物語の愉しみをしばらく忘れていた

 春に柴田さんのトークをジュンク堂で聞いて、今ジェイ・ルービンの長編を2人で翻訳している、まだタイトルは決めてないんだけど、原題は「the sun gods」、好きな小説ではないけど、決して好きじゃないんだけどとてもよい小説だ、夏に出版予定と聞いていたので、さっそく読んだ。

(WWⅡ中、アメリカの日本人・日系人に何が起きたかに関心を持つ読者は言うまでもなく)それと同時に、そういう問題にまったく関心がなくても、とにかくよい物語が読みたいと思われる読者にもぜひお読みいただければと思う。(略)「次はどうなるのだろう? この人の身に何が起きるのだろう?」という、物語がかき立てる一番根本的な興味が終始持続する一冊である。 訳者あとがき

僕自身、これを初めて読んだ2014年の夏、第二部に入ったあたりから読みの勢いがぐんぐんついてき、まさに巻を措く能わずという思いでバスのなかでも読み食事の最中も読み、最後まで一気に読みとおした。  訳者あとがき

 わたしもまさにその通りに、第二部に入ってからぐんぐん引き込まれ、一日中食事もせずに、読む体力を補うべき簡単な食事中も、そして食後も夢中で読んだ。久しぶりに集中して小説を読んで、心からスカッとし、今も興奮気味だ。心が洗われた。これが小説の愉しみ。しばらくこうした喜びを自分に与えてこなかったなと思った。ふぅううううう。

 よきもの、よきもの、よきものは世の中にちゃんとある。夢中になるもの。本当は、自分の魂はこういうものを求めていると思う。わたしにとって、こういう喜びは本しかないのに。悔しい。どうしよう。 

 2014夏から半年間の柴田元幸書店で一番売れたのは『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』だそうだ。やはり古典は強い。

著者ルービンは、この小説を書いた動機として、第二次世界大戦中にアメリカ政府が憲法を捨てたことへの怒りがまずあったと述べている。だからこの本は、怒りの書である。だがそれと同時に、あるいはそれ以上に赦しの書、祈りの書でもある。      (訳者あとがき)

 動機。怒り。強いそういうものがなくて、どうしてよきものが作れるだろうか?

☆アナログハイパーリンクな読書
柴田元幸ジュンク堂トーク「柴田元幸書店閉店記念 感謝と総括の回」→『日々の光』ジェイ・ルービン著 柴田元幸・平塚隼介訳