昨夏から、展示についてよくわからなくなっている。わたしが自分のために作ってるせいだけど、自分で勝手に作っていればいいんじゃないかな、なんで他人に見せるんだろうな、と疑問を持ち始めた。お店で商品を展示するのはわかる、売るためだ。お客さんに商品のよさを即座に直感的に正確にわかってもらい買ってもらうためだ、お金を出す価値があることをアピールすることだ。でも美術作品の展示の目的とは何か? 買ってもらうためなのか? 夏には考えを突き詰めすぎて、逆に商品としての作品を作ろうとしていたぐらいだった。それとも、なにかを表明して伝えるため? 何かの体験をさせること? じゃあ作品ってなに?
そしたら、制作と発表は別のベクトルを持つ、と田中功起が書いていたので、そう!そのことだよ!それでそれで???と鼻息荒く読むと、結論から言うと、腑分けしたのであとは各々考えよう、ということだった。
でも、やっぱりそうか、別のことなんだよな、とわかったのだった。
先日、教室作品展を開催する際に、当然だけど他人の作品をどう見せるか考えた。それは展示について客観的に考える機会で、そういう点でよい経験になった。わかったのは、これはどういう作品かということがわかれば、それに沿った展示を考えられる、ということだ。まずは、自分の作品がどういうものかを見極める必要がある。他人の作品は遠目から見られるのでどういうものかがわかりやすいけど、自分の作品はわからない、なので半分だけわかったということだ。
教室通信では、制作とは展示全部を含むもの、なんてしたり顔で書いたりしているけど、ホント、自分に言ってやりたい。
☆今日のアナログハイパーリンクな読書
ジュンク堂トークイベント→『必然的にばらばらなものが生まれてくる』田中功起