似た人は「その人」

 あ、まただと思う。

 夢の中で、車椅子の知人の足が治ってなぜか女性用化粧室に押し入ってきた。わたしは二重におどろく。

 1週間後、彼にそっくりの人を現実でも見かける、足が治っている。まさか、治るはずはない、一時的なけがじゃない、病気なんだからと思うけど、見知らぬ人を二度見どころか何度見もしてしまう。そっくりなんてものじゃない、本人にしか見えない、でも本人のはずはない、いや・・・まさか・・・! 夢の中のことが本当に起こったのだろうか。

 TAT2015にも昔知ってた人にそっくりの人が来た。その人かと思った。まさか、来るはずはない、美術とは全く無関係の、それがこんなマニアックなところをピンポイントで知っているはずもない。もともと直接連絡をしたことなどなかった人なのに。でも、と思う。その人「のような人」かもしれない、その人、なのかもしれない。その人との過去のできごとを思う。その時の感情がよみがえってくる。

 中之条ビエンナーレがきっかけでつきあいが始まった人、やはり過去に知った人と似たところがある。生活スタイルや口癖が。この人は顔は叔父に似ていて、一体どういうことだろうと思う。二人とも苦手な人だが、この二人との関係を清算するきっかけなのか、あるいは記憶を上書きするきっかけなのか。その人とだったら関係を結ぶつもりはないが、似た人となら関係を切り結ぶことだってある。

 最近知り合った人も高校の同級生と名前の音が似ていて、顔もどことなく似ている気がする。それほど親しくなかったが、20年たった今、仲良くするってことは、ずっと彼女と仲良くなりたかったのかもしれない。いや、そんなことはないか。高校時代をまた生き直す、ということだろうか。彼女は、10年前にわたしがなんとなく気まずくなった人、別の人とのけんかの場に居合わせた人と親しいらしい。彼と久しぶりに会いたいなあと彼女は言ったりするたび、やはり、過去のことと関係を持つきっかけかもしれないと思う。

 これから新しい関係になるというより、過去のことを思い出し、時間がたった今の時点から思いをいたすことによって、できごとの意味を新たにする。
 わたしたちはそこらじゅうにいる、SICF16の出展作品のテーマはそのことだった。ということは、過去の時間は現在にも存在する、とも今思う。

 偶然、TAT2015で鏡の作品を作ったせいか、その人ということに最近、興味がある。さらに深めていきたい。