カテゴリー別アーカイブ: 美術鑑賞

2019/12/06

大嘗宮見学

大嘗宮一般参観に行ってきた。

妹が観たがっていたが、遠方のため無理なのを残念がっていたので、代わりに観てくるよ、と行ったもの。

この日、快晴。

千木が見える。出雲大社を思い出す。

黒木門 こっちは源氏物語を。六条の御息所が住んでいた野々宮にはこんな門があったはず。

小柴垣 こちらも源氏物語の若紫。小さい紫の上が泣いてるのを光る君が見るシーン。

千木と鰹木。竹がまっすぐだった。

板葺きの屋根が実に美しかった。晴れていたから、きらきら輝いて天然石のスレートかと思った。

 

東京のど真ん中に自然がいっぱいの広い場所がドカンとあって無料公開されていて、いいなと思う。旅行に来た気分になった。あれ、ここどこだっけ?

実はすごく混んでいたのだけど、空が広くて、敷地が広いので、人がいることにまったくストレスに感じなかった。

みんな和やかな顔で、のんびり歩いていた。

売店に寄る。菊紋のお盆なんかで和菓子なんか出したら、大丈夫かなと思われないかね、などと思いながら見ていたが、あれ、この菊紋のお箸、デザインに見覚えがあるなと思ったら、家でずっと使っていたものだったことを今さら知る。色違いだから、家族各人の専用の箸がわかってちょうどいいと思っていたけど、そうだったのか。夏に大問題になっていたけど、普通に使ったりダメになったら捨てたりしてるじゃないか。

帰り際、剣道の稽古の音がした。太鼓、踏み込み、気合の声と竹刀の音。皇宮警察のトレーニングだろうか、皇居の敷地内に道場があるのか、、、。音楽ホールもあるし、図書館もあるし、なんか大学のキャンパスみたいだな。そういえば皇居についてほとんど知らない。どこにどなたが住んでいて、どこで公務をしているのか。

石垣と紅葉。

こんな広い空が都心にあるなんてね。

坂下門のランプのデザイン、すてき。皇居になったのは明治だものな、こういうものもあるよな。

坂下門 お城だ―と思う。夏に行った駿府城公園にも似たようなのあったぞ。そうか、もともとは将軍が住んでいたのだった。

テキガタの家に住むっていうのは、日本ぽいなと思う。

チェスと将棋の大きな違いは、将棋はテキの駒も味方になるってことらしい。チェスでは色が明確に分けられていて、そんなことは絶対にできない。文化を表しているなあと思う。


大嘗宮一般参観
皇居東御苑にて
2019年11月21日(木)~12月8日(日)

2019/11/25

印象派を観にトビカンへ 子どものための美術館ツアー

子どものための美術館ツアーで印象派を観にトビカンへ行く。夜が早くなってきた、前庭が美しい。トビカンは壁の色が赤、黄色、緑、椅子も4色で、それも楽しい美術館。

展示でロダンの彫刻を熱心にためつすがめつ観てる子がいたので、そんなに気にいったのなら、もっと大きいやつあるから観にいこっかと、西洋美術館の庭に寄った。

立体作品は、こっちから見るのとそっちから見るのとでは見え方が変わるのがおもしろいらしい。唇が出っ張ってるよ、そうだねえ。

井上武吉の作品に映った私たち。球体の輪郭が風景に溶け込んで、不思議な写真。トビカンの建物とつながって、向こうにいるようだ。(実は手前にいる。)


わたしは今回、セザンヌをすごく楽しみにしていた。以前はセザンヌってなんだかよくわからないと思っていた。りんごやら風景やら暗くて古めかしい。でも今は、セザンヌが現代美術の扉を開いたことがよくわかる。今こそ多視点と色彩の構成、何より作家の内面を描いた様をじっくり観たいという気持ちになっていた。いろんなところへ目の位置を動かされてみたい。

自分もそんなことを考えるようになったと感慨深い。自作のガラスに描いた作品は、観る人の目の位置を考えて描いたからだ。描くことで、観るのも深まった。


コートールド美術館展 魅惑の印象派
2019年9月10日(火)~12月15日(日)
東京都美術館

2019/11/15

バスキア展とつげ義春展

バスキア展に行ってきた。

大きなサイズの作品がたくさんあってサイズのことを私はずっと気にしながら観た。

入場するのに大勢の人が並んでいるのを見てふと思ったのだけど、わたしは美術作家でなかったら観に来ていたかなあということだ。

最近は美術館に行くのも他人の作品を観るのも、自作の栄養にしようと思ってのことで、そういう意味では純粋に美術鑑賞しているのではないと思う。美術が好きというよりも。

自分の作風は、実は大きい作品に向いているのではないかと思い始めている。だから今はサイズのことばかり気になる。だいたい2M×2Mか、120号がいくつも並んだ展示室はいい感じだった。だけど、大きい作品を作るには、クリアすべき課題がある。制作及び保管スペース、それにキャンバスは作ったことがないからなあ。

 

それはそれとして、帰りがけにカーテンが奥にかかった一角があって、つげ義春展と書いてある。準備中かな、と思ったら、この小さなコーナーが展覧会だという。なんと「ねじ式」の原画が展示されていた。ついでに見られてなんかうれしかった。

つげ義春本人と「ねじ式」の少年はやはりよく似ていた。わたしの「作品は作家に似る説」をまた証明するケースである。

ほら、ね?

鼻とか目とか口元そっくり。

原画を手前に、展覧会名を裏から撮ったら鏡文字になって、気に入っている写真。

イシャはどこだーと「眠科」と看板がでている街を歩くシーンは、誤植がかえって不条理さを増していて、こっちのほうがいいと思うのだけど、のちに正しく直されているらしい。

文字と絵がある、というのはわれわれは漫画表現で慣れていると思う。文字が画面に出てくるバスキアの作品を観て、つげ作品を観て、そう思った。


美術というより、別の意味で注目されている作品。
でもこの作品はたしかにほしくなる作品だと思う。世田谷美術館蔵の作品《SEE》と、個人蔵の黒い画面に白いシルクスクリーンインクで文字が描かれた作品《中心人物の帰還》もほしい作品。

とは、自分でもびっくりする感想。今までコレクターってどういう心持なのかしらんと思っていたから。やはり、2作品とも日本人の個人蔵なのが、自分も、と思う契機になっているようだ。そう思った鑑賞者もいるかもしれない。

《SEE》は https://www.setagayaartmuseum.or.jp/about/collection/modern_contemporary/

《中心人物の帰還》は https://casabrutus.com/art/118157/3

《SEE》とは別の作品の部分。シルクスクリーンインクは強さがあってきれいだ。ペンのように描かれているけど、シルクスクリーン技法で描かれているのか、それとも、インクを出すようなペンを自作しているのか。


六本木ヒルズ52階から見た夜景。空と分かつ明かりの線がまっすぐ一直線で、でこぼこした街の風景でも水平線が生まれるのだなと思った。それほど遠くから俯瞰できる場所だということにも驚愕した。果たしてこんなふうに世界を見ていていいのだろうかと思う、神の視点ではないのかと。ムスカのようになってしまいそうで、一方でぞくぞくするほどの興奮もあって。

 


バスキア展 メイド・イン・ジャパン
2019.9.21(土)~ 11.17(日)
森アーツセンターギャラリー

つげプロジェクト VOL.1 ねじ式展
2019年10月30日(水)~12月1日(日)
六本木ヒルズ森タワー52階 THE SUN & THE MOON内 東京カルチャーリサーチ

2019/11/10

大きなサイズの絵を描くことと「ちょっくら江戸へ」深川江戸資料館

このところ、書くのが怖くなったり、書きたい主題が固まってから、とか考えすぎていた。もっと気楽に書こう。

今日は、搬入に行った帰りに、清澄白河の深川江戸資料館に行った。杉浦日向子さんの企画展が明日までだった。1年間やってるからいつか機会を見てと思いつつ、いつのまにか会期終了間近に。搬入がスムーズにいかなかったら無理だな、あきらめるかと思っていたが、思いのほか早く終わったので、寄ることにした。大丈夫、今から行けば、1時間見られるよっ!

 

だけど、その前に搬入の話。

アトリエで描いてるときは、「この絵、相当大きいなあ」と思う。電車に持ち込むときも、あんな大きなもの持ち込んで大丈夫かなと思う。でも、搬入するときは、部屋が大きいから絵がそれほど大きく思えない。あれ、これぐらいのサイズだったっけ?と拍子抜けする。

だから、アトリエで描いてるときも、正しいサイズ感をもって描いたほうがいいんだろうなと思う。とはいえ、空間の感覚っていうのはむずかしい。経験を積んでいくしかないと思う。

搬入は、他の作家も来ていて、みんな一人で黙々と作業をしていた。梱包を解いたり、電動ドリルで作業したり、プチプチをしまったり、だ。ああいう姿をみると、絵は相変わらずアナログで、一人で描くものだなあと思う。

思うに任せないことも多いが、大きい絵を描ける今の状況に感謝しようと思う。以前のアトリエでは、絵を置きっぱなしにしたり、壁に仮に架けたりすることができなかった。気を回すことが多くて制作に集中できなかった。制作に倦むときも、この状況が続く保証はまったくない、来年はどうなるかわからないのだから今描くしかないと鼓舞した。制作する気持ちがなくなることが一番こわい。気持ちがあるうちに制作せねば。

少し年若の知人の作家が、とにかく続けていけばいいんだからとこともなげに言っていた。前を向く決意表明だろうと思うが、私は続けられなくなることはあると思っている。家庭環境、住む場所、仕事の状況、急に病気になることだってあるし、そもそも気持ちが向かなくなることも。私は経験があったから、簡単にはうなづくことはできなかった。確かに若い人は自分の気持ちのコントロールが可能だと信じているものだ、私も。

今は、制作できる今の状況に感謝しながら(うわ、自分で言って鳥肌がたつ!)、日々を過ごしていこうと思う。


それで、深川江戸資料館。知人がすごく楽しかったよ、と言っていたので、ずっと行きたかったけど、清澄白河はうちからちょっと遠い。何かのついでにいけたら、と思っているうちに1年がたっていよいよ杉浦展が終わってしまうので、今日むりやりに行けてよかった。

江戸時代末期の深川佐賀町の町並みが復元されていて、長屋に上がり込んで、生活道具を自由に触れる。台所にお茶碗、枕にお布団とか。おい、はっつあん、なんだいくまさん、と落語の舞台になりそうだ。次は誰かと一緒に行って落語みたいに即席コントをしたい。

海外のお客さんもたくさん来ていて、ボランティアスタッフによる英語の解説を彼らに交じって一緒に聞いた。道具を手渡し、これを使ってみろとか、何に使うと思うかとか、船宿を指しながら川遊びではなくタクシーである、ここで客が待っている、これは川ではなく人口の運河だ、お稲荷さんは今でもコンビニで買える、といった解説がなんだか楽しい。

その向こうではオランダの灌漑とはこの点が違ってとか難しい話をしている人も。

長屋の井戸のそばに外国人の4人家族がいて、私が通りがかると、9歳ぐらいの女の子が私に向かって、あ!と指をさす。ん? すると彼女は自分のセーターを指さす。あ、セーターの柄がお揃いだね。彼女のセーターはウッドストックで、私のはスヌーピー。隣りには学校に上がる前ぐらいの妹がいて、彼女はスヌーピーとウッドストック。私の胸のスヌーピーを人差し指で直接触ってきた。同じだ同じだ、というようなことをキャッキャと言っていた。こんなとき何かおしゃべりができたらよかったのにね。日本語が一切できなそうだったので、きっとツーリストだろう。それにしても、小学生にとってお揃いっていうのはうれしいものなんだなと思う。

英語のガイドさんは生き生きと解説をしていて、お客さんとのやりとりも丁々発止、江戸時代の博物館に行ったのに、かえって海外の観光地に来たような気分になって、もう少し英語ができたらなあと思いつつ、浮かれついでに深川めしの素を買って帰った。

 

杉浦さんが語る江戸の人々の暮らしは本当にいい具合にいい加減で、のんきで、言葉は粋で威勢がよくって、どっちに転んでも生きていけるさという気分になる。

「猪牙掛かり」猪牙舟のように威勢のよいこと。威勢よく物事を行うさま。

ふうん、ちょきがかり、ちょきがかり、でいこうか!


では、タイムマシーンに乗って、ちょっくら江戸へまいりましょう!

火の見櫓が見える。長屋の屋根に猫。

猪牙を待つ船宿

天ぷら屋さん

長屋 クローゼットがないから下着はどこに置いたと思う? と問いかけられた。屏風の向こうに布団と枕を隠しておいた。銭湯に持っていく風呂桶の中には軽石と手ぬぐい。正面の戸棚にはお茶碗、箱膳も。台所ではご飯を炊くのとみそ汁を作るだけ、おかずは煮売り屋から買えばいい。シンプルな暮らし。


長火鉢と鉄瓶

仏壇もある。桐のタンスの引手って昔っから変わらないなあ。


どこの家にもちゃあんと神棚があるのがおもしろい。

深川江戸資料館 https://www.kcf.or.jp/fukagawa/
企画展「杉浦日向子の視点 ~江戸へようこそ~」
2018/11/13(火) ~2019/11/10(日)

2019/09/11

高畑勲展

「高畑勲展」を観に東京国立近代美術館へ。

高畑さんは尊敬する人。生き方が憧れ。クリエイターだけど研究者肌で。

学生時代に衝撃を受けて何度も観た映画について研究して本を書いて、後年、その映画の作者の詩のアンソロジーも作った。日本のアニメーションの起源を絵巻物に求めた。フランス文学を学んでフランス映画が好きで、フランスのアニメーションをたくさん日本に紹介した。こんな素晴らしい人生ってあるかな。

展示品のジオラマ

子どもの心を解放し生き生きさせるような本格的なアニメシリーズを作るためには、どうしなきゃいけないのかということを一生懸命考えた。
『高畑勲展――日本のアニメーションに遺したもの 』(東京国立近代美術館)

ハイジの、厚着していた上着を脱ぎ捨てて自由になっていくシーンは、心を解放させる過程であることに気づく。かぐや姫も一枚一枚着物を脱ぎ捨てて駆け抜けていく。私たちを束縛するものの象徴としての服。今でも。

『かぐや姫の物語』は、公開時の社会の雰囲気を覚えている。内容ばかりが議論されて、「線は非常に生き生きしたものを表現する力があるんじゃないか」それを実現するための途方もない挑戦については知らなかった。大きいスクリーンで見直したい。

スケッチがキーワードとなった『かぐや姫の物語』では作画における、線の途切れ・肥痩(ひそう)・塗り残しこそが重要だとされました。
『高畑勲展――日本のアニメーションに遺したもの 』(東京国立近代美術館)

「背後にあるものを感じられる線そのものの力」この言葉にわたしも力づけられた。

 

思わずいろいろ買ってしまった。

パパンダの指人形。かわいいかわいい。PCのデザインにマッチしている。

「こんにちは、おじょうさん。よいお宅ですね。特に竹やぶがイイ!」

パンちゃんのマグカップ。かわいすぎる。「おべんと、おべんとー」

2019/09/08

文学と建築で目を喜ばせる軽井沢旅行3/4

三笠ホテルは、軽井沢駅からレンタサイクルで行く。

暑いけど、森の中に入ると涼しい風。

 

別荘地を抜けて、人もあまりいなくなって、ずいぶん上ってきたけど道はこっちでいいのかな、と不安になるころ、森の中にホテルが現れる。

窓から見えるのは緑色。木が見えるというのじゃなくて、緑色に包まれて、室内にいる人も緑色に染まっていく。こういう窓辺で一日中すごしたい。

三笠ホテルの創業者は実業家の山本直良で、妻は有島武郎の妹。弟の有島生馬がホテルのロゴマークを手掛けている。

MikasaのMとHotelのHを三つの笠で囲んでいる有島生馬のデザイン ライティングテーブルやクローゼットにも。

2019/08/29

文学と建築で目を喜ばせる軽井沢旅行1/4

夏は軽井沢へ、母の知人が出演するというので加賀乙彦作品の朗読を聞きに行った。『永遠の都』、夏にふさわしい作品だった。陸軍幼年学校に通っていた主人公は、市井の人々は、終戦日前後をどう受け止め、どうすごしたか、当時の感じが浮かび上がってきた。

加賀乙彦さんとの集合写真に私も混ざっています。わーお!『死刑囚の記録』、高校生の時に読みました!とはとても言えなかった。後列中央は朗読をした女優の矢代朝子さん。朗読は解釈であると言っていたのが印象的だった。

会場は、フランス文学者、朝吹登美子の別荘「睡鳩荘」。ヴォーリズ設計。別の場所にあったものをタリアセン内の塩沢湖畔に移築された。テラスに座って湖をながめるこの配置はもともとここに建ってたかのようにぴったり。

軽井沢では秋や春も暖炉を焚くこともあるという。暖炉がしっかり作られている設計。白い大きな煙突が2つ。

暖炉の上のハンティング・トロフィーは水牛だろうか。これが外から見た大きな煙突のほうの暖炉。朗読はリビングでおこなわれた。40人満員。

リビングにさりげなくバルビエの作品が架けられていた。はわわ。さすがフランス文学者。バルビエの作品は一瞬でそうだとわかる、吸い寄せられる、個性的で、特有のにおいを発している。作家として大事なことだ。

ポット!ポット!ポット!(私はポットが好きだ。とくにこんなデザインのポットは!ほしいほしいほしい。)

池側から睡鳩荘に近づいてみた。ぐいぐい進むと次々に見せる姿を変える様子が面白い。あれ、この光景はなんだか見覚えがある、そうだ『思い出のマーニ―』だ、と思った。

アメンボボートに乗る。ペダルをこぐと湖面をぐいぐい進む。鴨が人間なんてへーだ、と我が物顔で泳いでいる。羽根が青くて美しい。夏は楽しい。

☆アナログハイパーリンクな読書

母→矢代朝子→軽井沢演劇部朗読会「加賀乙彦を読む『永遠の都』」→加賀乙彦『永遠の都』→朝吹登水子