建畠晢のサイ・トゥオンブリーについてのトークを聞いた。
話のなかでトゥオンブリーのことではないが、「崇高さ」のある芸術について話が出た。
あっと思った。
芸術ってそうなのか、と思った。
芸術が崇高さを持つのなら、やはり芸術っていいもんだと思った。芸術を志していて自分は間違っていないんだ、と思った。
「とにかく好き、ということですが、どの作品が一番お好きですか?」と聞いてみたかったけど、はずかしくて質問できなかった。もしかして、ボードレールみたいに全部、とおっしゃるかもしれないと思った。好きとかおもしろいとか感覚を話しているのを聞くのは楽しい。
トークの前に美術館のカフェで食事をしていたら、偶然、隣りの席に建畠さんがいて、原稿を推敲していた。なぜだか、よくホテルでもらうアメニティの白いブラシを手に持ち、もう片方の腕にぎゅっと押し付けたりトントンとマッサージしながら推敲していた。この謎の行動に、評論家でもあり詩人でもある芸術家は日々こんなふうに原稿を書くんだろうかと、プライベートをのぞいてしまった気がした。トーク中、マチスが線を描くときに「そんなことはしてないよ」と無意識でしている行為について言及があったが、ご本人だって、とわたしは密かに思った。
わたしは、何度も観ているうちに好きな作品が変わる。最初観ていいなと思うのはだんだんそうでもなくなっていき、じんわりといいなと思うものへ変わっていく。そういうのも体験したいと思った今夏。
☆今日のアナログハイパーリンクな読書
原美術館講演会「建畠晢氏、サイ トゥオンブリーを語る」→建畠晢『問いなき回答』→ロラン・バルト『美術論集』