明るい話も、暗い話も、どちらもしたくなくて、

明るい話も、暗い話も、どちらもしたくなくて、更新してなかったけど、外に出ない暮らしもだんだん慣れてきたので、まとめて最近の報告などを。

3月は、「FACE展2020」が会期途中で閉幕になった。美術館も休館し秋にリニューアルだから、この館は本展で終わり。だからわたしは最終日は最後まで会場にいた。マスク姿の館長が最後の客を見送っていたのが、なんとも物悲しかった。

静岡での「紙わざ展29」展示も3月までだったのが2月末で終了。今後、全国巡回する予定だったが、今後のことはまったくわかっていない。

銅版画は、ビュラン作品の完成したものを納品してきた。額の色が家具の色とマッチしていて、すごくいい感じだった。額装すると、また感じがかわるものだ。

 

 

そんなふうに3月が終わり、4月、絵画教室の休講を決定した。最後の最後までオンラインでの実施を模索していたが、総合的に考えやめた。

自身の制作としては、4月からペンタブに挑戦している。デジタルをやってみたいとかねがね思っていたが、踏ん切りがつかずにいたが、まとまった時間が取れる今かと思う。

 

毎日まいにち状況が変わって、考えも一変する暮らし。コロナ記事を追いすぎてしまい疲弊する。『猿の惑星』だよな、と冗談めかしていたのはもう過去の話で、NYやイタリアの状況を知るにつけ、おそろしくなる。今後のことを考えるとよくない妄想ばかり浮かぶ。

3月は先のことも考えられずにいたが、4月には覚悟が決まった4月も後半になり、消毒のやり方や買い出しの方法も何度かやってみてこうすればいいという安心感が得られるようになり、引きこもり暮らしにも一定のリズムができてきた。今後も状況が変わればそれに合わせていく必要があるから、気は緩められないストレスの中で生きている。

毎日の暮らしを楽しもう、というような前向きな気分にはなれないが、こんな暮らしにも楽しみを自分に与えていくことが大事かと思う。

高齢の母とは当分会わないことにしたので、ウェブミーティングのテストをしてみた。母は、「午前中にお風呂に入って、久しぶりにお化粧しちゃった!」と、SF小説が現実になったようだとはしゃいでいる。万が一、お互いが隔離されたときの備え、ということはあまりわかっていない。でも、それでいいと思う。話に夢中になると、どんどんモニタに近づいてくる。ママ、近寄りすぎ、顔の下半分が見えてないよー。

 

命をいちばんに考えたいという気持ちが強くなった。

今まで、命があぶなくなる場面が幾度かあった。スレスレのところをすりぬけてこられたのは、ただただ、幸運だっただけだ。なぜ、命よりも大事だと思ってしまったのか。あのとき、あの行動は、正しかったのだろうか。今回も大丈夫との保証はない。今回こそ、今までの反省を生かすときではないか。生き延びる、ということばが現実味を帯びている。

 

みなさまも、どうぞ御身お大切に。