アトリエ」カテゴリーアーカイブ

自分に合ったことをちょこっと 南天と月桂樹のリースとピアノ

年末からプライベートでも問題があって何かと落ち着かないので、お守りの意味を込めて、リースを新しくチェーンジ! 「難を転じる」南天と「空気を清浄にする 勝利の意味もある」月桂樹のリースを作った。

南天は鬼門に植えるといい植物なので、悪いものが入ってこないように、厄除けの意味も込めて門に飾った。

 

手を洗う洗面台には、月桂樹のみのリース。これで強力に空気が清浄されるわけではないけど、心理的な効果はありそうだ。ウィルスを洗い流す、持ち込まないと考えながらの手洗いは、思いのほか神経を遣う。消毒の塩素の匂いも緊張感がある。手を洗うたびにほのかに甘い香りがする、気持ちがほぐれる。


先日、友人に「あなたは絵がかけていいわよね、家にいるときなんか絵が描けたらなあと思うのよ、手作業すると気が休まるから」と言われたが、うーん、とごまかしておいた。

私は制作していると、ときに記憶がよみがえって苦しくなったりすることがあるから、気がめいった時には制作はキツイ。それに、やるぞーと気合を入れないと制作はできない、なぜなら私の制作は、、、なんていう話はややこしくなりそうだったので、黙っていた。

そもそも、めんどくさがりやだから、簡単にちょいちょいっとできることぐらいしかやりたくない。リースはすごく簡単なのに、出来栄えがイイので、いい塩梅だ。

音楽を聴くと癒されるという人もいるが、私は聴くより自分でピアノを弾くほうが気分転換になる。それで今月、えっちらおっちらピアノを弾きはじめた。弾ける曲を好きなように弾く。

ふと思い立って、グノーのアヴェ・マリアを弾いてみた。クリスチャンでもないのに、落ち着く。バッハのプレリュードだからかもしれない。静かで、元に戻る感じがする。

くだんの友人には、じゃあ塗り絵なんかとおずおずと言ったら、「ミシンでぬいものをしてる、マスク作ったんだ」と見せてくれた。なーんだ、それでいいんだよ! ホッとした。私自身塗り絵はすぐ飽きて好きではないので、すすめたいわけではなかった。

こういう時は、「自分」の「今」に合ったことを「ちょっと」やってみるっていうのがいいと思う。違うなと思ったらやめればいいしね。他人の言う、これがいい、あれがいい、というのに振り回されず、ストレスを増やさないように暮らしていくのがいいのではないか。

お彼岸の風景 春の味

庭の椿が満開、もそろそろピークが落ち着いてきたお彼岸、ぼたもちを食べる。 母が作るぼたもちはとても大きい。買ってくるのはもっとちっちゃいよねえ、なんて毎年言い合ってかぶりつく。

 

秋に、夏の暑さでワイルドストロベリーが枯れてがっかりしていたら、春、隣りに置いておいた水引のプランターのすみっこから、新しい芽を出しているのを発見する。このちっちゃい葉っぱ、苺っぽいなあ、もう少し育ってから確かめよ、やっぱり苺だ、生きていた! 春はこういうサプライズがあるからうれしい。思わぬところに枝を伸ばして、苺らしさをこんなふうに役立ててくれるなんて。

 

 

冬の間、うんともすんとも言わなかったクワの木も芽が出ている。よかった、剪定強すぎたかと心配していた。今年はたくさん茂らせて、実を食べたい。

 

セリをもらって植える。生で食べると春の味がする。

 

椿にこないだメジロが来てた。
ジャングルジムかなんかのように2羽で枝の間を飛び渡っていた。最後の枝まできたら仲良く2羽で飛び去っていった。

メジロは動きが早くて写真に撮れない。ヒヨドリは悠々として、こちらに気づいてもフフンって顔をして椿の花びらをついばんでる。美味しそうだ。

椿はこんなに繁茂してるのに人間は食べられないからなあと恨みがましく見る。サラダになったら助かるけどなあ、なんとか食べられないものか・・・。しつこく調べてみると、葉を煮出すと入浴剤になることがわかる。花を浮かべてもいいらしい。それならすぐできる。今夜やってみる。

今日は絵画教室で美術館ツアーに行く予定だった。休館で延期になったので、急なお休みをのんびり過ごしていたが、結局、植物を食べる話ばかりになった。

ご褒美陶器がやってきた

紙わざ大賞入選の記念品を買った。

カタログで見るよりさらに色が美しい。さすが大倉陶園である。

朱色も天色(あまいろ)もともに大変縁起がよく、またよいことを連れてきそうな雰囲気だ。

さっそくお祝いをした。いよいよ明日から展示が始まる。


第29回紙わざ展 紙わざ大賞入賞作品展

会期:2019年11月26日(火)~30日(土)10:00-19:00(最終日は18:00まで)
場所:東京交通会館2Fギャラリー 東京都千代田区有楽町2-10-1
主催:特種東海製紙株式会社
協賛:王子エフテックス株式会社/新生紙パルプ商事株式会社/株式会社竹尾/平和紙業株式会社(50音順)
入場無料
なお、本展は1年間、全国を巡回する予定です。
https://www.tt-paper.co.jp/pam/kamiwaza/prize/

入選作品一覧
https://www.tt-paper.co.jp/pam/kamiwaza/app/files/uploads/2019/10/7f59dd92f825fe3718b4836c0adedc43.pdf

大きなサイズの絵を描くことと「ちょっくら江戸へ」深川江戸資料館

このところ、書くのが怖くなったり、書きたい主題が固まってから、とか考えすぎていた。もっと気楽に書こう。

今日は、搬入に行った帰りに、清澄白河の深川江戸資料館に行った。杉浦日向子さんの企画展が明日までだった。1年間やってるからいつか機会を見てと思いつつ、いつのまにか会期終了間近に。搬入がスムーズにいかなかったら無理だな、あきらめるかと思っていたが、思いのほか早く終わったので、寄ることにした。大丈夫、今から行けば、1時間見られるよっ!

 

だけど、その前に搬入の話。

アトリエで描いてるときは、「この絵、相当大きいなあ」と思う。電車に持ち込むときも、あんな大きなもの持ち込んで大丈夫かなと思う。でも、搬入するときは、部屋が大きいから絵がそれほど大きく思えない。あれ、これぐらいのサイズだったっけ?と拍子抜けする。

だから、アトリエで描いてるときも、正しいサイズ感をもって描いたほうがいいんだろうなと思う。とはいえ、空間の感覚っていうのはむずかしい。経験を積んでいくしかないと思う。

搬入は、他の作家も来ていて、みんな一人で黙々と作業をしていた。梱包を解いたり、電動ドリルで作業したり、プチプチをしまったり、だ。ああいう姿をみると、絵は相変わらずアナログで、一人で描くものだなあと思う。

思うに任せないことも多いが、大きい絵を描ける今の状況に感謝しようと思う。以前のアトリエでは、絵を置きっぱなしにしたり、壁に仮に架けたりすることができなかった。気を回すことが多くて制作に集中できなかった。制作に倦むときも、この状況が続く保証はまったくない、来年はどうなるかわからないのだから今描くしかないと鼓舞した。制作する気持ちがなくなることが一番こわい。気持ちがあるうちに制作せねば。

少し年若の知人の作家が、とにかく続けていけばいいんだからとこともなげに言っていた。前を向く決意表明だろうと思うが、私は続けられなくなることはあると思っている。家庭環境、住む場所、仕事の状況、急に病気になることだってあるし、そもそも気持ちが向かなくなることも。私は経験があったから、簡単にはうなづくことはできなかった。確かに若い人は自分の気持ちのコントロールが可能だと信じているものだ、私も。

今は、制作できる今の状況に感謝しながら(うわ、自分で言って鳥肌がたつ!)、日々を過ごしていこうと思う。


それで、深川江戸資料館。知人がすごく楽しかったよ、と言っていたので、ずっと行きたかったけど、清澄白河はうちからちょっと遠い。何かのついでにいけたら、と思っているうちに1年がたっていよいよ杉浦展が終わってしまうので、今日むりやりに行けてよかった。

江戸時代末期の深川佐賀町の町並みが復元されていて、長屋に上がり込んで、生活道具を自由に触れる。台所にお茶碗、枕にお布団とか。おい、はっつあん、なんだいくまさん、と落語の舞台になりそうだ。次は誰かと一緒に行って落語みたいに即席コントをしたい。

海外のお客さんもたくさん来ていて、ボランティアスタッフによる英語の解説を彼らに交じって一緒に聞いた。道具を手渡し、これを使ってみろとか、何に使うと思うかとか、船宿を指しながら川遊びではなくタクシーである、ここで客が待っている、これは川ではなく人口の運河だ、お稲荷さんは今でもコンビニで買える、といった解説がなんだか楽しい。

その向こうではオランダの灌漑とはこの点が違ってとか難しい話をしている人も。

長屋の井戸のそばに外国人の4人家族がいて、私が通りがかると、9歳ぐらいの女の子が私に向かって、あ!と指をさす。ん? すると彼女は自分のセーターを指さす。あ、セーターの柄がお揃いだね。彼女のセーターはウッドストックで、私のはスヌーピー。隣りには学校に上がる前ぐらいの妹がいて、彼女はスヌーピーとウッドストック。私の胸のスヌーピーを人差し指で直接触ってきた。同じだ同じだ、というようなことをキャッキャと言っていた。こんなとき何かおしゃべりができたらよかったのにね。日本語が一切できなそうだったので、きっとツーリストだろう。それにしても、小学生にとってお揃いっていうのはうれしいものなんだなと思う。

英語のガイドさんは生き生きと解説をしていて、お客さんとのやりとりも丁々発止、江戸時代の博物館に行ったのに、かえって海外の観光地に来たような気分になって、もう少し英語ができたらなあと思いつつ、浮かれついでに深川めしの素を買って帰った。

 

杉浦さんが語る江戸の人々の暮らしは本当にいい具合にいい加減で、のんきで、言葉は粋で威勢がよくって、どっちに転んでも生きていけるさという気分になる。

「猪牙掛かり」猪牙舟のように威勢のよいこと。威勢よく物事を行うさま。

ふうん、ちょきがかり、ちょきがかり、でいこうか!


では、タイムマシーンに乗って、ちょっくら江戸へまいりましょう!

火の見櫓が見える。長屋の屋根に猫。

猪牙を待つ船宿

天ぷら屋さん

長屋 クローゼットがないから下着はどこに置いたと思う? と問いかけられた。屏風の向こうに布団と枕を隠しておいた。銭湯に持っていく風呂桶の中には軽石と手ぬぐい。正面の戸棚にはお茶碗、箱膳も。台所ではご飯を炊くのとみそ汁を作るだけ、おかずは煮売り屋から買えばいい。シンプルな暮らし。


長火鉢と鉄瓶

仏壇もある。桐のタンスの引手って昔っから変わらないなあ。


どこの家にもちゃあんと神棚があるのがおもしろい。

深川江戸資料館 https://www.kcf.or.jp/fukagawa/
企画展「杉浦日向子の視点 ~江戸へようこそ~」
2018/11/13(火) ~2019/11/10(日)

宝箱

レオ・レオニの技法についてWSをしたとき、「そういえば、みんなはこの材料、どうやってさがしたの?」と聞いてみた。

スタンプになりそうなもの、というのは子どもには難しい設問だと思ったから。

えぇっとね、家の中をウロウロしてたまたま見つけたの? それとも、あれがイケソウとまず思いついてから探しに行ったの?

すると一人の子が、自分は工作を趣味にしていて、材料になりそうなものをいつも集めている箱があって、その中から見繕った、という。

ナニソレ楽しい箱! 他の人には価値がわからないけど、これからすごいものになると自分だけは確信を持っている箱だ。自分がこれからすごいものを作り出すための原石たち。

宝箱だね、とわたしが言うと、彼女は、え、あ、うん、と照れる。わたしの宝箱はあれだよ、と、自分のアトリエの棚を指さす、使ったものとか使ってるものとか有象無象がごちゃごちゃとキチャナク置いてある。うふふふと二人で笑い合う。宝箱連盟。


子どもの頃、宝箱には拾ったものを入れていた。貝殻とかキラキラしたビーズとか。あるとき、公園の砂場で、見たこともないデザインのコインを見つけた。銀色で100円玉より少し大きくて、ピエロの顔が彫ってあった。外国のコインか、いや、魔法の国の貨幣に違いない! ドキドキしながらそっと持ち帰って箱にしまった。たまに開けて手の上に乗せたりしてけっこう長い間、少なくとも外国のだろうと思っていたけど、ずいぶん経ってからゲームセンターのコインだとわかった。夢から覚めた気がしたが、それでも、あのときのドキドキは忘れない。


友人が引っ越すという。彼女は紙を集めるのを趣味にしていて、コラージュ作品を得意としている。前に引っ越した時に、「こんな紙、カビちゃうんだからね!」と危うく家族に捨てられそうになったところを、「ヒャー!捨てないで―!大事なのー!」と追いすがったという。今回の引っ越しでももちろん持っていく。だってコレクションだから。

きれいな紙を集めるなんて、子どもみたいで、子どものままで、そういうところが彼女のすてきなところ。


亡父の書斎に来客があるというので、実家に帰って整理していたところ、「宝」と書いてある木箱があった。封がしてある。古そうだ。

これなに?と妹に聞くと、「これ、パパの。前に開けようと思ったら、急に重たくなって。きっとパパが開けてほしくないんだと思う・・・」妹はわりにそういうことを感じる人だから、それ以来、書斎に置きっぱなしにしておいたという。

私も父と妹を尊重して、そのままにしておこう。宝というネーミングが、なんともいい。そういうものを持っている人生って、なんだかいいものだ。

パパ、ちょっと動かすだけだからね、とつぶやいて、隅のほうに押しやった。

書斎には父の遺影がある。そこから見ているのかもしれない。

はじめての石けんづくり 猫バスせっけん

前回はこちら

はじめての石けんづくり その後

あれから油もいろいろ揃えて、本格的になってきた。

それでマルセイユ石鹸と最高に贅沢な石けんと、色付きのオリーブ石けんを作ったはずが、その中に一人おかしい人が、、、。

???

こっちはいいよ。いい感じにできてる。けど、あやつが入った途端、雰囲気がヘンテコに。

本当は生クリーム状の種を流し込むんだけど、種が早めに固まっちゃって、マッシュポテトみたいになったのをぎゅーぎゅー型に入れたらパウンドケーキ形になったのだ。

妹に見せると「モッソリして猫バスみたいね」と言う。まさに!

薩摩弁で言うところの「ゴッタマシイ」石けんができてしまった。

だけどこれ、油も3種類も使って、精油も黒蜜も入れたんだ、素材はいいもの使ってるんだ、悪口言うな、とかばうようなことを言いながら内心「謎石けん」と思ってる。

そしていよいよ、カットすることにした。

「猫バス」は焼芋になっておる。

はじめての石けんづくり その後

あの後 ↓ 1週間たって型から外し、今は熟成中。

はじめての石けんづくり

Hinako ブランドの「H」の刻印も押した。スタンプはナニ、急場ごしらえ、楊枝で作ったのだ。

あとは、ただ1か月置いておくと、石けんになっていくらしい。ふぅん。

1日後に、型から外したら、モッツアレラチーズみたいに外が硬くて中がとろーっとしたのだけど、1週間後にはこのようになった。

今度は、ういろうかいも羊羹みたいでおいしそうだ。でも食べちゃ、ダメ絶対! さわるな危険! ゴム手袋、絶対! だけどおいしそうだな、じゅる。

それにしても、包丁でカットするとき、思ったより柔らかくてぐにゅぐにゅに。本みたいにきれいな形にならないなあ。私の手先の問題かもしれない。こんなでは、到底陶芸などできないなと思う。陶芸をやってみようと夏は思っていたのだけど、陶芸って、こんなことの繰り返しだろうなと思う。結果が出るのは数週間から数か月後、実験を繰り返し、失敗したら原因をつきとめ、常に鍛錬怠らず、経験を積み、か。

ムリだ。

私は「いまーー!すぐーー!」だからな。

こういうしっかりしたレシピ通りに作りたい欲は、石けん作りで満足させられたと思う。

まだ実際に使い心地を試してはいないけど、もう待てん、次も作っちゃうぞ。週末、今度はマルセイユ石けんと、最高に贅沢な石けんを作る! くふふ、楽しみすぎる。

はじめての石けんづくり

気晴らしに『お風呂の愉しみ』を読んで作ることにした。

ものづくりは楽しいなあ〜。

実験ばかりだったから、レシピがしっかりしてるものを作るのが、シンプルにものづくりを楽しめてる気がする。

1時間おきにかき混ぜてー、明日型に入れて寝かしてー、固まったら切ってー、熟成させてー、それからそれから、うふふふふ。

楽しみ楽しみ。先の楽しみがあると生きていけるよ。

クリーム色になった石けんのタネ。