2015/02/04

押し花、森を歩く、川崎、町を発見する喜び

 先月、誕生日に行ったレストランからサプライズでばらをもらったのがとてもうれしくてずっと飾っていたけど、さすがに元気がなくなってきたので押し花にしようとバルビエの図版にはさんだ。バルビエの絵とばらは似合いすぎると思いながら。

 子どものころの植物図鑑や動物図鑑のページから朝顔の押し花がはらりと落ちることがある、なんかうれしい。むかしの自分からの届け物。そのままにしておこう、もっと価値が上がるから?(菱沼さん)押し花というのは、「この喜びをとっておきたい」という強い気持ちの現われだろうと思う。今は朝顔なんてどうも思わないけど。

 昨日、岡本太郎美術館に行って、生田緑地を歩いてきた。山や森が好きだけど、うちのそばにはないので、こんな山がそばにあればなと思った。ソローみたいに歩きたい。「正気を取り戻すために歩く」。あ、でもそう思ったけど、ソローは毎日ずいぶんたくさんの距離を歩いたみたいだ。散歩レベルじゃないなと思った。そこまでは体力、気力、続ける力もない。でも森があればなと思う。前に森のイベントを手伝いに行ったときもいいなと思った。だけど、いい森というのは、人の手が入っていないとならないから管理が必要だ。前に山の手入れに行ったことがあったけど、基本的に人力だ。

 生田と言えば、年末に読んだ庄野潤三の『夕べの雲』がまさに舞台。それと、最近少し読み始めた『月日の残像』はどうやら溝の口の話らしいから、同じ川崎だ。

 ちょうど去年、赤坂の神社で初詣に並んでいたら、後ろの若い女性二人組の話す声が聞こえた。「○○ちゃんに連絡とってみよう、どこ住んでるんだっけ、川崎?川口?」おいおい、全然方面違うよと思った。土地勘ないんだな、と思った。また別の日、銀座線に乗っていたら、もっと若い女の子二人組(こっちは女の子って言っても怒られないぐらいの年だ)が地方から休みに遊びにきたのか、駅に着く毎にキャキャキャって笑いながら「表参道だって!美容院がいっぱいあるところだよね!」「うん!うん!」渋谷に着くと「やった、出口の目の前だよ、アタシタチ運がいいね!」「ね!ね!」やれやれ、キミタチ、そんな小学生みたいな会話していて、恥ずかしくないのかね。

 そんなことがあった数日後、ギャラリーのトークイベントで町を発見する喜びという話を聞いた。初めての場所は、本当になにもかも新鮮で、上京したての人が東京を発見する喜び、特に興奮する町、ということだった。もう自分はそういう発見はないわけで、と話は続いたが、そのときわたしの頭の中に、あの銀座線の女の子たちが浮かんだ。彼女たちはそうだったんだなと思った。確かに銀座線の渋谷駅の改札は普通とは違って、ホームにくっついている、だから、そうだ、車窓から改札が見えるのは、あれはやっぱり珍しかったんだった。地下鉄なのに3階に出るのも驚きなのに(いつ地上に出たのか?)、もうそんなこと思いもしない自分が、もう発見しなくなったんだなと思った。

 その時に出た話で、長野の信号なんてないような村から初めて東京に来た人が、信号が渡れないと先に上京していたお姉さんに相談した。いっぱい青がついて、どれを見ればいいかわからない。「みんなの後についていきなさい、そうすれば間違いないから」。秀逸なアドバイス。50年前の話だよ。

 生田緑地に行ったとき、歩行者用に全青信号があるのに、横断歩道が交差していない交差点があった。斜めに渡っていいのか自信がなかったけど、誰かの後についていった。ドキドキした。小さな冒険だった。みんなに見られているような気がした。

 帰りにコメダ珈琲店という名古屋発というコーヒー店でコーヒーをテイクアウトしたら豆菓子ですといって小さな袋菓子をもらった。おまけをもらったみたいで、小学生のようにうれしかった。これが名古屋の喫茶店文化か?と思った。わたしも新しい町を楽しんだ。

☆今日のアナログハイパーリンクな読書
『バルビエ・ラブルール展』→図鑑(この図鑑はわたしが幼稚園のときに買ってもらったものだが、図版は写真かと思うほど精工に描かれた絵である。今時かえってレアだ。こっちこそ、とっておこう価値が上がるかも、だ)
川崎市岡本太郎美術館→「ヘンリー・ソロー 野生の学舎」(みすず)今福龍太→→庄野潤三『夕べの雲』山田太一『月日の残像』←「考える人」