ちょうど2年前、印刷博物館で「世界でもっとも美しい本」展というのをやっていて、そこでたしか『眼の冒険』という本が展示されていたのを見て、その展覧会は、展示品である本を手にとって読めるという展覧会だったので、わたしは興味をひかれてぱらぱらとページをめくり、そのときの感じはもう忘れてしまったけど、きっと衝撃を受けた。松田行正著。
その頃、わたしは精神的にも肉体的にも追い詰められていて、展覧会に行くのが、まさに心の洗濯というか、楽しみで楽しみでしょうがなかったし、当日ははしゃいで鼻息荒くいたのだと思う。(そういう意味で、アートは役に立たないという言説をわたしは全力で否定する。わたしのそのときの心に、アートはまさに文字通り慈雨のようにふりそそぎ、わたしは人間らしい暖かく湿った気持ちを取り戻した。)
それでまた1年前のことだけど、自分が「線の可能性」という作品を作りはじめたものだから、そのことを思い出して、そしてシリーズになっているようだったので、タイトルに惹かれた『線の冒険』も読んだ。そしてまた最近になって温又柔がいいと言っていたので『ラインズ 線の文化史』を読んだら、これももちろん内容も興味深かったのだけど、装丁を見たら松田行正だったのだ。こ、これは!と思った。
『lines―線の事件簿』も次に読む。
印刷博物館で実はもっともいいと思った本は、あ、また忘れた、ソなんとかなんとか、という人の本で、問い合わせたら、もはや稀覯本といっていいものであって、まず絶版になっているし、古書店でも手に入らないだろうと言われた。博物館でも、閉架に所蔵していて、いつもは出さないのだそうだ。
それは、とても、とてもすてきな本だった。線がずっと一本つながっていて、ページをめくるとそれが、海の水平線になったり、窓枠になったり、テーブルのヘリになったり、街中の何かになったりするのだ。壁画として描かれたものを本にしたのだそうだ。なんだっけ、ソダーバーグじゃなくて・・・。好きなのに忘れる。植草甚一が「線の王lord of lines」と呼ばれていると書いていた。かっこいい。なのに名前を忘れる。本の名前もちっとも思い出せない。こんなあやふやな情報ではネットでも探せない。ロードオブザリングなんかがひっかかってくるのみ。
年末は、高橋悠治(ピアノ)+田中泯(オドリ) の公演に行った。
☆今日のアナログハイパーリンクな読書
印刷博物館→松田行正『眼の冒険』→同『線の冒険』 温又柔→ティム・インゴルド『ラインズ 線の文化史』(装丁 松田行正)→松田『lines―線の事件簿』
追記)
展覧会のフライヤーのスクラップブックを調べてわかった。ソール・スタインバーグ(Saul Steingerg 『The Line』)だった。そして、松田行正の本は『フィジカル・グラフィティ・ツアー』だった。やれやれ、全然違う。もしかして『眼の冒険』という書名もあやしいかもしれない。あまり調べないで書くというのをこのblogの信条としている。それから、ミシマ社の本の写真家はあの女子高の写真を撮る人だと気づく。こういう探し物はwebよりモノに限る。
それしても、2013年2月時点では作品として線を描いていたわけではなかったが、もう気にしていたのだということがわかったのは、自分にとって発見だった。「ノート」は書いていたけども。