一人小栗映画祭

 早大で多和田×高瀬のパフォーマンスのあと、興奮さめやらぬ気持ちで少し歩きたいと思い高田馬場まで歩いた。すると、早稲田松竹で今週、小栗監督週間だという。あ、眠る男!

 わたしは20年来『眠る男』を観たかった。

 だが、入手がむずかしかったのであきらめていた。ところが、伊参スタジオの管理人のSさんにその話をしたら、ある、という。今度見せるよ、と言ってくれたが、制作中、会期中はそんな余裕はなく、では撤収に行ったときにと狙っていたが、先週の撤収におもわぬ時間がとられ、もう今回は無理だな、今度はいつになることやら、いやこういった場合機会はないだろうなと思っていた。

 それで、無理をして観ることにした。これが最後のチャンスかもしれない、人生で何を優先すべきか考え、そうした。これはわたしにとってかなり大きな決断だったが、そうした。後悔するかもしれないと思ったが、そうした。飛ぶことにした。

 二本立てだったのでついでに『死の棘』も観た。
 『眠る男』は断片のコラージュ、『死の棘』はおわりもなくはじまりもない話。どちらもわたしの制作にとって意味のある作品だった。だが、そういうことじゃなくて、わたしの人生の問題として『死の棘』に惹きつけられた、会話体や二人の生き方に。

 『死の棘』は島尾敏雄の私小説。「「私」の話を昇華した」との映画評。(あ、元の原稿を書き写すの忘れた。)
わたしの作品にテキストがあるので、以前「私小説ですね」と言われて、そのときは私小説というのは概ね悪口であるので目の前で悪口を言われていやな気がしたし、それに気づかない相手に対しても怒りを持った、しかも私小説だとは思っていなかった、でも本作を観て、こうした生のことをフィクション、あるいは制作にまで持っていくのが作家であろうと思った。「私小説の極北」。

 大勢の観客が映画館に入っていた。座席からみると後頭部が犇めき合って、これらはすべて小栗監督の映画を楽しみに集まった人たちなんだなと思った。期待に満ちた人たちがいるのはいいな、作家の喜び、わたしもそうなりたい。

 そんなわけで『FOUJITA』の前売券も買った。小栗監督のトークレポを読み、2作観て、急に行きたくなった。水曜日のほうが安いとはわかっていたけど、今のわたしは、先のことをなるべく限定したくない、行きたいときに行きたい、そして行きたい気持ちを逃したくない、そのためのチケット。行かないつもりで、行くとしても水曜の夜ついでに行くつもりで、結局行かないんだろうなと思う自身を強制するための前売券。これもわたしにとっては大きな決断だ。大きな溝を飛び越える。

 最近知り合った人がいて、人とつきあうとそれまで気づかなかった自分自身の問題に気づかされる。それでそのことについて、また誰か他の人と話をしたいなと思う。そうだ、作家のTさん! ちょうどいい、フジタの映画行きませんかと誘ってみたいなと思う。竹橋の東京国立近代美術館で作品を観て、有楽町で映画を観るデートコース、帰りにはトワイニングでお茶でも、あるいは虎屋でもいい、資生堂ギャラリーも寄る? 小沢剛がフジタをテーマに作品を展示しているよ・・・。きっと素敵な彼女は気に入ると思う。一日中一緒にいたらきっと楽しいだろう。でもな、と思う。やはり作品は一人で観るものじゃないか、と。遊びで観る映画じゃないんだし、遊びで観る絵じゃないんだし、一人で観て、一人でその世界に浸って、隣りに他人がいたら、気を遣って作品に集中できない。それに、デートはスマートにしたい、混んでるかもしれない映画に誘って万が一入場できなかったら、きっと取り返しがつかない失態。そんなあぶない橋に大事な友だちを誘えない、やはり人と出かけるのはむずかしいな。寂しい気持ちもあるけど一人で行く。そんなことでやはりわたしはいつも一人なんだろうなと思う。誰かと一緒にいると安心で心躍る、だけど、でも、それによっていいことだってある。わたしはそっちの両面を取っていると思うことにする。

 

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東京国立近代美術館「特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示。」 2015/9/19~12/13
角川シネマ有楽町『FOUJITA』
資生堂ギャラリー「小沢剛展:帰ってきたペインターF」2015/10/23~12/27
早稲田松竹「『FOUJITA』公開記念 小栗康平全作品上映」2015/11/7-11/13
伊参スタジオ 『眠る男』のロケがおこなわれ、今も「眠る男」の部屋が保存されている。
※中之条ビエンナーレでわたしの会場だった

☆アナログハイパーリンクな映画
多和田・高瀬→『眠る男』→『死の棘』→『FOUJITA』