2015/03/08

調子が悪いときの特効薬 いろいろな人の声が聞こえる

 このblogでは極力リンクを貼らないでいたけど、今日だけは。

 生きることが細くなっているようなとき、食事もどうでもよくなってしまったとき、毎日アップされるおいしそうなごはんのレシピを見ることが助けになった。少し、何か作って食べようと思った。
「SAKE TO RYOURI かめきちパパ オフィシャルブログ」http://ameblo.jp/kamekichipapa/

 本当になにもかもやになったとき、ふとした偶然で見つけて、春樹さんの生の声が聞けた。
 「でもそういうことを経験するたびに、人は強くなっていきます。だからそういうときには「ああ、僕は今強くなりつつあるんだ」と考えるといいと思います。」
 そうか、今、わたしは強くなっているんだ、と思った。

 「まあ、そんなに怒らないでください。(略)そういう風に「意味がない」とあっさり切って捨てられると、みんながっかりしてしまいます。僕らもいちおう生身の人間です。そのへんをどうかご理解ください。」
 生身の人間、というのが、いいなと思った。

 重層的に複合的に理解する、というのも。作品をストレートに、思ったように、理解し理解されるもの、と思わなくていいんだと思った。

 ヘンナ質問をする人がいるのもいい。

「村上さんのところ 村上春樹 期間限定公式サイト」(どうやら2015年3月いっぱいまでの公開のようだ)http://www.welluneednt.com/

 声と言えば、『村上朝日堂』のCD-ROMがついていたのがあって、それを読んでいたころわたしは、とても「声」を欲していて、どうしても、音声で聞きたくなって、PCの音声朗読ソフトに読ませていたことがあった。ところが、そのソフトが劣悪だったので、イントネーションがまったくおかしい上に(外国人の下手な日本語のようだった)、「動物園」を「どうぶつぞの」とか言う。春樹さんは動物園の話が多かったからどうぶつぞのは何度も出てきて、その度に苦笑しながらあるいは多少怒りを感じながら頭で変換して聞いていたけど、今では、目で「動物園」と読んでいるときにふいにその変なイントネーションの「どうぶつぞの」が聞こえてくることがある、ついでに、裸家事主婦の話題もよく出ていたから、それも一緒に思い出す。
 このサイトを読んでいて、水丸さんの描いた春樹さんの絵を強く思い出した。

 大江健三郎の、自分はそんな人のそんな言葉なんかで傷つかない、と自分に言い聞かせた、というのを思い出した。その決意の程を。わたしも自分に言い聞かせた。

 つらいことがあるとき必ず観る映画があると春樹さんは言う。それで、そうだよな、つまらないことはあるよなと思う、と。わたしの何かのときの映画は『刑務所の中』と『ラブ・アクチュアリー』と『プリンスアンドプリンセス』だ。3つとも観た。
 こないだ、大量の封筒にシールを貼るというような仕事をしていて、「こんな袋貼りも」というセリフが急に口をついて出た。あ、今わたしは山崎努(かハナワさん)になっていると思った。そのあとまた少しして、資料を参照しながら作業をしているとき、図書館の本を開きながらカンナを使う手つきをしたナカノさんは、こんな手つきだったんだろうかと考えた。そのときわたしはナカノさんかそれを見ているホシノくんだった。

 見つからないけど、『夜のくもざる』について書いてあったように思うので、読むつもり。

 あ、そうそう、作業のあいま、自分が自分でなくなった気がしたとき、何かとても疎外されていると感じたとき、手帳のムーミンの一コマを見て、一瞬心がなごんだことも書いておこう。

☆今日のアナログハイパーリンクな読書
村上春樹 大江健三郎 『刑務所の中』 『ラブ・アクチュアリー』 『ムーミン』