2019/01/13

年末年始は源氏物語読破!

年末年始6日間は毎日、角田光代訳池澤夏樹個人編集『源氏物語』を読み、ついに読破した。というとすごそうだけど、角田さんの訳は「長編小説としてバーッと駆け抜ける」ことを目指して、敬語と脚注を大胆に省いた訳なので、まとまった時間と集中があればなんとか可能だった。

上巻と中巻合わせて1200ページ、6日間で読むとすると毎日200ページ、とノルマを課して読み進む。上巻は、受験やその後に入院や講座なんかでちょこちょこと読んだことがある章が多く、あのシーンね、と思いながらなんとかくらいついている、という状態だったが、中巻になると、突如ぐいぐいと物語に引き込まれてしまった。ノルマの200ページをとうに超えて夜中じゅう読みふけって明け方になった日もあった。上巻を読むあいだ自分自身が源氏物語の世界に慣れてきたのかと当初思ったが、訳者あとがきにこうあるのを見て得心がいった。

この中巻のあたりから(略)位相が変わった、と思う理由のひとつである。(略)この作者は、負の感情、弱さや迷いや苦しみを書くときに、筆がずば抜けて生き生きしている、と。

やはり作品に力がみなぎっているのだったか、と。

作者がこまやかに描く感情は、あるひとつの「状態」ではなく、他者に触れ、また触れられ、何を見聞きし、何かを知り、夢であれうつつであれ何かを体験し、刻々と変化し続けていくとらえどころのない、しかし確固たる人の軸として、描かれている。何かを見てしまった、知ってしまった、あるいは聞きそびれてしまった、それゆえに、感情が動き、私たちを突き動かす。その動きを線でつなげてみれば、運命ということになるのだと思う。

私たちが小説に魅力を感じるのは、こうした感情の背景だと思う。楽しい、つらい、悩む、困る、概念化し一般化した感情ではなく、その人のその体験による個人的な感情の色あいや濃さといってもいいもの、それはでもその人だけのものとして見ているのではなく、私も物語世界の中で体験する。他人事じゃなく、自分のこととして感じられるのが、よい小説だと思う。それは運命だったのか、と思う。運命が書かれていたのか、と。

ここ数か月、制作に直接関係のないことをblogに書くことに何の意味があるのだろうかと懐疑的に考えていたが、こういう出来事があって動かされた感情、というものを書いているのか、と思い返した。

しばらく間が空いたが、また書いていこうと思う。

 

☆アナログハイパーリンクな読書
池澤・角田トークセッション→『源氏物語 上』 (角田光代 翻訳、池澤夏樹 個人編集 日本文学全集04) 、『源氏物語 中』 (角田光代 翻訳、池澤夏樹 個人編集 日本文学全集05)