2019/07/05

異文化交流

ショーン・タン『エリック』、最後ホッとする。よかった、エリックはうちでの暮らしを楽しんでくれてたんだとわかって。

私も考えてみる、もしうちに海外の交換留学生が来たら、と。

私もきっとこう思う、こういうことを教えてあげるんだ、あそこに連れて行ってあげて、あれを見せてあげる。部屋はこれでいいのかしら、食事は、トイレは、お風呂は? 日本文化と言えば着物よね、浴衣なんか好きかしら、わたしのを貸してあげて、着付けもしてあげるんだ!

わたしが世話焼きの一方、「母さん」みたいに「お国柄ね」とそっとしておく人はうちにいるかなあ、本人がよければいいじゃない、こちらにはわからない何かがあるのよ、と。

異文化交流の姿勢としてどちらも正しい。当方の文化を教えてあげること、先方の文化を尊重すること。でも、ともすると、こちらのやり方を強制すること、放置、隔離してしまうことにつながりかねない細い塀の上の平均台だ。

それでエリックの滞在中、「ぼく」は、いつも見慣れているものに改めて注目する経験をする。自分たちの文化を見直すこと、これも文化交流だと思う。

私が中学生のころ、従姉弟の家にカナダ人の交換留学生がホームステイした。私たちは珍しがって家族で遊びに行くことにした。歓迎会としてハンバーグ店に行った。カナダ人だからハンバーグならいいんじゃないか? 自己紹介したりなんだかんだと話しかけたりして、仲良くなった気がした。食後に従姉弟の家に戻ったときに、私たちはいつものこととして仏壇に線香をあげた。仏壇とはどういうものかうまく説明できなかったが、こんな風に火をつけるんだよと見せてあげて、次どうぞと声をかけたら、彼女は「No」と答えた。それまでニコニコしていた彼女のその答えに面食らった。そしてあっと思った。私たちは挨拶のようなものだと当たり前に考えていたけど、これは宗教的な儀礼だった。日本では宗教と習俗が混交していて、そのことを普段気に留めていないこと、だけど世界中で宗教は大事な問題であり尊重すべきジャンルだということ、さらには自分の不明さに一瞬で気づいた。そして、「NO」と言って断る姿勢についても。

そういえば、エリックは見た目は喜んでいるのか何を考えているのかよくわからない。そういうことも異文化を象徴していると思う。気持ちや考え方こそ、文化の上に成り立っているから、理解しにくい。

最後、エリックは二つの文化を融合し発展させたものを残してくれた。それは一番幸せな結果だろうと思う。

☆アナログハイパーリンクな読書
「ショーン・タンの世界展 どこでもないどこかへ」→ショーン・タン『エリック』