買ったよ!と手紙で知らせてくれるお友だち~中之条への道(15)

 OZmagazineに写真が載ったことだけど、本当にうれしいのにそのことを言う人がいないなぁとさびしく思っていたんだけど、ほんの少しのお友だちにコピーと手紙を送った。そうしたら、その二人から同じ日にそれぞれお手紙が届いて、二人ともが「買っちゃった!」って。

 うれしかったなぁ。泣きそうになった。応援してる、とか、よかったね、と言うのより、買ったよ!というのが、一番わたしの力になると思った。なんかね、こういうのはうまく言えないけどね、好きな人はね、半分ずつだと思う。相手のことも聞きたいけど、こちらのことも聞いてほしい。それが半分だといいな。どっちかが多いと、違うな。でも、今のわたしは孤独感が強いから、わたしの話をいっぱい聞いてほしいという気持ちが強い。そういう時に自分の話ばかりする人と会うのはキツイ。わたしの話をしたら、おもしろいね、と言ってもっと聞きたい、と言ってくれるとうれしくなる。

 そう考えると、「掲載誌買ったよ」というのは、その人の話だ。でも、負担に感じない。こちらを理解してくれ、おもしろいと思ってくれ、という欲望のベクトルを感じないってことかもな。そういうベクトルが強い人と一緒にいるのは負担が強い。萎縮しているときにそういう人の話を聞くと、さらに頭を押さえつけられるような気がする。

 でも、わたしだけじゃなくて、実はみんな孤独なんじゃないかなと思う。だから、孤独じゃないモノを作りたいなと思う。違う、孤独をなんとかしようという気持ちで描こうと思う。

 これはとても大事だから、いい感じで書きたいと思ってとっておいたことだけど、出し惜しみせずに蔵出ししてしまおう。前に作品について、ある人から「自由になりたがっているように見えた」といわれた。最初、では自由ではない、ということだな、と思って少しガッカリしたが、いや、自由になりたがっている、というのこそ、わたしにとってうれしい言葉だと思った。その、志向する動き、ベクトルこそ、わたしだ。だから、孤独をなんとかしようとする気持ち、自由を求める気持ち、それを作品にしようと思う。あ、そうそう、お盆にまた制作に行くの。

 ところで冒頭の二人は3年前にフランスにアニマシオンの研修で一緒だった人たちだ。それまでまったく知り合いじゃなかったのに、2週間も濃い時間をともにすると、昔からの知り合いのように強い結びつきが生まれるんだなと思う。封筒を二つ、壁に貼って眺めている。手紙っていいもんだよ。わたしはこの世にひとりぼっちだけど、少なくともこういうお友だちが2人はいる。

☆今日のアナログハイパーリンクな読書
アニマシオンについては『読者教育』(辻由美)ではじめて知った。その後、辻さんは研修のコーディネータとして直接会うことになる。しかもわたしの大学時代のフランス語の先生の友だち。そのことは『世界の翻訳家たち』で知った。その本は米原万里の『打ちのめされるようなすごい本 』で知った。と思うけど別の本かな、いずれにしても米原万里の本で知った。
米原万里→『世界の翻訳家たち』→『読者教育』→フランス・アニマシオン研修