2016/03/18

つげと須賀

 作家のIさんのアトリエで、何かの拍子につげ義春の名前が出た。『ねじ式』っていう作品が、と言うので、『ゲンセンカン主人』とか?とわたしが言うと、知ってるの?とIさんは少しうれしそうだった。うん、両親が好きで。それで、あのさ、なんだっけ、こういうのなかったっけ、旅にでかけようと思う、でも行って帰ってくるのが旅だとすると、行きっぱなしだから旅と言えるのか、という始まりで、あ、だんだん思い出してきた、そうだ、そうだ、ある日突然福岡にいこうと思い立つんだよ、それで、なぜならばそこに住む女性から以前ファンレターをもらって、その女性は離婚した看護婦というから、自分が行けばきっとすぐに結婚してくれるだろう、養ってくれるだろう、ってなんの約束もしてないのに勝手に一人でどんどん決めつけて出かけていく、っていうオッカシイ話なんだけどさぁ・・・、と、わたしはズラズラと冒頭の部分を話した。本のタイトル忘れちゃった、そんな話なかったっけ、あれ、漫画だったっけ???あれ、夢だったっけ??? すると、「これ?」とアトリエの本棚からIさんが持ってきたのが、まさにその、『貧困旅行記』。わ、これこれ! しかも晶文社の単行本じゃん! わたしは、この偶然に、あまりよく知らなかったIさんと気が合ってるような気がして、ものすごくうれしい気持ちがした。今話した本がすぐに出てくるなんて!

 中沢新一の『アース・ダイバー』に、じめじめした谷とからっとした高台、という表現がある。土地にはそれぞれ特有の雰囲気があり、そこで生まれる文化に反映される。それで言うと、つげ義春はじめじめした谷で、一方、須賀さんはからっとした高台、と言ってもいいと思う。わたしは須賀さんはなんの疑いもなく好きだと言える。でも、つげ義春はどうだろうと思う。Iさんが「がんばれチヨジ」とつぶやくのを聞いてわたしは、自身が傷つくようないやな気持ちがしたのだ。

 つげ義春の作品をわたしは本当に好きなんだろうか。こういうのがいいと言われて与えられたものなのか、無理をして好きだと言ってみる、いつもの「とりあえずなんでも受け入れてみる」という癖のせいか、それともこういうのがいいと言われているセンスを身につけている自分を演出してみたんだろうか、自身をわざと傷つけるものを怖いものみたさとしてとらえているのか、「好奇心猫を殺す」なのか、自分と違ったものを求めてしまう心理か。

 そこでもちろん、肯定することは簡単だ。須賀さんも言っている、カラヴァッジョも、えっとなんだっけ、何かも、両方とも捨てられない、という話だ。カラバッジョの手についての話だ。

 とここまで書いてきて、今わかった、両方あるんだ、わたしの中に。書くとわかる。片方だけと思い込んでいたから苦しかった。「本当」ってなんだ、どちらかを捨てどちらかを選ぶと思ってたからつらかった。100%同化しようとしていたからつらかったが、100%じゃないが少しある。

 Iさんに貸した『刑務所の前』を読みながら、わたしは、最初に花輪和一の漫画に出会っていたら、はたして好きだったろうか、と思う。最初に観たのは映画のほう。崔監督・山崎努主演は、山崎努が好きだからというのと、崔監督にも興味があった。それで何度も何度も観るうちに原作も読みたくなった。漫画を読むと映画のシーンがよみがえってくる。映画に流れるクラシックも聞こえてくる。続いて『刑務所の前』も読んだ。こちらは本来の花輪和一の世界らしい。とにかくわけがわからない。暗い情念が渦巻いている。しかも、乱丁かと思うほどページがごちゃまぜになって時代の違う二つの話が、何か関連はあるようだがそれにしても、という具合に進んでいく。つげ義春と同様にじめじめ派の極北といっていいだろう。花輪和一の名前は、その後、ワタリウム美術館の寺山修二展でも、南伸坊の本でも、蛭子能収の本でも見かけ、どうやらある種の強い引力を持つ作品であるらしいことは察せられた。わたしもその引力に引かれたのか、自分が好きだと思っているのか、やはりわからない。

 ついでに言うと、「帰りはないの?」「最近は行きっぱなしさ」という『千と千尋の神隠し』の列車は、つげ義春の引用じゃないかとわたしは思っている。

☆アナログハイパーリンクな読書
Iさん→つげ義春→花輪和一  つげ義春→『千と千尋の神隠し』

  • 最近、こうしたことを考える契機があったので、以下にアペンディクスとして示す。

    ◎ 上機嫌なふたり 2016/03/07
    銀座G8で和田誠と南伸坊のトークへ、ガロといえば南伸坊の編集、と偶然見かけてさっそく行った。
    わたしの席からずっと見てたシンボさんの横顔は山崎努にそっくりだと思った。笑うと頬が上がってとくに似ている。正面にはビールのポスターがあって、わたしは両方をチラチラ見ながらトークを聞いた。
    二人はとても上機嫌であとからあとから話は尽きず、そうだった、わたしはこういう上機嫌が好きだったと思い出した。こんなふうに冗談を言ってのんきにしているのが好きなんだった。
    和田さんが高校生のころ、友だちから見せてもらった線画はソール・スタインバーグでとてもおもしろくて全部模写した、という話。わたしもわたしも!と思う。植草さんが好きだって言っていて、その後、偶然印刷博物館で観た絵。
    和田さんが「ヨコオちゃん」と何度も言うので、その夜、夢に横尾忠則が出てきた。いろんなことを思い出した夜だった。
    ☆「ガロ」→南伸坊→和田誠→ソール・スタインバーグ→植草甚一
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    ◎ ガロと父とカムイ伝 2016/3/4
    実家に帰って亡父の本棚にカムイ伝がそろっていたので夜通し読む。
    母が「遺品を整理していたらガロが出てきてね、Sさんから借りてたものだから、こないだ返したのよ」と言うと、古いものをコレクションしている妹は残念がった。
    北千住の「小柳」で観たガロには赤瀬川原平の連載。1年前にいくつか読んでいて、資生堂ギャラリーで展示されてた原稿の読みやすくて大きな字はいいなと思った。
    ☆父→カムイ伝→ガロ→小柳→赤瀬川原平
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    ◎ 北千住のディープなアートスポット「小柳」にて 2016/2/29
    天保年間の春画も中原淳一も黒柳徹子もガロもマーガレットも大竹伸朗もアラーキーも、チーフのマシンガントーク。ここはいったいいつでどこなんだろう???
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    (キュレーターのYさんに誘われて行ったお店。)