在廊すること~TAT2015

昨日、今日と一日中、会場にいた。
はじめは恥ずかしくてあまり目を合わせられない自分の作品にもだんだん慣れてきて、愛着がわきまっすぐ見られるようになってきた。
今回は和室だから、まさに部屋にいるような安心感もある。
畳に坐って一人でノートを書いて過ごすと頭の中が少し整理された。
今日は雨で寒くて、昨日みたいな実験的な写真を撮る気がしない。
平日で静かだったというのに。
その日その時のことは、その日その時にしかない。次はないんだなと思う。

ふと20年前の授業を思い出した。
高橋世織が荒川修作展で会場にいる荒川のことを見ていた、という話。
「小林秀雄です」と挨拶にきても、ああ、うん、と言ったっきり、じいっと観客の様子を見ていた。その様子をさらに世織先生は見ていたそうだ。小林秀雄だってこともわかったかどうか、と。
どう在廊すべきかあいかわらずわからないし、居心地の悪さを感じているままだが、
いろいろな在廊の方法があるものだと思う。

荒川修作のようにじっと見ているつもりだったが、
わたし作家じゃありませんよというフリをしていたので、荒川になりきれてはいなかった。