昨夜、やっと懸案のメールを開くことができた。どういうきっかけだったのか、開こう、とだけ思った。2つまたメールが増えていたので、これはすぐに開いたほうがいいと思ったのかどうか。自分でもわからない。
ヘッドホンで落ち着く音源を流して、頭の中に流れる音をそれだけにした。いつもは片耳だけで聞いているのを、両耳にした。インターネットでいくつか落ち着く記事を確認したあと、もう1つのタブで、これはなんだか落ち着くなと思う新着記事を開いておく。安心を周りに撒いておく。音楽に合わせてトントンーとリズミカルにメールを開く。いくつか先に簡単な案件を片付けてメールの「開き癖」をつけておき、最後に懸案のメールを目を閉じてクリックした。開いた瞬間にも目を閉じた。でも、もう開いちゃったからしょうがないと思った。読んだ。とにかく開いた。
午前中にこういう疲れる作業はやったほうがいいという意見もある。午後はうまく処理できないと。でも、かなり疲れ果てた夜中に、見ようと思った。いろいろ麻痺させないととても開けないと思った。ただ、これは前にも何度も何度も試みようとしてできなかったので、万能の方法ではなさそうだ。たまたまできた、というだけ。自分を叱咤すること、激励すること、慰撫すること、あらゆることは試したが、最後はそれらとは全然関係ない「タイミング」だった。ふと、そう思った。ただそれは急に空から降ってきたわけではなく、その気分を十分「熟成」させてきたものだけど。
かなりショックを受けたのでそのまま寝た。ラジオを聴きながら。こういう時は人の声を聞きたいと私は思う。午前がいいというけど、もし午前中にこんなことやったら、一日何もできない。自分の今よいと思える方法をやるしかない。
池谷さんは、届いた書類の封筒はとりあえず開く、と言っている。それから対応を考えればいいから、まずは目を通すということをしているという。・・・とはいえ。これから対応をゆっくり考える。この対応が最も大切だと思う。
☆今日のアナログハイパーリンクな読書
池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』