かわいい日傘

 今夏から日傘を日常的に用いることにした。だから、まだ、慣れていない。うっかり置いてきたり、人にぶつけて謝ったりしている。

 朝は晴れていたのに夕立がきた昼、最近知り合ったばかりの男性から「かわいい傘ですね」と言われ、急にそんなことを言われたものだからびっくりして何も言えなかった。「あ、いえ、あの、これは日傘でして・・・」とか、だから何だというようなことをごにょごにょ言った。特段かわいいってものじゃないけど、たしかに日傘って雨傘よりもレースがついていたり持ち手がラブリーだったりする。男性からすると特にそう思うのかもしれない。

 その日の夕方、ギャラリーで展示を観た。はじめてのギャラリーで、小雨が降る中ちょっと迷いながら着き、思った以上にいい展示で思わず長居して、さぁ帰ろうとすると、傘たてに傘がない。あっ!

 きっと「かわいい」傘だから盗まれたんだ、と思った。なんてこと! こんないい展示を観に来るような人たちの中にそんな人がいるなんて! ひどいひどいひどい!!!

 その日は降ったりやんだりの日で、ちょうど降っていたから実際困った。
 ふと思った。その傘を盗んだやつは、自分の傘を置いていって、わたしの傘を持っていったはずだ、となると、そいつの傘をさしていくしかない、どれがその傘だろう、じっと傘たてを見つめた。ギャラリーの中には何人か人がいる。ううむ・・・・・・。
 すると、何度も見たはずの傘たての中に、わたしの傘があったのだ!
 日傘は小さいから、大きい雨傘の陰に隠れて見えなかったのだ。
 わーん、よかったーとホッとすると同時に、泥棒だなんて疑って他の人に申し訳なかったな、と思った。カッとなってやった、今は反省している。

 それにしても、昼間に「かわいい傘だね」なんて言われて舞い上がっていたからこんなことになったと思った。かわいい傘、かわいい傘、これはかわいい傘なんだ! 母が置いていったのを広げて「使えるジャン!」なんて思って持ってただけなのに、この日からこの傘の名前は「かわいい傘」になった。

 他の人から言われた言葉には強烈な力があると思う。自分だったらそんな名前、恥ずかしくてつけられない。

 ちなみに、ギャラリーで観たのは西江雅之の写真展。アフリカではモノの所有についての感覚が我々とはまったく違うということを肌で感じた体験を書いてくれた西江さん、モノの価値は文化的な文脈でとらえるものと教えてくれた西江さん、そんな西江さんの展示でこんな珍事が起きて、そのこともわたしにはなんだかおかしいことだった。

☆今日のアナログハイパーリンクな読書
米原万里、竹熊健太郎 → 西江雅之『異郷をゆく』『新「ことば」の課外授業』