2017/06/18

セルフヌード作品について

なぜ描いたかという話をしよう。うまく書けるかわからないが、展示中の今こそ機会かもしれない。

ヌードは世の中にあふれているが、私たち女性にとって他人に見せるためのヌードというのは、自分でありまた自分でないものである。

似たようなものを持っている「自分」であるが、一方で、決定的に違うと思うことは、日常見せる用途のみではない、ただの自分の身体である。つまり、ヌードは、自分にはないものだ。鏡か写真を経由してしかつまり見られることを意識した形でしか、グラビアのような形のヌードは自分では見られない。

自分というのは、100%所有している自由になるはずのものと思いこんでいるが、実はそうではない。

身体が「わたし」に帰属するもの(=body)であるという所有の論理(鷲田清一「顔の現象学見られることの権利 」「じぶん・この不思議な存在」)

それで、自分と他者が混在するものとしてセルフヌードを描いた。
作家本人の裸ではなく「セルフヌードとは」と問いかけをする作品である。

とはいえ、和紙の質感と色が肌と似ているので、観た方から「触りたくなるわね」と言われたのは素直に嬉しいことだ。

赤いインクは血の色、肉の色。

作品名「私が見られない私」(和紙、インク)

撮影:外山文彦