「明るい上に明るい色を」ゴッホのように模写をしたら

私はこれまでゴッホの中では《星月夜》がもっとも好きな作品だった。あのうねうねする動きのある背景と黄色とブルーのコントラストで、輝くような夜、またたく星たち、交響曲が聞こえてきそうな幻想的な風景。森を抜けて、旅人がこんな風景に出会ったらなら、と思うと興奮する。

そういうわけだから、《ひまわり》の中でも、ブルーを背景にしたノイエ・ピナコテークとフィラデルフィア美術館のほうが、補色の効果で花の黄色が鮮やかに見えてきれいなんじゃないかなあと思っていた。黄色に黄色のひまわりよりも。

だけど、今回、ロンドンの《ひまわり》を模写して思ったのは、この黄色に黄色、明るい色に明るい色というのは、実はとてもいい、ということだ。花のパワーが外にもあふれ出て、空気の色さえ変えてしまう状態を表現している。背景の黄色が画面のさらなる外側にも滲みだして、光を運んでくる絵だと思うようになった。

ゴッホは《ひまわり》をアルルの「黄色い家」に飾ってゴーギャンの到着を待った。黄色い家の部屋の壁の色は明るいブルー。その色に映える作品だったに違いない。

ゴッホは配色の研究のために一連の《ひまわり》を描いたとされている。そう考えると、ブルーも《星月夜》のブルーとは違う明るいブルーだ。背景の黄色とブルー、きっとどっちもいいなあと思っていたのではないか、模写をしながらそんな気持ちになった。ゴッホのように《ひまわり》の模写をしよう、というタイトルで実施したWSだったが、文字通りそうなった。

 

あと1回で完成しそうだ。最後の最後、サインはvincentじゃなくてhinakoにしようかと思っている。

みんなもそれぞれに描いていて、そう見えてるんだなあと思う。どこに注目しているかがよくわかる。