美術作家のIさんが、あるシーンが非常に特徴的だと言っていたので観た『ダンボ』。わたしはそこじゃないところ、お母さんのジャンボが、ダンボの耳のことをからかったゾウたちを鼻でピシャッと拒絶するシーンにドキッとする。明確ではなかったが、あざけりがそこにはあった。その小さな違和感にジャンボは敏感に反応した。そうだ、こうやるべきなんだ。なんとなく、いつも、いいよいいよと受け入れて、あるいは受け入れた振りをしていた自分を戒める。それも一理ある、なんて相手へ理解を示す必要はない、一理なんてない、お母さんは全力で子どもを守るべきなんだと思った。わたしもちゃんと守るべきなんだ。自分の癖、慣れた習慣に気づくことが最近多い。
戦中に発表された作中すでに『ファンタジア』の萌芽が見える。結局作家は、内なる声に従ってしか作品を作り続けることはできないと思う。才能うんぬんより、内なる声を聴きそれに忠実に従おうとするかどうかではないかとさえ思う。ときにクリティカルボイスに対抗し。わたしは内なる声を無視してきたから、そんな癖がついてしまっている。
以前、少し仲良くなった人に「最近、何の本を読んでるんですか?」と聞かれた。世間話の、話しの接ぎ穂にしてほしくはない、読書はわたしの人生そのものなんだから。
先日、青山南が「読書経験が浅い学生」という言いまわしをしていて、あっと思った。少し休憩時間ができるとさっと文庫本を開く人がいる場、すてきだなと思う。そんな世界からずっと遠ざかっていたが、そういう世界はちゃんと在りつづけていた。
ちゃんとわたしとわたしの作品を守っていこうと思った。相手に受け入れられようと、甘えて安目を売るような真似はしない。Iさんにもそう言われた。最後は自分の最も大切なものが頼りになる、つまり苛烈なプライドだ。
本を読むといろんな思いが湧き出してきて、思考がジャンプする。起業した編集者2人の本を読んで、頭の中が沸騰している。本の仕事がしたい。
☆アナログハイパーリンクな読書
Iさん→『ダンボ』
見城徹『たった一人の熱狂: 仕事と人生に効く51の言葉』
松浦弥太郎『松浦弥太郎の新しいお金術』