2016/02/08

他人のものなんか観に行ってる場合じゃない

 森山大道展に行くので、その前に何冊か集中して読んでいる。
 森山大道は数年前、植田実の個展のギャラリートークのゲストが大竹昭子で、トークの前に予習しようとほとんどの著作を読んだ中に『眼の狩人』があった。大竹の『アスファルトの犬―臭覚的都市探険』を植田が編集した縁でゲストだったのだが、トークでも森山の名前は登場した。犬つながりの話があったかは忘れたが、森山展を大竹が構成した話が出て、植田の個展も会期後半は大竹昭子が構成した展示が急遽おこなわれた。

 森山大道と沢木耕太郎は作品のかっこよさが似ていると思う。両者とも藤圭子と宇多田ヒカルを撮ったり作品で書いていたりして、そんなところにも共通点があっておどろく。偶然ではないような気がする。

 もっと極端なことを言えば、はっきり言って人のものなんか見なくてもいいんだよって。自分が作って、どうだ、見ろよって見せればいいんです。(略)実際、人のものなんか見たがってる場合じゃないだろうって言いたくなります。(略)一枚でも多く撮って人に見せることを真剣に考えたほうが遥かにいいぞって思う。身も蓋もない言い方かもしれないけどさ。
 だって、ものを作ろう表現しようという人が、人の写真を見て感動なんてするの、癪でしょう? ―『昼の学校夜の学校』森山大道

 観てる場合じゃないのか! でも、そんなことを言うからこそ彼を観にいきたい。欲望がかきたてられる。

☆アナログハイパーリンクな読書
植田実→大竹昭子『眼の狩人』→森山大道→『昼の学校夜の学校』『森山大道 路上スナップのススメ』『森山大道、写真を語る 』→沢木耕太郎『流星ひとつ』