これは芸術か~中之条への道(34)

 美術作家のIさんに地元の人が他の作家の作品についてこんなことを言っていた。「あんな××を集めたり並べたり置いたりしただけで、あんなの私でもできる、あれで芸術なのかい?」それに対してIさんはこう答えた、「・・・芸術です。」

 そのときわたしはおかしくてしかたなかった。芸術か?芸術ですってなんだかおかしい。芸術ってなんだかわからないからわかりそうな人に聞いていて、それに対してIさんが大真面目に答えているその状況にも。

 わたしはこの問答を立ち聞きしながら、赤瀬川原平を思い出した。ある高名の文学者から空の封筒が送られてきて、兄も文学者なので知人であるし、何かが送られてくることもままあるが、空というのは尋常ではない、「芸術か!?」と思った、というエピソードである。

 わたしはこの箇所もクスクス笑いながら読んだ。真面目であればあるほどおかしい。

 もう一人別のIさんの作品の前で若い女性二人がこんな会話をしていた。「これも作品なのかなぁ?」「変だから作品なんじゃないの?」

 この会話もわたしはおかしかった。そして、そうだよな、とも思った。
 変なものじゃなければそれはただの消費財、よくある商品として流通しているだろう。見慣れてないもの、変なものとはつまり唯一のものとしての作品、価値がまだ与えられてないもの。

 ここにはもう一つの論点がある、作品、と言ってしまえば納得するという、芸術がある種ブラックボックスになっているという点だ。二人は、そうだよね、そうだろうね、よくわかんないけどそうなんだろうね、とそれ以上深く詮索していなかった。作品として自然に受け入れているということでは、ビエンナーレがこの土地に浸透していることを如実に示す例でもあった。

 伊丹十三は「これは映画か?というようなものを作りたい」と言っていた。意味がどうこうごちゃごちゃ言わず、とにかく自分が興味があって、おもしろいと思ってて、ずっとやってしまうことを今年は追求してみたい。がんばるという言葉は嫌いだけど、ひとつ、がんばってみようと思う。

 新年でもあることだし思いきってわたしも言ってみよう、「これは芸術か?というものを作りたい」。

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初詣の洗い観音 目と手と心臓を洗った。眼を磨き手を練り気を充たし事にあたりたい。