カテゴリー別アーカイブ: 中之条への道(中之条ビエンナーレ2015)

2015/10/28

作られたがっている何か~中之条への道(30)

 制作には必ず制作意図があるものだ。でもわたしの制作にはない。それがわたしの制作の最大の特徴だと思っていた。よく作家仲間に不思議がられる、制作意図がなくてどうやって作るの? それでも制作できることがわたしの強みである、と思っていた。作りたいものはないんだ、ただ、描くのは自分に必要なことだし、どんどん線ができていくのを見てるだけなんだよ、と。

 でも、中之条でこう言われた、あなたの中に作られたがっているものが在る、と。

 ハッとする。自分の意識では認識できないが、意識外のところに存在する「作られたがっている何か」。それがわたしを制作に向かわせる。

 そうかもしれない、わたし自身が気づかないでいる何か。

 村上春樹のことばがよみがえる、自分が小説を書きたがっていることに気づきませんでした。

 そういうことはあるだろうと思う。
 わたしはそれを大事にしてやらなければならないのかもしれない。
 小さな声に注意深くなるべきなのかもしれない。
 あるいは、声さえないのかもしれない。
 見えない存在を信じるしかないのかもしれない。なんの証拠もなくとも。
 ロジックとかエビデンスとか、そんなもので何でも処理するのはよそう。
 そう思った。
 わたしの中の「petite hinako」。小さく縮こまってメソメソ震えて、でもたまに思いも寄らないことをしでかす大胆な彼女。

2015/10/16

ついにお開き~中之条への道(29)

 最後の4日間は、会期が重なったおかげで「ドローイング・ルーム」という同じ名前の作品を東京と中之条とでそれぞれ展示することになった。
 わたしの制作はどこでもいつもと同じようだと思っていたけど、実際には違った。中之条では、あの眺めのいい場所で空気の流れを感じながら制作したせいでそのような作品になったし、東京神田では、他の作品に刺激されて挑戦的になったようだった。

 こうして見ると、本当に広くて明るくて、いい場所だったなと思う。

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絵画教室の子たちが中之条まで来てくれたよ! 思わぬところで思わぬ人に会うととってもびっくりする。わたしもMちゃんもちょうど会場に着いたところで、廊下でばったり会ってお互い声も出なかった。「せんせ、せんせー!」と言いながらみんなが駆け寄ってくると幸せな気持ちになった。自分が何か良きことをしていると思えた。(写真は一部加工してあります)

2015/10/05

作家と作品~中之条への道(28)

 会期が始まって、大勢の作家と知り合うことができた。一年前は、誰一人として知っている人なんていなかったのに。

 ここには特有の関係性がある。仲よさそうに話しているから、よく知っている友だちなのかと思うと、「あの、今頃ですが」と言いながら名乗りあったりしている。傍から見ていて今までの会話は何だったの、と驚くほどシンプルな友好関係がある。わたしもその一員なんだと思うと、とても楽しくなる。まるで昔なじみのような垣根のない安心感。同窓会で久しぶりに会ったクラスメイトみたい。

 だいたい、よく知りもしないうちから、あのう、と言った直後に、車に乗せていってくれない?なんて言うなんて、普段の暮らしではありえないよ。乗っていかない?なんて誘われる、逆のパターンもある。

 名前を聞いたとか、だれそれが話していたとか、展示を観たとか、そんなちょっとしたきっかけから話したりする。昨日までまるで知らなかったのに、隣りのベッドで寝たり、温泉に一緒に行ったり、車に同乗したり、食事を一緒にしたりして、どうでもいい話もするけど、制作や展示のこともずっと話し続ける、まるで中学生みたいに。作家というだけで緩やかな仲間意識がある。

 中之条ビエンナーレは町内5箇所のエリアで開催されていて、範囲が広大だ。それなのにびっくりするのが、昨日、別のエリアで会った作家と、今日、まったく違うエリアで偶然会ったりすることだ。伊参レジデンスで同部屋の人と「まさかの六合(くに)で」ばったり! 伊勢町エリアの作家と四万温泉からのバスで一緒になったり、オープニングで会ったっきりの四万エリアの作家と暮坂・沢渡で、一人で回ってるの?わたしは家族と、なんて話す。昨日あなたの作品を観たよ、四万温泉に泊まったんだ。

 あとね、かわいいな、と思うのは、わりとみんな家族を連れてきているという事実だ。アニキ的な作家があかちゃん抱いていたり、クールな作品を作る作家がお母さんと連れ立って歩いていたり、温泉があるから旅行がてら案内してる、なんかいいもんだ。 

 どこへ行っても知り合いがいてわたしがやぁやぁと挨拶しているのを見て、一緒に行った家族はとても驚いていた、ずいぶん顔が広くなったんだねって。いや、そういうんじゃない、そこらじゅうに作家がいるってだけだ。作家はやはり他の作家の作品もすごく興味があって観たいんだよ。そういうわたしも、すでにほとんどの会場を回った。自分の会場にもいたいけど他の作品も観たいよ、だって、すごい作品がいっぱい、こんな機会ないもの。
 
 それで、作家を知って作品を観ると、なるほどなーと思うことが多い。ああいう感じの人だからこういうのに興味があるんだろうなぁとか、ああ見えて実はこうなのかもなとか思う。だいたい作家と作品はよく似ている。作品のほうが本当だとも思う。

 熱に浮かされたような期間もあと少しでおしまい。とても寂しい。名刺交換して、あ、そうか、この人、岐阜に住んでるんだ、8月から何度も会ってたけど、もう、ちょくちょくは会えないんだ、と急に当たり前のことに気づく。学校みたいにすぐ会えると思っていた。

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急に行きたくなって、何も持たずに出先から発作的に電車に飛び乗った。中之条中毒に罹患したらしい。

2015/09/30

作品解説と作家が在廊することについての迷い~中之条への道(27)

 会期が始まった9/12の週末と、シルバーウィークの5日間、さらに中2日おいた週末、と毎週末、中之条にいる。

 会場で作品解説をしていると、本当かな、という迷いが生じてくる。そんなふうに口で言ってるけど、それは本当のことなの? わたしはあいかわらず自分の作品について客観的にとらえられない。

 ウソというか、聞こえがよさそうなこと、受け入れてもらえそうなことを自分が言っているような気がしてくるのだ。本当はそんな簡単な、数行で言えるようなことじゃないことが詰まっているのに矮小化してしまっていないか? 言っているうちに、自分でもそんな気がしてきて、作品を枉げてしまっていないか? 知らず知らず制作の本質を見失ってしまっていないか?

 他の作家が、きちんと自分の作品をとらえて説明し、客(この場合私だが)に媚びずに説明しているのを見るにつけ、そういう思いにとらわれる。

 作家と話せてよかったという観客もいるが、そうなんだろうか? 作品は観客がうけとるもの、作家は制作のときは真摯に作るが、作品をどう観るかというのは観る人の心一つではないかと思いもある。そう主張する作家もいる。実際、過去にわたしはそういう経験をして、大変幸せな気持ちになった、わたし以上のことをわたしの作品は持っている、という制作の可能性に気づかされて。では、自由に観ればいいのか、と訊かれると、自由に観ればいいなら作品は要らないじゃないかと反論したくなる。簡単に受け入れられるものを作っていないという自負もある一方、きれいな線だねと言われるとそれはそれでうれしくなってしまう。

 だいたいが、わたしは、わたしよりも大きなものを持つゆえに制作に魅力を感じている。自分がコントロールできない部分に、作られる際の流れに。自分が説明できない部分がおもしろいと思っているのに、説明しなくちゃならないから矛盾を感じる。トルストイのように神のような視点をわたしはもっていない、カフカのように画面に近寄る視点だ。

 作品解説、作家が在廊することについては、あいかわらず答えが出ないままだ。それでいつも、作っているときのことを話すことになる。

2015/09/25

朗読パフォーマンス アーティストトーク・バージョン「中之条への道」~中之条への道(26)

 アーティスト・トークでは、冒頭で制作のことを少し触れたのち、朗読パフォーマンスをおこなった。ブログで書いていた「中之条への道」を短くしてアーティストトーク・バージョンとして朗読した。
 
 誰かが必ず見ていてくれる、と何度も自分に言い聞かせて企画し練習した。

 本当に誰かがちゃんと見ていてくれた。
 多くはないけど、少ない人たちがちゃんと見ていて、面白かったと言ってくれる人はたくさんいた。逆説のようだけど本当のことだ。それにしても相当緊張していたらしく、かなりクールな印象だったらしい。それって顔が怖かったってこと?

 感情を込めてとかそういうんじゃなくて、終わりがなく続いていくこと、流れを見ている状態を言語表現でやりたかった。

 記録した映像があるので、いずれ発表したいと思っています。

2015/09/15

いよいよ開幕!~中之条への道(25)

1ヶ月間のビエンナーレが、いよいよ開幕しました!
初日からたくさんの方が来場されています。

わたしもオープニングから3日間行っていましたが、
熱気がむんむんしていて、
ハイ・テンションと一人になったときのテンションの乱高下で
非日常を味わっています。
その証拠に、いつもはしないようなヒッチハイクもしちゃったりして!
その話はまたいつか。

中之条ビエンナーレ2015
会期:9/12~10/12
会場:群馬県中之条町
入場:一般1000円(有人会場で必要。パスポート制)
http://nakanojo-biennale.com/

原口比奈子がアーティストトークに出演します。
9/19(土) 於つむじ  17:05から20分程度

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2015/09/08

素朴でストレートな質問に答えるFAQ~中之条への道(24)

ふだん現代美術とは無縁な生活だという知人にOZmagazineを見せながらビエンナーレのことを話した。すると、素朴な、ストレートな質問が出た。複数の人からよく同じ質問が出る。なるほどな、そうだよな、普通そう思うよな、と思った。「よくある質問」として公開する。

Q1)なにで描いてるの?
― マッキーだよ。

そう言うとみんなびっくりする。たまたまマッキーが傍らにあって、え、これ?なんて顔をする。うん、そう。特別な画材じゃなくて文房具なんかで、と思うのか、自分もできそう、と思うのか、それともまったく違うことなのか。とにかく最初に全員が聞く質問。

Q2)壁に描くとき下書きはあるの?
- ないよ。その場でどんどん描くのがわたしの手法なんだ。そこがまぁ、ウリっていうか、ね。

これもちょっとびっくりするみたい。即興がテーマだからね、消せないからどんどん描くしかないんだ、と言うと、納得したようなしないような顔。だって消そうと思えば消せるのにと思ってるのか、じゃあ絶対に間違わないんだスゲーと思ってるのか・・・。どっちも違う。間違うよ、というか、何が間違いかわからないけど、あっと思うことはある、でも人生と同じで前へ進むしかない、今を生きるしかない。あとになってこんな人生だったなんて振り返るより、今いかに充実した生を生きるかということだ、けどそれって普段みんながやってることじゃないの? だからその結果全体がどんな絵になったか、というのは実はあまり興味がないし、よくわからない。ただ、これはこっち側の話。

この話をするついでに、「そのとき思ったことを描くんだ」と話すので、そうか、人とか風景とかじゃないんだ、とも思うらしく、もっとあってもいいはずの「これは何を表現しているの?」という質問はない。

Q3)はしごが見えてたけど、はしごに昇って描くの?
- うん、そう。机も重ねて乗って描いたよ。

普通、絵ってはしごに昇って描かないからかな? それとも大きさにおどろいてるのかな?
ビエンナーレは大規模な作品も多くて、わたしの作品はそれほどでもないほうだ、小さくはないけど。はしごも設営ではよく使われる。慣れてしまうと別に驚くこともなかろうとこちらは思うが、そんなところに注目してるんだと思う。

Q4)色はないの?
- うん、ない。

それについてはこれ以上答えられない。ないって言うだけ。

たまに「これから色を塗るの?」と聞かれるけど、ドローイングつまり線の絵なんだ、と答える。色は塗るものだって思っている人が多いことに気づく。

Q5)ずいぶん広そうだけどここって・・・?
- 木造校舎の教室。広さは30畳で、普通のおうちよりも天井は1mぐらい高いかなぁ。だから広く感じるかもね。

Q6)この部屋は最初から白かったの?
- うん、前々回の作家が白く塗ったらしいんだ。もともときれいだったから、そのまま描けるなって思ったよ。わたしは、扉も塗ってさらに白くした。直接描けるところってそんなに多くないんだけど、ここはいいって言われてさ。

会期が終わったらペンキで塗って元に戻すんだよ、と言うと、またまたおどろく、もったいない、と言う人も。絵ってもったいないって思われてるんだ、とこちらがおどろく。まぁ、そうかもな。

「向こうに泊まりこんで制作してる、壁に描くから当たり前だけどね」と言うとやはりおどろく。絵って室内で描いて、どこかに飾るものだったよね。

質問っていうより、聞いておどろくって感じ。それを聞いてどう思ったのかこちらが聞いてみたくなる。

写真を整理していると、途中の感じのほうがグっと来ちゃうなぁと思う。過渡期にあるもの、現在進行形のもの、ベクトルを感じる。もったいないというなら、いっそわたしはこのすべてをとっときたい。この時間も空気も全部、ぜんぶ。一瞬一瞬その場で思ったこと、全身で受けとったすべての体験を。本当はそう思う。だけどそんなことはできない。

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2015/09/08

選べるグッズ~中之条への道(23)

グッズをショップで販売いたします。今日はそのご紹介。
(1)掛け時計
(2)ねこ派のための手ぬぐい

女性って買い物するとき選びたいじゃない? 色違いとか、サイズ違いとか、デザインがちょっと違ってるとか、ショルダーか手提げかとか、タテかヨコかとか、そういうのがあると楽しいよね。「どれにする?」なんて迷ったりするのはお買い物の醍醐味。それでグッズ制作は「選べる」を念頭に制作した。

■掛け時計≪run with lines≫
掛け時計としても、秒針だけ取り付けて立体作品としても、お楽しみいただけます。
時計盤は手描きのオリジナル品ですので、同じデザインのものはありません。
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■ねこ派のための手ぬぐい
かぶるとねこになれるボタンつきの手ぬぐい。
色違いが2種類。
おばあちゃんモデルに頼んだら、ノリノリだった。
写真で見るより試着してほしい品。頭にもう一つ別の顔があると、もう一人の人格が生まれるようで楽しい。「頭にもう一つ顔があってもいいじゃないか」(岡本太郎)
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POP用に描いたイラスト こういうのを一度ちゃんとオモテへ出したかった。ねこ派のための手ぬぐいイラスト

わたしも使ってます。
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楽しいもの、自分が欲しいものを作った。そう、わたしは時計と本と仮装が好きなのだ。
展示会場から徒歩5分の旧伊参小学校のショップで販売予定です。

2015/08/29

虫助け楽しい~中之条への道(22)

 現地制作に行って最初驚いたのは、自然の「まん中」ということだ。
 わたしが住んでいるのは郊外で、山はないが川はある、蛙だって鳴いているし、自然は別にめずらしくはないと思っていた。そもそも都会にも自然はあるし、と。

 しかし、中之条の伊参地区はまったくちがった、自然の「中」だ。普段自分が暮らしているのは、自然の「隣り」だということに気づいた。なぜそう思ったかと言えば、とにかく虫は普通にいて、人間より虫のほうが数が多いという当たり前のことに気づいたからだ。普段暮らしていると、人間のほうが多いような、人間が虫をコントロールしている気がするのに、われわれ人間が自然の中に入らせてもらっている、という感覚になる。

 伊参スタジオは60年前の木造校舎で、3ヶ月留守にしていたら小さな虫が教室内に落ちていた。隙間から入ったはいいが、出られなくなった虫たち。アルミサッシの窓からは虫は完全に遮断されているけど、木造の窓だから隙間から虫が入る。そういえば田舎帰ると虫っていたよな、と思った。縁側が当然開いててさ。

 制作中、トントン窓ガラスに虫があたるのを聞くと、わたしはそっと窓を開けてやる。こっちだよーと誘導してやるが、なかなか窓が開いているのに気づかない、そりゃそうか、と虫の視野がどうなっているのかを考える。反対側のガラスを開けてみたり、何度もスライドさせてみたり、ガタガタと音と立ててみたりするも、窓枠につぶされないように逆方向に向くやつ、わたしの善意の指から逃げるやつ、で思うように外に行ってくれない。

 それでも根気よくやっていると、何かの拍子に脱出する。勢いよく飛んでいく様子を見ると、ふぅ、よかった、と思う。虫を助けているつもりだ。

 はじめて夜、制作してると、ほかが真っ暗でウチだけ明るいので、とにかく蛾がたくさん集まってきた。別に怖くはないので実害はないが、けっこう大きな音で激突してくるのもいる。

 中にかなり巨大な蛾がいて、さすがにちょっと気持ち悪かったが、窓ガラスの向こうにオバケが見えたら怖いので見ないようにしていたし、制作に必死でそれどころではなかった。ただ、夜に明かりをつけたりして、虫たちに悪いことしてるなぁと思った。

 虫と言えば、昼は校庭に出てお弁当を食べたが、ベンチの足元でミミズが干上がっているのを見て水をかけてやった。あくる日も、同じところにいたので、死んでるのかなと思った。次の日もいた。同じ格好なので、ちょっと足でつついてやったら、曲がった鉄の棒だった、という笑い話。

 人間とまったく会わずに黙々と制作ばかりしていて孤独なので、しょうがないから虫と関わりを持とうとし始めたのかもしれない。

 虫助けをしたい方はもちろん、虫嫌いの方も昼はほとんど虫はいないので心配せずにいらしてください。木造の校舎がとっても素敵です。

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入口から見える壁の線は、自分としてとくに気に入っている。

2015/08/25