展では、この本の原画が展示されていた。使用画材も展示されていてそれもよかった。画材とかアトリエとか、なぜかとても興奮する。この色はあの絵の具を使っているのか! 自分もこれを使ったらできるんじゃないか!と思える。

『ルーカス』山本容子 作品にはオレンジ色の鼻の長い犬がいつも出てくる。ちょっといたずらっぽい表情で。この子は?と思ったら、彼は愛犬で、ルーカスと言う名前で、本も作ってやっている。

2019/04/06

そちらは熱いが、あちらはぬるいです

「そちらは熱いが、あちらはぬるいです」

問いかけたわけではないのに、顔が合ったとたん、手で指して教えてくださる。

「この辺が、ちょうどいい」(P.16)

台湾で、地元の人ばかりが通う銭湯に行った。日本の銭湯でもそうだが、ローカルな入り方というかマナーを知らずに怒られたりしないか、日本人だからと意地悪をされないか、裸だから無防備だしとびくびくしながら入っていったが、私が熱いほうの湯船で、アッツーと顔をしかめていたら、近くの人が指でこっちがぬるいよ、と教えてくれた。私は「あーちょうどいい、シェイシェイ、so comfortable」と言ってみた。すると、その人は嬉しそうにうなづいた。今思い出しても心が温まる体験だ。温泉ってどこでもそういういい感じのものだよなと思う。

私たちが上がるときに、ちょうど入れ違いでこれから入浴する別の女性から、タオルを忘れちゃったから貸してほしいと手ぶり身振りで頼まれた。私たちはとてもびっくりしたけど、いいよと手ぬぐいを渡した。意地悪どころか仲間うちのように扱われて、驚きながらもうれしかったことだった。

☆アナログハイパーリンクな読書
『湯けむり行脚 池内紀の温泉全書』(池内紀)→台北 北投青磺名湯

2019/04/05

懐かしい過去との再会

3月は不思議な月だった。

7年前、フランスにワークショップ研修に一緒に行った仲間から、会わない?と急に連絡があった。

そのちょっと前に、その研修に行く直前、パリに行くからと読んでいた2冊の本のうちの1冊『パリを歩く』の著者に会ったばかりだった。

あれからもう7年もたってるんだなあと思っていたところへ届いた友人からの連絡に、ぜひ会おうと二つ返事。

どこ行く? と聞かれて、期間限定のサウナイベントどう?と言ってみた。ロウリュという、焼いた石に水をかけて熱波をタオルで人が送ってくれる方式のサウナに誘った。

友だちは内心ぎょっとしたようだ。私としては、別に気持ちがいいものだからいいんじゃないかと思ったんだけど、考えてみれば唐突だったな、サウナってそんな一般的でもなかったか。

このところ体調を崩して外に出かけられずにいて、このままサウナイベント終わっちゃうな―とがっかりしていたのが、やっと身体も治ってきたので、ダメ押しでサウナで「ととのって」みたいと思っていたのだった。渡りに船、ではなく、船を自分が引き寄せた恰好だ。

え、サウナ?なんで?と思ったという彼女だけど、蒸されながらいろいろ話していくうちに、ドイツとスウェーデンでサウナに入ったことがあるという。なーんだ、よかった。私が「フィンランドに建築ツアーに行ったときにさ、湖畔に建つサウナ小屋に一晩だけ行ったんだ、氷の張った湖に穴が開いていて、そこで体を冷やしたんだよ」と話すと、彼女は彼女で「ドイツではねサウナは男女混浴なんだよ、最初びっくりした」と海外の本格サウナ話で盛り上がった。

仲間の近況を聞くうちに、フランス研修のときの記憶がよみがえって、過去から手紙をもらったような気がした。思えばさほど知らない仲だったが、研修中2週間も寝食を共にし、彼女とは帰国後も報告書を一緒に苦労して編集したので、なにか同級生のような気やすさがあった。だからサウナにも誘えたのだったっけ。

☆アナログハイパーリンクな読書

『パリを歩く』(港 千尋)→フランス研修

『はじめてのサウナ』(タナカカツキ)→『マンガ サ道~マンガで読むサウナ道~(1) 』(タナカカツキ) 「ととのう」感覚が書かれている。「ととのったー」というサウナトランス状態になるには、水風呂が必須とのこと。

私は凧かなと思っていたこれは、ドリームキャッチャーという悪夢を取り払ってくれるものだと友だちが教えてくれた。ぜひともお願いしたい。

2019/04/03

おみおつけ

先日、下北沢に用事があって、初めて行くところだからといろいろ調べていたら、吉本ばななのブログに行きあたった。

松浦弥太郎のレシピ通りにパルミジャーノ・レッジャーノを削って作るホットドッグがおいしいと書いてあって、わたしもぜひ作ってみたいと思った。

松浦さんは、「おみおつけ」と言っていた。

うちでは頑なにおみおつけと言っていたけど、学校の友達は皆味噌汁と言っていてわたしは口にしてみてもその言葉にどうしてもなじめなくて、といって、おみおつけと堂々と言う勇気もなかった。へんなのー、おみおつけってなあに? 味噌汁でしょう? 子どもの頃は自分が他と違うことに恥ずかしさを感じていた。でも、松浦さんと同じならよかった。

よくこしらえるのはおみおつけだ。(略)ちなみに、みそ汁のことを我が家ではおみおつけと言う。(P.82)

ちなみに、おみおつけって三重敬語なんだろうか。

☆アナログハイパーリンクな読書

吉本ばなな→松浦弥太郎『明日、何を作ろう』

https://www.kadokawa.co.jp/product/321609000672/

2019/04/03

ヤービごっこ

『岸辺のヤービ』本の題名と表紙の絵を見て、ページをぱらぱらとめくって、勝手にこんな話かなと想像をめぐらす、ごっこ遊びのように。

たぶん、ヤービというのは、この主人公の名前だろう、葉っぱがかなり大きく描かれている、おそらくかなり小さい動物だ。岸辺というからには、海か川沿いに住んでいると思われる。それで、このヤービは肩掛け鞄を持っている。きっと、この子の冒険の話だろう、バッグにはお弁当とたぶんナイフなんかが入っているのだと思う。冒険にでかけて、ゆくさきざきで他者と会って、自分が何者かわかる旅。

ちらりとページをめくると、パパヤービとママヤービというのが見えた。家族で暮している、あるいは一族で暮しているのかもしれない、ムーミンみたいに。パパとママと離れて、迷子になって、でも最後には家に帰りつくのかな、お前、がーがーがーって鳴いてごらんとか言われて。

大きい人が出てくるようだ。そうか、佐藤さとるのコロボックルのせいたかさんのような人が出てくるのかもしれない、アリエッティのように見られてはならないのかも。それともピーターラビットのように、人間とは仲良くはならないのかしら。

 

読んでいく。

あ、やっぱりムーミンパパのように本を書いているし、ママは実はお転婆だ。このスーツはほしいなあ、詩人が出てくる、あこがれの存在だ、そう思っているうちに、だんだん梨木香歩の独自の世界に入り込んでいく。自分が自分であること、どうやってわれわれは生きのびていくか、何を食べ何を仕事とするか。子どもができることとおとなができること、やるべきこと。

全体に、イギリスの児童文学に雰囲気が似ている。「たのしい川べ」とか。草木や動物に魂が宿るとするアニミズムがある。私たちがイギリスのお話に惹かれるのは、共通して感じる文化があるからかもしれない。

追記) 川に散歩に行った。まっ白な鷺がいて嬉しい。緑が萌え出て春だなーと思う。

☆アナログハイパーリンクな読書

梨木香歩『岸辺のヤービ』

https://www.fukuinkan.co.jp/detail_page/yabi/

2019/04/03

植物と古典とファンタジー

梨木香歩『家守綺譚』
植物と古典文学とファンタジー、私が好きなものでできた短編集。話者が見聞きした不思議な話をしていく。中学生のときに書いた小説を急に思い出した、あれはこんな話にしたかったのだと思う。

中国に窓から美女が入ってくる古典があるが、本作では、掛け軸の中から亡き親友が訪ねてくる。時代は明治期のようだ。「庭球部」とか文明開化が身近で、電話もなく友人が訪ねてきて、話をしては帰っていく、少しだけ昔の話。

冒頭、庭木のサルスベリに恋をされて、いや、やはり懸想されてのほうが感じが出る、懸想されて、本を読んでやるシーンがある。
それを読んだとたん、庭にサルスベリを植えたくなった。わたしもたまに本を読んでやりたい、枝を揺らさせて喜ばしてやりたい。
リュウノヒゲも植えたくなった。あの青い、ツヤツヤした青い宝石みたいな実が庭にあったらいいだろうなあ。小さいころ、一日中遊んでいても飽きなかった祖父母の家の庭を思い出す。

サルスベリにも好みがあって、好きな作家の本の時は葉っぱの傾斜度が違うようだ。ちなみに私の作品を読み聞かせたら、幹全体を震わせるようにして喜ぶ。かわいいと思う。出版書肆からはまだまともに相手にされないが、サルスベリは腐らずに細々とでも続けるように、と云ってくれている。(p.12)

先日、知り合いのギャラリーで油絵を観ていて、それは山の絵だったのだけど、そのギャラリスト曰く、絵には山と海があるけどどっちが好き?。山派か海派ってこと?、犬派猫派みたいな感じだね。それぞれ自分はどっち派かという話になって、今までそんなこと考えたことなかったけど、あらためて考えてみると、私は海沿いで生まれたから海の絵はなじみがあるかもなあ、と言った。今住んでいるところは川のそばで、海がないから不満を感じることもある、たまに海を見たくなる。

そんなことを考えていたのだけど、作中、湖から水路ができて、その水が庭の池にそそぎこんで、河童やちいさな人魚が迷い込んできたり、川沿いでカワウソが釣りをしたりしているのを読むと、川もいいものだなと思う。時折へびが出るから油断がならないし、川沿いの道は互いにすれ違うほどの細さで挨拶が面倒でおっくうになっていた散歩に、行ってみようかという気になった。怪しげな長虫屋がへびを追っているかもしれない。

☆アナログハイパーリンクな読書
梨木香歩『岸辺のヤービ』→梨木香歩『家守綺譚』https://www.shinchosha.co.jp/book/429903/

2019/02/25

「あっ、すでにヤラレテタ!」

秋に行った神代植物園の温室で私は、この湿気でむっとした熱帯の甘い香りの中を歩き回る感じって、写真に撮っても伝わらない、なかなか他者に伝えることは難しいなあ、と思っていた。試しにトラノオの葉の群生の中に顔を突っ込んでみた。あ、この感じ、体全体が包まれる感じは少し近い。でも、視覚的だけではないこの体験の再現、伝達は難しい。

神代植物園の温室のトラノオ ここに顔だけ突っ込んでみた。

ソトのインスタレーション作品を観に行った。天井から青いビニールの糸が釣り下がっていて、外からは脆弱な青い箱に見える。しかし、鑑賞者はその箱の中に入っていける、スーッと浸透するように。鑑賞者は作品の中を通り抜けるときに空間に囲まれる体験を与えられる。自分の近くのビニール糸は大きく揺れて、遠くの糸は静止したまま、自分の背後にも林立する糸を感じる。この視覚的体験と触覚的体験の複合は、草深い森に分け入る感覚に似ていた。

あっ、この感じは、植物園の温室の中だ、とわたしは思った。何度も作品の中を行き来して、五感を使った感覚を堪能した。


ソト 《Pénétrable BBL Bleu》(エスパス ルイ・ヴィトン東京)

昨日、自作の制作について「読めないテキスト」「読ませないテキスト」の一つの手法として鏡文字なんかもあるなあとぼんやり考えていた。画像反転させれば簡単に作れそうだ、、、。

行った先のカフェ併設の本屋さんに平置きされていた本を見るともなしに見ていたところ、一冊の本のタイトルが読めそうで読めない、日本語なのに。不審に思って手に取ってひっくり返すと、表表紙のコラージュごと左右反転させた裏表紙だった。だからか! 日本語とすぐにわかるのに、頭をひねることになったのは。まるでわたしを見透かすように、冗談みたいに植草甚一の本が裏表紙で置かれて、突然目の前に思っていたことが現実に立ち現れるなにかの啓示かと思う出来事だった。

 

☆アナログハイパーリンクな読書

神代植物園→ヘスス・ラファエル・ソト 《Pénétrable BBL Bleu》1999年 Pénétrable は浸透可能なるもの、BBLは展示場所のブリュッセル・ ランベール銀行の名前、Bleuは青、の意。

自作制作→植草甚一『ワンダー植草・甚一ランド』

ワンダー植草甚一ランド

2019/02/24

今夜、一片の悔いなし

ずっと長い間、会いたかった人に会って、その思いを話せて、ポートフォリオも見ていただいた。言おう言おうと思っていたことをすべて話せたし、もはや心残りは何もない。

こういう時はこう言うんだと心に決めていても、いざとなるとビビッてきっと何もできないんだろうな、とあきらめかけていたけど、逃げ出しそうになるのを何度も引き返して、最後まであきらめなかった。数年来、練習してきたことをすべて言うことができた。この話もしよう、あの人のことも話そう、と思っていたことは全て話したが、ちゃんと伝わったかどうか、でも「私、Tさんとは〇〇がご一緒なんです。このあいだ対談なさっていましたよね」という私がしたちょっとした話にも、「え、〇〇が一緒なの、あ、そう! 対談の時はね、二人とも好きな話題を話したんだよ」ととても気さくな感じでお話されたので、とにもかくにも嬉しさしかなかった。

あきらめなかったのは、きっと昨日、心安い友達と一日、好きなことを好きなように話したこと、今日も別の心安い友達と一緒にいたこと、会主宰の先生が後押ししてくれたこと、それにご本人がオープンマインドな穏やかな方だということ、よいことが幾つも幾つも重なったからだと思う。そうは言っても、今夜は自分をほめてやりたい。

そのあと、みんなで二次会で喫茶店にも行った。ほのぼのと楽しかったなあ。

☆アナログハイパーリンクな読書

今日の勉強会→土本典昭『海とお月さまたち』

2019/02/02

どの方に似ているのかしら ポワン

演劇のワークショップでは、実際に長ゼリフのあるシーンを演じたのだけど、私の演技について「昭和の映画の女優さんみたい」と演出家に言われた、もちろんよい意味で。向田邦子のドラマに出てくる女優のよう、抑えた感じがいいと言われ、それはどうやらわたしが本質的に持つ雰囲気らしい。それで、最近『父の詫び状』や『寺内貫太郎一家』を連続して観ている。加藤治子いいなあ、でもなんか知ってる気がすると思ったら、あっ、この声は! 『魔女の宅急便』で魚のパイを焼くあの老婦人だ。この人に似ているのだとしたらいいのになあ、けど、具体的に誰なのか聞きそびれてしまった。

☆アナログハイパーリンクな読書
演劇のワークショップ→『父の詫び状』(向田邦子原作、杉浦直樹、フランキー堺主演)・『寺内貫太郎一家』(向田邦子原作、久世光彦演出、小林亜星主演)私は初めて観たのだけど、タイトルバックを描いた画家の横尾忠則が役者として出演していて驚いた。