『真昼の決闘』、図書館にはVHSしかないから家では観られない。実家に持っていきようやく観る。すると亡父の書棚にあるではないか。パパはこういう古くてかっこいい映画が好きだったからなと思う。
セリフが少なくて、一言だけで話が進む。身体の演技で気持ちを表現している。みな勘がいい。こういうのを観ると、自分が言葉で説明しすぎているなと思う。はっきりこうだと口に出すことが何かの証拠になるという今の風潮に流されてもいることに気づく。読むべき行間がなくなっていると思う、いや、それはわたしだろうか。
保安官の新妻「あなた、夫が嫌いね」
女「私の男なら銃を持って一緒に戦うわ」
妻「やれば」
村上春樹がエルサレムに行く前に数回観たという映画。ホワイトハウスの大統領執務室で一番観られていると言われる映画。孤独のなかで決断をしなければならないときのための映画。そんなことを思って観た。『静かなる男』は入手できない。
脇役のトーマス・ミッチェル、どこかで見たことあると思ったら、『風と共に去りぬ』のスカーレットのお父さん役。そういえば!と思った。『駅馬車』にも出ているようだが覚えていない。今さらながら、もっとパパと一緒に映画をいっぱい観たかったと思う。
谷中の森鷗外記念館に行く。春の特別展「私がわたしであること―森家の女性たち 喜美子、志げ、茉莉、杏奴―」。「パッパ」と自分のことを呼んで、娘たちに甘い父親だった鷗外。鷗外は、最初に読んだのが「舞姫」だったせいで、悪い男という先入観がある。あれは国語教育のよくない影響だと思う。別の短編を教科書に載せるべきではないか。鷗外は女性の才能をきちんと評価し、妻や妹や娘の才能を伸ばした人だったのに。森まゆみが好きだと言っていた『安井夫人』を読みたいと思う。
☆アナログハイパーリンクな読書
村上春樹『村上さんのところ』 → 『真昼の決闘』 → 父 → 森鷗外
写真を多用しようと考えたこともあったが、Uさんのように文字だけでやってみたいという気持ちもある。