SICF16後 作品解説と制作背景

 SICF16では、作品解説と制作背景についての文章をブース内に掲示し、2日目にはさらに、手に持ちながら作品鑑賞できるようにした。これは評判がよかった。

 現美で見た太田三郎の展示がそのようだったので、これはいいと思って私もそうしたのだ。(これが昨日の「強豪校の試合を見る」というのと「先輩の話を聞く」だね。)

 それで驚いたのは、「最初、こういう作品解説って、作者がこういう主張をしたいというのが書いてあるのかと思って、自由に見てはいけないのかと思った。だけど、あなたの作品解説は違った。これを読むと作品がよくわかった」と言われたことだ。

 前段と後段とに分けて考えてみよう。まず前段。そうか、普通はそういう主張があるんだ、と思ったこと。主張があるなら、それを直接言えばいいんじゃないかと思っている。なんで作品にするんだろうなって。とするならば、アートが主張のためのツールになっていないか。さらに、作品で言えてないんだったら、その作品では不十分と言えないか、とここまで考えて、そうとも言えない、リテラシーの問題かもしれないと思った。だからアートと投票制はそぐわないとされているわけだ。とにかく論点がたくさん含まれていると思った。といって論点をどうにかしようとは思っていない。私は作家だから、それぞれの人がそれぞれの方法で作ればいいとシンプルに思うだけだ。

 続いて、私の作品解説についての後段。それはそうだと思った。私の作品解説は、作品の主張はない。じゃあ何が書いてあるかと言えば、作品に隣接することがら、制作のきっかけ、作家をとりまく環境、が書いてある。制作の理由と書くと、前段のようになるからこのように書いたけど、似ているように思えるが、読めばわかるがあきらかに違う。大きく言うと、「これこれのことを感じろ」とか「これこれのことを見ろ」というのは、私にはまったくない。そういうことは考えたこともない。

 ここまで書いて思い出した。昨夏にあるキュレータから言われたこと。そういうことだったのかなぁと思う、その時はわからなかったけど。彼は最初、半信半疑だったけど、私が本当にそう思っているとわかると、「ふぅん」と言ってから「曇りないねぇ」と言った。

 わたしのこうした制作姿勢が他にないものだということが、SICF16で明らかになった。

 話は戻るが、そういう普通の作品解説がないなら、どうやって制作できるのか、と一般的には思う。実は私も思う。ただ、できるときはできる。今は、それをどうやってできるように持っていこうかと思っている。私は私自身を、何か機械のように思っている。私という機械をどういうふうに持っていくと、思ったように機能するんだろうか、と。プログラミングとは違う。プログラミングは、100パーセントコントロールできるし、指示したようにソフトは動くだろう。わたしの場合は、コントロールがほとんどできないし、予測もできない。どこに行くべきかわからないのに、どう動かせばいいんだろう。今、このことで困っている。それとも、どこに行くかなんて考えるべきではないんだろうか。

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SICF16 作品解説と制作背景
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■展示全体■
J’ai le droit d’avoir un nom 名前をめぐる思考の飛躍と連想

ミッシェル・オスロの映画を観ていたら、
ユニセフの子どもの権利条約20周年記念イベントで監督が講演をしている特典映像があって、
そこに一瞬ポスターが映った。
子どもの絵の横のフキダシの中に「わたしはNOを持つ権利がある」とある。
そこで私が思い出したのは『猿の惑星』だ。
猿がNOを言うシーン、それは猿が人間からの支配から逃れる決定的なシーンだ。シリーズ全てに登場する。
NOを言うことはつまり、権利を主張する第一歩なんだ、と強く感じた。
それで、ユニセフもそう言ってるんだな、と感慨を深くした。
ところが、よく見てみると、「non」ではなく、「nom」名前だった。
正しくは、「私たちは名前を持つ権利がある」。

とんだ誤解だったと気づいたが、次の瞬間、名前を持つ権利?と疑問に思った。
それは、名前を持たない子どもがいるということだ。
名前を持たないとはどういうことかと考えた。
名前を持たないということはつまり、取替え可能なモノとして扱われる、固有のものではない、という証拠だと思った。
ぬいぐるみだってペットだって、お店にあるときは誰でもない、うちに来た時からうちの子だ、名前を与えられて家族になる。
そこで思い出したのは、私が小さいころの風景だ。
文字が書けるようになったころ、自分の名前を書くのがとても好きだった。
小学校の校庭にジョウロの水で何を描いてもいいと言われたときに、嬉々として大きく自分の名前を書いた。
自分の名前、それは自分が自分である喜びだった。

大人になった今、自分の名前を書くのは、証明したり、申し込んだり、責任が発生するときだけ。
匿名、ハンドルネーム、ペンネーム、イニシャル表示、名前を出さないほうが安全なときもある。
『供述によるとペレイラは・・・』では亡命するとき名前を変える。別人になるには名前を変える。ペソアは70個も異名を持った。

名前について何かの主張があるわけではない、ただ、いろいろなものを見ると思い出すことがあって、
何かを見て連想したりあるいは思考を飛躍させたりすることは、わたしたちの楽しみの一つだと思う。
そのときそのとき思ったことを制作した。

■個々の作品解説■
HinakoのHinakoによるHinakoのためのHinako
これを描いたときわたしは、とても不安定で危険な状況にありました。
自分の存在があやうくなったときでした。
巨大な不安と恐怖と怒りを感じていました。

わたしは、自身をなにかあたたかい毛布のようなものの中にもぐり込ませたいと思いました。
柔らかいものに包まれたいと思いました。
安全な場所に隠れたいと思いました。

自分の名前が失われた体験をしたので、
自分の名前を何度も描いて、わたしを失わせる力に抵抗しようとしました。

でも、名前を描いているうちに、隠したいとも思いました。
大きく描くのは怖いと思いました。
何かの後ろに隠れているのは安心でした。
誰かの隣りにいて、誰かと同化して、名前がないのは安心だと思いました。

わたしは、わたしを隠そうとも思いましたし、わたしを現そうとも思いました。

わたしは、目的や手段や属性や、そういったものがいやになったのです。
ナニナニのためのナニナニ、とか、ナニによるナニ、とか、ナニのナニとか、
将来のためのスキルとか、平和のための法律とか、健康の秘訣とか。
目的の先ではなく、手段の先ではなく、そのものを描きたいと思いました。

 

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(近寄って見ると、hinako、ひなこ、と名前がスクラッチで無数に描かれている)
〇(マル)
この絵を描いたのは、ただ、肯定したい、という思いでした。
それで、〇をまん中に描きました。
×じゃなくて〇。
オッケー、オッケー。
とにかく明るいものを描きたいと思いました。
これの前にも、同じような作品を描きましたが、どうにも透明感がなくて、いやでした。
透明感があるものを描きたいと思いました。
なにか、解放されるものを描きたいと思いました。
ぎゅっと縮こまったものを解放したいと思いました。
きっとそれは自分自身だったと思います。
たとえ理屈が間違っていたとしても、正しくなくても、肯定したい、そういう思いでした。
光を見たいと思いました。

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わたしたちはいろいろなところにいる
わたしたちは、形を変えて、いろいろなところに現れる、わたしは本当にそう思うのです。
すれ違う人の中に、私は知人の面影を見ることがあります。
そんなときわたしは、その人が誰かの姿を借りてわたしに会いに来たんじゃないかと思います。
わたしたちは、自身であると同時に、誰かでもあるとも思いました。
2015年、「わたしはシャルリー」と書いた紙をもったデモが行われました。
名前の意味を考えました。
HINAKO ひなこ、ヒナコ、比奈子、
私の名前が変化しながら、画面に現れます。

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(例えば、「h」が連なって変化して花のような形になったり、「奈」が変化して虫のような動きのある形になったり、「ひ」がつながて、街並みのような形になったりする。しかしそれらは花でも虫でも街並みでもない。)

ひなこかきました
客席の子どもを数人ステージに上げて「お名前は?」と聞く子ども向けのイベントで、
小学生はみなフルネームで答えていた。
壇上のおねえさんは、きっと、下の名前だけを言ってくれるといいなと思ってると思う。
個人情報だし。
でも、フルネームを言いたい、と思うんだろうな、名前を言うのは楽しいことなんだと思った。
そういえば知り合いの子も、家に電話したらフルネームで大声で名のった。
それでわたしも負けずに答えた、「はらぐちひなこです!」と。ところでお母さんいるかな?
わたしも小学生のころ、なんでも書いていいよ、といわれたら、かならず自分の名前を書いた。
あるとき、校庭に、ジョウロの水で書いていい、と言われて、
走り回りながら名前を書いて、とても気分がよかった、ということを思い出した。
自分の名前がちゃんとあって、自分が守られていて、名前を言っても恐いことなんかない。
この子ども時代の作品を見ると、そんなふうに思ってたんだなと思います。

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(7歳のときの作品。1981年頃)