札幌から帰ってきた

 札幌へ帰ってくるのを「帰札」というらしい。日本へやってくるのは来日、自国へ帰るのは離日、ならば札幌から帰ってくるのは離札だろうか、少し寂しい音がする。

 帰ってきたばかりで整理がつかないでいるが、制作中、自分をあたためたのは村上春樹の新刊だ。

納得のいく作品をひとつでも多く積み上げ、意味のあるかさをつくり、自分だけの「作品系」を立体的に築いていくことです。(『職業としての小説家』村上春樹)

最初の2作ののち、

僕の中にあるイメージを断片的に、感覚的に文章化するだけではなく、僕の中にあるアイデアや意識を、もっと総合的に立体的に文章として立ち上げていきたいと考えるようになったわけです。(『職業としての小説家』村上春樹)

 『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』を書いたあとに『羊をめぐる冒険』を書いた村上春樹のようにわたしも、前作とは異なる少し成熟した作品、瞬発力よりも深く他者を圧倒するものを作りたい、作れるという予感がする。
 わたしも「せっかくこうして作家になれたのだから、もう少し深く大柄な作品を作ってみたい」と考えた。
 今までとは違った新しいことにも挑戦して、E・Tのようにマジックを使おうと思った。
 作品の出来不出来はまだわからないが、少なくとも「描いている間は楽しかったし、自分が自由であるというナチュラルな感覚」をつねに意識していた。
 そして、そうだ、今わたしはかさを積み上げているんだ、と思った。

 今回、初めて描いてみたモチーフがあり、その作品は、初めて「こういうのを観たい」と自分で思える作品になった。よく他の作家がこう言うのを聞いてきたが、自分自身がそう思ったのは制作していて初めての経験で、ああ、この感覚か!と新鮮だった、こういうのもいいなと思った。今までは描いている瞬間に集中していたので、できあがったものについては考えたことがなかった。やりたいことというのはあいかわらずないが、「こういうのいいと思うんだよね」というのは感じられた。みずみずしくて、途上にあるもので、堂々としていて、ずっと観ていたくなって、部分が総合につながるもの。わたしの心が求めていると思えた。

 一方で、これまでの作品をさらに深める作品も作ることができた。やはりこういうのは自分はラクにできるし、観ている人も楽しそうだ。こういうのはわたししかできないなという深い感触も得た。
 そして、もう一つ新しい作品、これについてはまだ判断はしないでおこうと思う。

 今後、いろんな角度から滞在制作を振り返ってみたい。

 追記)そういえばいるかホテルは札幌にあった。偶然はうれしい。