(2015)中之条への道(中之条ビエンナーレ2015)」カテゴリーアーカイブ

二つの作品~中之条への道(39 完)

 ちょうど一年前に書き始めた「中之条への道」も終わりに近づいた。
 初めてのビエンナーレ、初めての現地制作に際し、山登りと同様、目指すものがあるときの気持ちを、そのまま映したいと思って書いてきた。
 そのため「への道」というタイトルにした。
 達成された何かではなく、指向するベクトルそのものを表現しようとするわたしの制作と同様、歩みを進めるにつれ新たに目の前に広がる景色に目をみはるように、新鮮な驚きと心地よい緊張感を表現してきたつもりだ。
 中之条ビエンナーレはわたしにとっての坂の上の雲、ロンドン中央郵便局であり、中之条への道はすなわちわたし自身の探求の道であった。

 この文章と展示作品の二つともがわたしの中之条ビエンナーレの作品になったことを今は心から喜んでいる。(了)

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作家の本分~中之条への道(38)

 会期中、あることでわたしは大泣きすることがあって、後日、そのことについて偶然、作家のMさんと話すことになった。Mさんは、こんなことあったんだってね、とことさらに言う人ではなかったが、事情は知っていたと思う。一般的な話として作家はどうあるべきかという話をしていたが、でもわたしの念頭にあったのはそのことだったし、明言しなかったがMさんの頭にもそのことがあったはずだ。(今思うと、わたしのことをなぐさめようとあるいは励まそうというようなこともMさんは考えていたのかもしれない、そういう人だ。)

 それで少しわたしに気を遣ったのか、「美術を受け入れる環境を作るというか、社会においてそういう教育や啓蒙が必要かもしれないけど」と言う。声高にそう主張する作家もいるし、たしかに正しいことのように見えるし、その事件に加えてわたしの経歴や見た目の様子からいかにもそういった主張を持っているように思ったのかもしれないが、でもわたしは、泣いたには泣いたし怒り狂っていたけれど、それに関してどうあるべきか、なんてことは少しも考えていなかった。もちろん個人的には大きな衝撃ではあったが、それはきわめて個別の問題であって、それを広く社会全体の問題にまで一般化しようという気はなかった。わたしはつねに誰の問題かを考えている、それはわたしの問題ではない。

 「教育とか啓蒙とか社会に対してどうこうすべきとか、そういうことにはわたしは全然興味がないよ、作家はただ作ればいいんじゃないかなぁ・・・」静かに普通のことのように言ったわたしはそのときけっこうカッコよかったと自分で思う。

 それを聞いたMさんの、意外なようなそれでいてホッとしたような気配が電話越しから伝わってきた。それで気を許したのか本心を少し明かしてくれた。それはどちらかといえば少数派の先鋭的とも言える考えだったが、わたしには言ってもいいと思ったのではないかと思う。わたしはその考えにはとくに共感も反対もなかったが、Mさんがどういう姿勢でいるのか即座に理解できたし、機微に触れるような制作についての主張を打ち明けあえたことをうれしく思った。

会員制クラブ「黒眼鏡倶楽部」~中之条への道(36)改定版

 黒眼鏡倶楽部とは、中之条ビエンナーレ公式作家のうち黒縁眼鏡をかけた作家のみで構成される会員制のクラブである。と言うと、なにやら排他的で少しく隠微な印象を与えるが、実はわたしが勝手に考えている架空のグループだ。

 黒縁眼鏡の作家は多い。そんな作家たちが集まってナニかやってると考えると、なんだか楽しくなってくる。しかも、わたしが好きな作家ばかりだ。

 ・・・と空想アソビをして一人なんとか中之条ビエンナーレになじもうとしていた自分のことを思うと、哀れにもけなげにも思う。

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牧水~中之条への道(37)

 中之条は、若山牧水が『みなかみ紀行』を詠んだ土地で、暮坂峠に詩碑と銅像がある。

 会期中、実行委員会が企画する沢渡を通って六合に向かうバスツアーに申込むと、いつもは駅などで観光案内をしているという地元のボランティアスタッフが添乗し、車中いろいろな話が聞けて楽しかった。

 秋には牧水まつりというイベントがあって、と聞く。牧水の子孫を招いたり詩歌の朗読をしたりする催しだそうだ。

 わたしの大学時代のゼミの先生は若山牧水賞を受けた歌人で現在は選考委員をしている。文学部の友人は先生を指導教官として卒論で牧水を取りあげた。先生は自他共に認める大酒呑み、その友人も相当の酒呑みで、大大大酒呑みの牧水を親しみと畏敬をもって研究していた。

 牧水はね、日記に「朝2合、昼2合、夜6合」なんて書いてあってね、ツマミを少し口にするぐらいでご飯は食べずに酒ばかり飲んでいた、まぁお酒もお米からできてるからねとか、死んだときも遺体からいい匂いがして腐らなかったホルマリン漬けになってたらしいと、桁外れの酒豪ぶりを楽しそうに話していた。

 そんなゆかりがあって特別な存在だった牧水が中之条で大切にされているのを知ってうれしくなった。生まれ故郷の宮崎と、移住先の沼津、そして中之条で牧水は大事にされているようだ。

 という話をその添乗員のKさんにすると、顔をくしゃくしゃにして喜んでいた。ビエンナーレの出展作家なんです、と言うと、驚いてさっそく翌日、奥さんと一緒に会場に来てくれた。地元住民がさまざまな形でかかわっているのも中之条ビエンナーレの特徴である。

 牧水については松岡正剛が書いている。「松岡正剛の千夜千冊 若山牧水歌集」http://1000ya.isis.ne.jp/0589.html
 明治生まれの歌人の歌が今でも読まれるのは、届かない思いを抱いて旅をする気持ちが現代にも共感を生むからではないだろうか。

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暮坂峠の若山牧水の詩碑と銅像

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なかなか旅に出かけられないお友達に「気分だけでも」とお土産にあげた入浴剤のパッケージにも牧水は登場する。

会員制クラブ「黒眼鏡倶楽部」~中之条への道(36)

 黒眼鏡倶楽部とは、中之条ビエンナーレ公式作家のうち黒縁眼鏡をかけた作家のみで構成される会員制のクラブである。と言うと、なにやら排他的で少しく隠微な印象を与えるが、実はわたしが勝手に考えている架空のグループだ。

 黒縁眼鏡の作家は多い。そんな作家たちが集まってナニかやってると考えると、なんだか楽しくなってくる。しかも、わたしが好きな作家ばかりだ。

 会場が一緒で制作中も一緒だったTさん、別のアートイベントでばったり会ったTさん、作品を先に観ていてお話してみたかったIさん、作品に自信がなくてメソメソしていたら励ましてくれた亡霊仲間のIさん、アーティストトークがきっかけで仲良くなって伊参小のダンスも一緒に観たTさん、会期最終になってやっと話しかけてみたお友達のお友達のUさん、家族がこの作品が一番よかったと言っていたYさん。そういえば、知り合いの知り合いの知り合いという遠い関係だったのが実はビエンナーレ公式作家だったという偶然が偶然をよんだTさんもそうかも。会期中ずっと忙しそうにしていたMさんも入れよう。一大勢力である。なお黒眼鏡倶楽部は強制入会だから、やだと言っても入らざるをえない。

 という空想アソビをしていたら、その後、別の企画の担当者に会ったらその人も「黒眼鏡倶楽部」会員だった。わぁ、ここにも、と思った。お互いはじめましてだから、待ち合わせ場所で会う前に電話した、「ええっと、わたしは黒眼鏡でオカッパの女です」と言うと、「わたしも黒眼鏡の女です!」と。会員同士、急に距離が縮まった。黒眼鏡倶楽部はいよいよ隆盛を誇っているようだ。

 もう一つ「ワンピース☆クラブ」にもわたしは入っているが、こちらは弱小。ほとんどメンバーがいない。

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映画『かもめ食堂』がよかったので次作も観た『めがね』で使われていた白山眼鏡店の眼鏡。亡くなってから知った安西水丸さんとわたしをつなぐ細い糸だ。

中之条でやり残したこと~中之条への道(35)

制作中、会期中に中之条でやり残したことを撤収時にすべてやってきた。

1)積善館に泊まりたい
宮崎作品の大ファンとしては『千と千尋の神隠し』の湯屋のモデルの一つとされている積善館にぜひとも泊まりたい!というのが当初からの願望としてあった。会期中に家族と一緒にと思っていたら、あっという間に満室に。それで撤収時に一人で泊まった。内心キャアキャア言いながら館内をうろつき赤い橋やトンネルの写真もちゃんと撮った。

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2)沢渡温泉に行きたい
 沢渡温泉には地元住民優先の共同浴場があって、共同浴場というのにわたしはずっと興味があった。共同浴場とは、地元の住民が普段の生活で風呂として使うために共同で管理する浴場で、そこをわれわれのような外部の人にも使わせてくれるというものだ。

 それに「一浴玉の肌となる美人の湯」として有名らしい。沢渡温泉の旅館の亭主という人と会期中に会場で話す機会があり、聞けば温泉の温度が高く熱いお湯だそうだ、いいな、いいな。一度ぜひ来てくださいと言われてその気になっていた。中之条には温泉はたくさん湧いているが、展示エリアでは四万と六合と沢渡に温泉がある。四万は制作中の作家特典として無料で入湯できたし、六合は会期中にスタンプラリーのスタンプを一定以上集めたので無料で入湯したが、沢渡は残念ながら、と思っていたが、ついに撤収時に行けた。
 ほかに誰もいなくてすっかり独占してしまった。大谷石の湯船に浸かり、湯の流れる音を聞く。

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3)ハラミュージアムアークに行きたい
 ほんの3つ先の駅だというのに、制作中も会期中も行けなかった。本当はサイ・トゥオンブリー展を狙っていたのに。でも行けてよかった、という話はもう書いた。
http://hinakoharaguchi.com/archives/3056「撤収~中之条への道(32)」

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4)ビエンナーレトラックで荷物を運ぶ
 撤収でできた荷物は通称「ビエンナーレトラック」に輸送を頼めるのだが、いろいろな偶然が重なってわたしは同乗して帰ることになった。ビエンナーレの写真を大きくラッピングしたトラックで、あれで搬入搬出するというのは出展作家だけに許された喜びだ。そのビエンナーレトラックがアトリエに来るのだってうれしいのに、わぁ、乗っちゃったよ、わたし! かなり興奮気味で乗り込んだ。

 運転してくれる町役場のKさんは尻焼温泉に住んでいて、何軒かで温泉の権利を持っているので家に温泉が引かれているという。蛇口をひねれば温泉が出てくる夢のような話。うらやましい。そんな話を聞いたら川底から湧き出す尻焼温泉にも行きたくなってきた。

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5)『眠る男』を観たい
 この話はもう書いたが、たまたま東京で上映していたので観られた。ずっと会場として親しんできたあの場所で撮影されたんだよなぁと思いながら観るのもまた格別だった。
http://hinakoharaguchi.com/archives/2838 「一人小栗映画祭」

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伊参スタジオに保存されている「眠る男」のセット

 撤収に行ってきたよ、やり残したこと全部やってきた!と鼻息荒く他の出展作家に話したら、六合の「野のや」は行ったの? あそこのそばはマスト、なにしろ隣の小屋でまいたけ栽培してるんだから、と。てんぷらが絶品らしい。そういえば出展作品の写真で観て美しいと思った別名「天空の湖」野反湖も行ってないし、まだまだやり残したことはあるみたい。
 でも、ぐんまちゃん今川焼きは食べたもん。

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コンビニで売ってる。かわいい。もぐもぐ。

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中之条の秋 雲の上を車は走る。雲海を眼下に見る風景に陶然とする。

これは芸術か~中之条への道(34)

 美術作家のIさんに地元の人が他の作家の作品についてこんなことを言っていた。「あんな××を集めたり並べたり置いたりしただけで、あんなの私でもできる、あれで芸術なのかい?」それに対してIさんはこう答えた、「・・・芸術です。」

 そのときわたしはおかしくてしかたなかった。芸術か?芸術ですってなんだかおかしい。芸術ってなんだかわからないからわかりそうな人に聞いていて、それに対してIさんが大真面目に答えているその状況にも。

 わたしはこの問答を立ち聞きしながら、赤瀬川原平を思い出した。ある高名の文学者から空の封筒が送られてきて、兄も文学者なので知人であるし、何かが送られてくることもままあるが、空というのは尋常ではない、「芸術か!?」と思った、というエピソードである。

 わたしはこの箇所もクスクス笑いながら読んだ。真面目であればあるほどおかしい。

 もう一人別のIさんの作品の前で若い女性二人がこんな会話をしていた。「これも作品なのかなぁ?」「変だから作品なんじゃないの?」

 この会話もわたしはおかしかった。そして、そうだよな、とも思った。
 変なものじゃなければそれはただの消費財、よくある商品として流通しているだろう。見慣れてないもの、変なものとはつまり唯一のものとしての作品、価値がまだ与えられてないもの。

 ここにはもう一つの論点がある、作品、と言ってしまえば納得するという、芸術がある種ブラックボックスになっているという点だ。二人は、そうだよね、そうだろうね、よくわかんないけどそうなんだろうね、とそれ以上深く詮索していなかった。作品として自然に受け入れているということでは、ビエンナーレがこの土地に浸透していることを如実に示す例でもあった。

 伊丹十三は「これは映画か?というようなものを作りたい」と言っていた。意味がどうこうごちゃごちゃ言わず、とにかく自分が興味があって、おもしろいと思ってて、ずっとやってしまうことを今年は追求してみたい。がんばるという言葉は嫌いだけど、ひとつ、がんばってみようと思う。

 新年でもあることだし思いきってわたしも言ってみよう、「これは芸術か?というものを作りたい」。

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初詣の洗い観音 目と手と心臓を洗った。眼を磨き手を練り気を充たし事にあたりたい。

朗読パフォーマンス「中之条への道」 映像を公開しました~中之条への道(33)


(19分29秒)
朗読パフォーマンス≪中之条への道≫

中之条ビエンナーレ2015
アーティストトーク
ふるさと交流センターつむじにて
2015/9/19

伊参スタジオでの現地制作の様子を撮影した映像を背景に、
現地制作について自作朗読しました。

廃校の教室の壁に直接ドローイングを描いた作品
≪即興と変奏 ― drawing room≫

撤収~中之条への道(32)

 11月初旬、撤収に行ってきた。

 壁に描いた絵をペンキで塗って原状復帰するので、作品ともお別れ。もっと寂しいかと思ったが、実際に作業が始まると、どんどんやらねばと、それほど感傷的にはならなかった。それよりなかなか白くならず、気ばかり焦った。木造校舎なので、壁の部分がすべて同じ素材でできていないことが原因だった。ギャラリーではかならず同じ素材、ベニヤ板でできているので、こんなことはない。

 こうしたこともビエンナーレ特有の思わぬことで、これも制作のうち、おかげで雪のちらつく冬の中之条も経験できた。

 帰りには、ずっと狙っていた渋川のハラミュージアムアークに寄り、草間弥生と磯崎新を観た。ほとんど人がいなくて、美術はこんなふうに一人静かに鑑賞するものかもなぁと少し思ったりもした。制作中も会期中も忙しくてまったく行けなかったが、閉幕後に観たのも何か意味があるような気がする。

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作家になったらやりたいこと~中之条への道(31)

作家になったらやりたいことがわたしにはある。どれも知らない人との間を結ぶ関係性だ。

1、知らない人からサインを求められること
2、作品を買った人とお話しすること
3、ボランティアスタッフに制作を手伝ってもらうこと

 1は、小学生の女の子だった。
 とてもまぶしそうに目をキラキラさせていた。本当に目ってキラキラするものなんだなと思った、まさにハートマークでまっすぐにわたしを見つめていた。今わたしは彼女にとって希望なんだと思った。ビエンナーレのガイドブックにサインをした。作品ではなかったがガイドブックは買ったものだったから。一緒に写真を撮りたいと言われたが、そんなのわたしのほうこそ、と思った。

 2は大人の女性。偶然だった。会場で夕方4時半ごろ、それはそろそろ入場はお開きという最後の時間だったが、熱心に観てる人がいるなと思って、少し疲れていたがわたしから話しかけてみた。しばらく会場を留守にしていたら、紙の配置が少し変わっていて、わたしの意図した通りではなかったので、こんなに熱心に観ている人にはちゃんと言い訳したいと思ったのだ。えっと、ちょっと触った人がいるみたいで、当初のわたしの意図通りではないんですが・・・、これを話の接ぎ穂として、作品について制作についてそしてここから徒歩5分のところのインフォメーションのショップでグッズも販売しています、と言ったら、実は時計を買いました、と言われて、おどろいた。とてもとてもおどろいた。

 わたしはそのとき堂々と言った、「あれはいいものです、買う価値があります、私自身とても気に入っています」と。そのときの自分はとてもいい感じだったと思う。5つあって、どれもデザインが違ったので選ぶのが楽しかった、並べてずいぶん迷った、それはまさにわたしが狙った通りだった。家にちょうど時計がなかったものだから、と彼女は言い、伊参スタジオの作品もじっくり観て帰った。

 内気そうで、自分から作家に話しかけるような人ではなかった。事実、自分が作品を買ったってことをかなり後になって切り出していた。わたしから話さなければすれ違ったままだったはずだ。数日前にいやなことがあって以来、話しかけるのを忌避するような気分だったが、思いきって話しかけてよかった。じんわりとうれしさをにじませながら、そして後ろ髪をひかれるように帰っていった後姿をわたしは忘れないだろう。

 3は、実現しなかったこと。
 以前、それはわたしがまだ現代美術作家ではなかったころ、アートイベントのボランティアスタッフをやったことがあって、その団体が今度は作家の制作スタッフを募集していると聞いて、大きい作品は作家以外の手が、しかも素人の手が入るんだと少しびっくりしたことがあった。わたしは当時、作家ではあったが、現代美術の制作についてはくわしくなく、そのときに、わりとそういうことは多いことを知った。多作の司馬遼太郎が、資料を読むのも本人なんですか?と訊かれる、どんなに膨大な資料も本人の中に入れないとどうしようもない、と書いていて、小説家は自分ひとりで書くと思っていたが、どうやら美術作家の場合はそうでもないようだ。

 それでわたしはいつかスタッフに手伝ってもらわないとできないような大きな作品を作って、知らない人に手伝ってもらうという憧れを持っていた。事前のオリエンで、広くボランティアを募るのでそういうことも可能と聞いて、ビエンナーレでますます実現性が高まったと思った。事実ビエンナーレにはサポーターズというしくみがある。

 とはいえ、いつも自分ひとりで制作しているし、制作そのものは手伝ってもらうような性質のものでもないし、と思っていた。だが、撤収は! そうだ、撤収は養生を手伝ってもらえるんじゃないか?と期待を持っていた。夢がかないそう・・・。

 それで、あらかじめそう事務局に伝えておいた、いついつに行くから一人お願いします、と。ところが、直前になってわたしの気が変わった。そもそもわたしは誰かが一緒にいるとその人に気を遣って、自分のことに集中できない性質だ。お手伝いの人と言っても、きっとわたしのほうが気を遣うことになって、撤収も制作のうちなのに中途半端になるだろうと思った。何か欠けることがあるだろう。もっと集中すればよかった、そんな後悔が目に見えるようだった。不完全燃焼、失敗するわけにいかない、撤収だって一発勝負なんだから、と土壇場になって断りのメールを送った。

 夏の制作中、Jさんはたくさんのスタッフに手伝ってもらっていた。Jさんしかできない作業を進める一方、今日は1人、明日は3人、あさっては誰もいない、予定を立てにくい中で全体の作業の割り振りを決めて指示するのは大変そうだった。夜、みんなでワァワァ工事をやっていた作家のTさんもいた。大規模でかっこいいなぁ。一方、撤収をもう終えたと話していたMさんは、大きな作品のように思っていたけど、と言うと、ううん、一人でできないことはしないの、とさわやかに言った。ハッと思った。わたしはこっちなんじゃないかって。

 結局ボランティアスタッフに手伝ってもらうことはなく、一人で原状復帰をした。養生は身体全体を使って疲労する上に、脚立に昇ったり降りたり動かしたりで思うようには作業は進まない、人海戦術ならもっとラクなんだが、と何度も思ったが、こうした時間や体力、面倒さをかけることがまたわたしの制作なんじゃないかと思った。

 「作家になったらやりたいこと」はまだまだある。次にとっておこう。

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