あ、そうだ、トマソンのことを思い出したんだった。
トマソンってなんとなく巨人だと思ってた。超合金ロボとか、超人ナントカとか。
きっと超芸術の「超」と、ジャイアンツの選手だから「巨人」というのが、なにかわたしの頭の中で結びついちゃったみたいだ。
学生の頃、町歩きのフィールドワークの授業があって、先生が教えている美大の子たちも一緒で、その子たちがトマソントマソンと言っては盛り上がってるので、それなに?と聞いた。
それで、トマソンはトマソンと理解したけど、同時に超合金ロボか巨人のイメージもあったみたいだ。つまり、超芸術としてのトマソンが一方にあって、他方にはソイツの名前としてのトマソンがあって、それぞれは問題なく存在していて、ただ、この二者を結ぶリンクが抜けていたのだけど、そこんところはどう考えていたのか。きっとわかんなくていいや、とあいまいな空白としてとらえてたんだろうなぁ。この話をしてくれた子たちも意味ありげにニヤニヤしてるし、そういうもんとして納得してたのかもなぁ。全部ひっくるめて、へんなの、と思ってたのかもな。
まさにトマソンのナゾ。
(あっ、あっ、まずい。『新解さんの謎』読みたくなっちゃったよぅ。もう本に追いまくられたくないのに。)
☆今日のアナログハイパーリンクな読書
赤瀬川原平・松田哲夫『全面自供!』→トマソン→『新解さんの謎』