2019/01/25

引っ込み思案と思い切り良さ

私の中には、引っ込み思案と思い切りの良さが同居していると思う。

先月、大好きな漫画の展覧会に3度も行ったのだけど、そのうち2度は、作者ご本人が展示の追加の作業と、それが終わった後会場内のカフェで食事をしていて、私は柱の陰からそれをじっと見ていた。なんと声をかけたらいいかわからなかった。仮に「いつも読んでます」と言ったとして何になるだろう、「そうですか」と言われるだけだろう。「会場でお会いした方に特別のカードを差し上げます」と聞いていたので、声をかけてもよかったのだろうけど、モノへの執着はないしなあ、いや、モノがどうとかじゃなくて、気軽に声をかけていいということなんだけど、とグズグズ考えている。これが、わたしの引っ込み思案なところ。好きな人ほど声をかけることができない。それでしょんぼりして帰ること幾たりか。彼女が漫画原作通りにコロナを飲んでいるのを見て、作者を見られたことを心の中でそっと喜んだだけ。

先日も、参加しているワークショップにテレビ取材が入って、できれば個別インタビューしたいという記者の申し出に、ハーイハーイとどんどん手を挙げる子を見て、私になかったものだなと思った。インタビューの対象は小学生だったため、当初はじゃんけんでーとか言っていたが、やりたい子がちょうど2人いて、じゃあ、という感じで決まったようだった。自分の小学生時代を思い出した。私は積極的にやりますやりたいです、と言えない子どもだった。今思うと、これはチャンスであり、やればその分何かを得て次の一歩に役に立ち、一つの経験になったと思うのに、人前に出ることが恥ずかしかった。

でも、この間、連続講座で一緒の友人に、思い切りいいよね、と言われた。その連続講座に加え、演劇とダンスのワークショップ3件と、英語のプレクラスに参加する予定だという話をしたから。うーん、まあね、でもたいしたことないよ、そう言うと友人は、そういうとこ見習いたい、と言う。

傍から見ると、積極的にいろいろやっているように見える。かもなあ。どうも自分では歯切れが悪い。そういえばと思う。知らない作家にどんどん声をかけて知り合いになったり、そういうところもあると言っていいのかもなあ。うん、確かにそうだ。でもなあ。

それでこの間、作品発表で一緒だった人と偶然再会し声をかけたのだけど、別にどうということもなかった。あ、はい、じゃあ、とか言って別れた。まあ、そんなもんだ。思ったようになるときもあれば、思ったようでない場合もある。期待が大きいとかえってがっかりすることも大きくなって、抱えきれなくなる。それもいくつも重ねていくと、一つ一つの重みが薄れていって、いろいろある、と思えるのかもしれない。

 

夜廻り猫展にて 漫画の中の登場人物宙さんのおでん屋さんで、アルバイトをしたり客になったり楽しい。勝手に自分だけでできるものについては引っ込み思案は出番なし。

☆アナログハイパーリンクな読書

『夜廻り猫』深谷かほる→夜廻り猫展