2016/02/07

作家の本分~中之条への道(38)

 会期中、あることでわたしは大泣きすることがあって、後日、そのことについて偶然、作家のMさんと話すことになった。Mさんは、こんなことあったんだってね、とことさらに言う人ではなかったが、事情は知っていたと思う。一般的な話として作家はどうあるべきかという話をしていたが、でもわたしの念頭にあったのはそのことだったし、明言しなかったがMさんの頭にもそのことがあったはずだ。(今思うと、わたしのことをなぐさめようとあるいは励まそうというようなこともMさんは考えていたのかもしれない、そういう人だ。)

 それで少しわたしに気を遣ったのか、「美術を受け入れる環境を作るというか、社会においてそういう教育や啓蒙が必要かもしれないけど」と言う。声高にそう主張する作家もいるし、たしかに正しいことのように見えるし、その事件に加えてわたしの経歴や見た目の様子からいかにもそういった主張を持っているように思ったのかもしれないが、でもわたしは、泣いたには泣いたし怒り狂っていたけれど、それに関してどうあるべきか、なんてことは少しも考えていなかった。もちろん個人的には大きな衝撃ではあったが、それはきわめて個別の問題であって、それを広く社会全体の問題にまで一般化しようという気はなかった。わたしはつねに誰の問題かを考えている、それはわたしの問題ではない。

 「教育とか啓蒙とか社会に対してどうこうすべきとか、そういうことにはわたしは全然興味がないよ、作家はただ作ればいいんじゃないかなぁ・・・」静かに普通のことのように言ったわたしはそのときけっこうカッコよかったと自分で思う。

 それを聞いたMさんの、意外なようなそれでいてホッとしたような気配が電話越しから伝わってきた。それで気を許したのか本心を少し明かしてくれた。それはどちらかといえば少数派の先鋭的とも言える考えだったが、わたしには言ってもいいと思ったのではないかと思う。わたしはその考えにはとくに共感も反対もなかったが、Mさんがどういう姿勢でいるのか即座に理解できたし、機微に触れるような制作についての主張を打ち明けあえたことをうれしく思った。