作家になったらやりたいこと~中之条への道(31)

作家になったらやりたいことがわたしにはある。どれも知らない人との間を結ぶ関係性だ。

1、知らない人からサインを求められること
2、作品を買った人とお話しすること
3、ボランティアスタッフに制作を手伝ってもらうこと

 1は、小学生の女の子だった。
 とてもまぶしそうに目をキラキラさせていた。本当に目ってキラキラするものなんだなと思った、まさにハートマークでまっすぐにわたしを見つめていた。今わたしは彼女にとって希望なんだと思った。ビエンナーレのガイドブックにサインをした。作品ではなかったがガイドブックは買ったものだったから。一緒に写真を撮りたいと言われたが、そんなのわたしのほうこそ、と思った。

 2は大人の女性。偶然だった。会場で夕方4時半ごろ、それはそろそろ入場はお開きという最後の時間だったが、熱心に観てる人がいるなと思って、少し疲れていたがわたしから話しかけてみた。しばらく会場を留守にしていたら、紙の配置が少し変わっていて、わたしの意図した通りではなかったので、こんなに熱心に観ている人にはちゃんと言い訳したいと思ったのだ。えっと、ちょっと触った人がいるみたいで、当初のわたしの意図通りではないんですが・・・、これを話の接ぎ穂として、作品について制作についてそしてここから徒歩5分のところのインフォメーションのショップでグッズも販売しています、と言ったら、実は時計を買いました、と言われて、おどろいた。とてもとてもおどろいた。

 わたしはそのとき堂々と言った、「あれはいいものです、買う価値があります、私自身とても気に入っています」と。そのときの自分はとてもいい感じだったと思う。5つあって、どれもデザインが違ったので選ぶのが楽しかった、並べてずいぶん迷った、それはまさにわたしが狙った通りだった。家にちょうど時計がなかったものだから、と彼女は言い、伊参スタジオの作品もじっくり観て帰った。

 内気そうで、自分から作家に話しかけるような人ではなかった。事実、自分が作品を買ったってことをかなり後になって切り出していた。わたしから話さなければすれ違ったままだったはずだ。数日前にいやなことがあって以来、話しかけるのを忌避するような気分だったが、思いきって話しかけてよかった。じんわりとうれしさをにじませながら、そして後ろ髪をひかれるように帰っていった後姿をわたしは忘れないだろう。

 3は、実現しなかったこと。
 以前、それはわたしがまだ現代美術作家ではなかったころ、アートイベントのボランティアスタッフをやったことがあって、その団体が今度は作家の制作スタッフを募集していると聞いて、大きい作品は作家以外の手が、しかも素人の手が入るんだと少しびっくりしたことがあった。わたしは当時、作家ではあったが、現代美術の制作についてはくわしくなく、そのときに、わりとそういうことは多いことを知った。多作の司馬遼太郎が、資料を読むのも本人なんですか?と訊かれる、どんなに膨大な資料も本人の中に入れないとどうしようもない、と書いていて、小説家は自分ひとりで書くと思っていたが、どうやら美術作家の場合はそうでもないようだ。

 それでわたしはいつかスタッフに手伝ってもらわないとできないような大きな作品を作って、知らない人に手伝ってもらうという憧れを持っていた。事前のオリエンで、広くボランティアを募るのでそういうことも可能と聞いて、ビエンナーレでますます実現性が高まったと思った。事実ビエンナーレにはサポーターズというしくみがある。

 とはいえ、いつも自分ひとりで制作しているし、制作そのものは手伝ってもらうような性質のものでもないし、と思っていた。だが、撤収は! そうだ、撤収は養生を手伝ってもらえるんじゃないか?と期待を持っていた。夢がかないそう・・・。

 それで、あらかじめそう事務局に伝えておいた、いついつに行くから一人お願いします、と。ところが、直前になってわたしの気が変わった。そもそもわたしは誰かが一緒にいるとその人に気を遣って、自分のことに集中できない性質だ。お手伝いの人と言っても、きっとわたしのほうが気を遣うことになって、撤収も制作のうちなのに中途半端になるだろうと思った。何か欠けることがあるだろう。もっと集中すればよかった、そんな後悔が目に見えるようだった。不完全燃焼、失敗するわけにいかない、撤収だって一発勝負なんだから、と土壇場になって断りのメールを送った。

 夏の制作中、Jさんはたくさんのスタッフに手伝ってもらっていた。Jさんしかできない作業を進める一方、今日は1人、明日は3人、あさっては誰もいない、予定を立てにくい中で全体の作業の割り振りを決めて指示するのは大変そうだった。夜、みんなでワァワァ工事をやっていた作家のTさんもいた。大規模でかっこいいなぁ。一方、撤収をもう終えたと話していたMさんは、大きな作品のように思っていたけど、と言うと、ううん、一人でできないことはしないの、とさわやかに言った。ハッと思った。わたしはこっちなんじゃないかって。

 結局ボランティアスタッフに手伝ってもらうことはなく、一人で原状復帰をした。養生は身体全体を使って疲労する上に、脚立に昇ったり降りたり動かしたりで思うようには作業は進まない、人海戦術ならもっとラクなんだが、と何度も思ったが、こうした時間や体力、面倒さをかけることがまたわたしの制作なんじゃないかと思った。

 「作家になったらやりたいこと」はまだまだある。次にとっておこう。

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