2019/07/03

記憶にございません

ショーン・タンの本をとうとう全部読んでしまって、クスリ切れになった中毒者のようにフラフラと次の本を探し求め、ついに翻訳家本人によるエッセイで手を打つことにする。

最初の1ページからもう面白い。どんどん読む。あるある、わかるわかる、自分もだ!ということから、なぜ???、それはないよー!ということまで、電車内で声を立てて笑った。

ちょっとした言葉の選び方や妄想のはてしなさに、本はいいな、こんなにおもしろい、と思いつつ読んでいくと、あれ、これ、知ってるぞ、と思う話にぶち当たる。妄想オリンピックの話だ。「オリンピックは嫌いだ」の一文から始まるエッセイで、もういっそのこと、唾シャボン玉飛ばしとか猫の早ノミとりとか水中にらめっことかの競技にして、メダルも金銀銅は廃止、代わりにどんぐり、煮干し、セミの抜け殻を与えてはどどうかと提案する。ばかばかしくて誰もやらないと思いきや、みんな舌の筋肉を鍛えたり、各国どんぐりの数を競ったりするだろう、というオチである。

これ、前に読んだことがある。でも、作者の名前は覚えてないし、いつ読んだのか、教科書に載っていたんじゃないかというわけのわからない記憶まで出てくるほど、記憶をたぐりよせても全く覚えてないが、このへんてこなオリンピックの話は確かに知っている。

前に読んだ本の読書ノートを見ても、はて、こんな本読んだっけ、この抜き書き文は、どういう文脈で、どういった点がおもしろかったのか、まったくわからない。

記憶が衰えてきたと自覚していたが、同じ本も新鮮な気持ちで読めるようになる、例の「老人力」を得たことを目の当たりにするとは。愕然とする。

だから、というわけじゃないが、今思ったこともすぐ霧散し忘れてしまうだろう、だから、覚えているうちに、新鮮なうちに書こうと思う。

だけど、いよいよ『ねにもつタイプ』の世界に入り込んだのかもしれないと思うと、楽しい気持ちになる。ククク。

☆アナログハイパーリンクな読書

ショーン・タン『遠い町から来た話』→岸本佐知子『ねにもつタイプ』