2019/08/11

単純な質問をどう考えるか 大島渚と田名網敬一

前に書いたことだけど、話がどんどん分かれていって最初とは離れてしまうのであらためて書く。

「なぜデビッド・ボウイを使ったのか」カンヌ映画祭の十日間、一日8回、計80回聞かれた質問だったと大島渚は書いている。

ボウイと仕事をしたことは楽しいことだったから、いちいち丁寧に答えた。しかし一日で八回ともなれば、さすがに疲れてイヤになる。「ボウイを使って悪かったのかよオ。もしピッタリじゃないと思うなら、ほかの役者の名前を言ってくれ」と言いたくなる。もっとも言いはしなかったが。

(『戦場のメリークリスマス』DVD封入ブックレット)

出展を控えて、少しナーバスになっている。またいつもの質問されるんだろうな、いったいなんなの、けんか売ってるの、とイヤになっているが、大島渚でも何度も余計な質問を受けなければならなかったのか、と思うと少し気が緩んでくる。外野からすると、そうはいっても聞きたくなるなあ、映画見ればわかるだろ、と思うけど、起用したのはどうして?とそれでも聞いてみたい。つまりすばらしい、と言いたいのだろうけど。

あっこれか! いや私の場合は違うだろうなあ。だからなんて答えたらいいのかいつもわからない。何を意図している質問なのか。そう聞き返してもいいのだろうけど、そうするとかえってこちらがけんか売ってるみたいになってしまう。その先の話をしようにも、その前で止まってしまうことにいら立ちを覚える。

「この映画をつくるに当たって、ニッポンとヨーロッパとどちらの観客をより強く意識したか」という質問もニ、三あった。
「私はもう十五年も世界の映画界に生きている。ジャン・ルノワールのいう映画の共和国の市民である。どこかの国を特に意識することはない。(後略)

(『戦場のメリークリスマス』DVD封入ブックレット)

このすばらしい回答によってわたしは大島渚を好きになった。


田名網敬一の個展を観にいこうと思ったのは、「情熱大陸」を観たせいだ。インタビュアーが不用意に作業中の田名網に向かって「どうして戦闘機のモチーフを何度も使うのですか?」と尋ねる。田名網は鋭い目を向けて、あのさあ、と少し高い声で言う。その後、そんなに簡単に答えられるものじゃないからさ、と場所を変えて答えている。

私は単純だから、あ、この人はいい人だなと簡単に思う。今まで暴力的で怖いと思っていた作品が、違って見えた。

(余談だが、大学の公開講評会で、展示向きじゃないと指摘された学生に対して、うん、でも展示しようと思ってないわけでしょ、自分に必要だからなんでしょ、だからこれで進めていけばいい、と言っていたのも、良い指導者だなと思わせた。)

 

自分の精神衛生上の観点から言えば、想定問答集を作っていけばいいだけの話かもしれない。だけど、大島渚や田名網敬一でさえ、野暮な質問にさらされているのを考えれば、自分の未熟さだと思い込まないようにしたい。

質問はなくてもあってもむずかしい。だからこそ世の中「良い質問」というのがあるわけだけど。

 

☆アナログハイパーリンクな読書
坂本龍一→『戦場のメリークリスマス』→大島渚
「情熱大陸」→田名網敬一「田名網敬一の観光」(@ggg)
二人とも作品は暴力とセックスが入っていて本来私は苦手なはずなのに。