ロスコ・ルームで

 ロスコの名前をはじめて聞いたのはほんの半年前で、それは原美のトークイベントで学芸員のYさんが言ってたように思う。「チバのカワムラにあるロスコ」。サイ・トゥオンブリーの作品はこの辺ではカワムラで観られます。来年、カワムラでサイ・トゥオンブリーの写真の企画展が開かれるらしい、とも。

 秋になって、中之条ビエンナーレのアーティストトークで作家のMさんがロスコに触れていた。あ、また出た、ロスコ。

 よしもとばななの『ふなふな船橋』、主人公の女性と親友の女性がはじめて出会う場所が川村美術館のロスコ・ルーム。ロスコに惹かれた花ちゃんと幸子は、そのあと、お茶でも飲まない、と言ってとても仲良くなるのだった。

しばらくすると幸子は私から少し離れた椅子に座り、私と同じくらい長いことロスコの世界に身をひたしていた。ほんとうに水がしみこむように、その赤が体にしみてくるのを私も感じていた。  (よしもとばなな『ふなふな船橋』)

 冬になって、どこかの美術館でフライヤーをもらった。「絵の住処(すみか)-作品が暮らす11の部屋」、このコピーが目に入った。わたしの中でじわじわと川村に行く準備が整ってきたような気がしたので、行ってみるかと腰を上げた。秋葉原で総武線に乗ろうとするホームで下車駅を確認するつもりでフライヤーを引っ張り出したら、え、今日休みじゃん! 天皇誕生日に休館とは絶句。あっぶない、佐倉まで行ってたらあぶないトコロだった。それでその日は、そのまま総武線に乗って千葉市美術館で杉本博司を観て帰った。

 年が明けて、会期があと3日となった昨日、やっと行った。佐倉まではドアトゥドアで2時間半、9時半に家を出て着くのは12時半だ。佐倉駅でバスに乗る。ずいぶん遠いところまで来ちゃったなぁ、大丈夫かな、こんなところまで来てよくなかったらがっかりだなぁ、などと少し心配になった。

 薄暗い部屋に置かれた7つの絵。四角の向こうは、吸い込まれるようで、中空のようで、とらえどころのない巨大な空間が奥に広がっている。『ライオンと魔女』の最初のシーン、戸棚を開けたら広がる世界に入ったよう。わたしは小さな人になって赤い時空間に迷い込んだような気がした。無重力空間に放り出されてそれをまた見ているもう一人のわたしもいる。ずっと椅子に座ってずっとずっとずっと観た。オレンジ色のある絵が一番よかったので、じっと見つめた。その時着ていたまオレンジのダッフルコートにも何か意味があるような気がした。その上から新しい記憶としてしみこめばいいと思った。本当に花ちゃんと幸子のように、長いこと椅子に座ることになった。

運命はかすかな糸をたぐりよせて、確実にものごとをつなぐものだ。 (よしもとばなな『サーカスナイト』)

 美術館の庭も美しく歩きたかったが、時間がなくて泣く泣く帰る。夕方の約束さえなければずっといたかったのに、2時半には行かなくては。何度も来たい。もっと近くにあればな。でも、と思う。遠くに、こういうものがある、と思うことが心を温め潤すのではないか。届かない思いを抱くこと、あこがれ。

 ロスコの絵画を前にしたとき、他にはない絵の力に圧倒されてしまいます。しかしそこには、どうしても辿り着かない果てのない奥行きのようなものを感じさせ、この辿り着かない感じがフランツ・カフカの『城』を思わせました。主人公のKは、物語の始まりから城に向かうも、いつまでも城に辿り着かず翻弄され続けます。対象が不気味に掴みとれず、にも関わらず他にはない感動を与える点でも、極めて近い印象を受けます。 (川上洋平「本好きのための美術案内」 館内で本の展示の解説として)

☆アナログハイパーリンクな読書
よしもとばなな『ふなふな船橋』→ DIC川村記念美術館 ← サイ・トゥオンブリー 『ライオンと魔女』

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まぶしい冬の庭園と美術館の玄関 あの中にあるんだと思う。