岩波ブックカフェに参加した際、新刊案内の小冊子ををもらい、パラパラとめくっていたら、えっと驚いた。これ、なんか知ってる!ねこがパンを持って雪の街を歩いている絵だ。ワスネツォフという有名なロシアの挿絵画家の絵らしい。
見覚えがあると思ったのは、小さいころずっと宝物としてとっておいた絵はがきの中に、これがあったと思い出したからだ。特徴的な絵だからきっとそうだ。この雰囲気はきっとそうだ。瞬時に確信を持った。
突然、この絵はがきが他の絵はがきと一緒に引き出しの中に入っている様子がありありと浮かんだ。色まではっきりと思い起こせた。
そうだったのか・・・。ロシアの絵だったのか・・・。こういうものを出したりしまったりして、外国の香りをかいでいた小さい私のことを思うととてつもなく愛おしく感じる。
この喜びというのは、生き別れの弟と奇跡的に再会したときの気持ちだろうか。こう書くと本当に陳腐になる。書かないほうがいい。でもすごく大事にしていたものですっかり忘れていたものが急に目の前に現れて、本当にびっくりした。「私の」だと思った。
岩波ブックカフェの会場は、私の好きなものばかりあって泣きそうになった。実際、森さんの話を聞いている間も泣いていた。そうだ、小さいころ、私は本が大好きだったのに、と思った。いつのまにか離れていた、と。これは、学生時代に紅野先生の講義を聴講したときに感じたものと同じだったし、のちに荒川洋治の本を読んだときにも同じように感じた。ひさしぶりにその感覚になった。
会場には岩波書店の創業時の看板と昔の社屋の玄関の写真が飾ってあって、こういうのは実はとても大事なものなのだよなぁと思った。針路を見失ったときの北極星みたいなもの。以前は、こういうものを外部の目に触れさせるってなんだかやだなと感じていたけど、今はこういうものの上に自分たちが立っているという表明なんだなと肯定的に思う。物質的な象徴をつねに掲げておくと、当初は関係なかったものや人の間に共通な認識が生まれるのだと思う。だからやだなと感じるし、注意深くする必要があるわけだけど。
☆今日のアナログハイパーリンクな読書
岩波ブックカフェ→ワスネツォフの絵