2015/10/28

作られたがっている何か~中之条への道(30)

 制作には必ず制作意図があるものだ。でもわたしの制作にはない。それがわたしの制作の最大の特徴だと思っていた。よく作家仲間に不思議がられる、制作意図がなくてどうやって作るの? それでも制作できることがわたしの強みである、と思っていた。作りたいものはないんだ、ただ、描くのは自分に必要なことだし、どんどん線ができていくのを見てるだけなんだよ、と。

 でも、中之条でこう言われた、あなたの中に作られたがっているものが在る、と。

 ハッとする。自分の意識では認識できないが、意識外のところに存在する「作られたがっている何か」。それがわたしを制作に向かわせる。

 そうかもしれない、わたし自身が気づかないでいる何か。

 村上春樹のことばがよみがえる、自分が小説を書きたがっていることに気づきませんでした。

 そういうことはあるだろうと思う。
 わたしはそれを大事にしてやらなければならないのかもしれない。
 小さな声に注意深くなるべきなのかもしれない。
 あるいは、声さえないのかもしれない。
 見えない存在を信じるしかないのかもしれない。なんの証拠もなくとも。
 ロジックとかエビデンスとか、そんなもので何でも処理するのはよそう。
 そう思った。
 わたしの中の「petite hinako」。小さく縮こまってメソメソ震えて、でもたまに思いも寄らないことをしでかす大胆な彼女。